2010/12/29

練習納め  
 今年の練習納めである。メンバー全員が出席してくれた。
 基本練習の後は『新年初打ち』の予行練習となった。練習場に行くまでは演奏曲を2曲と思っていた。大人のメンバーが4人姿を現した。当日は5人となるのを確認して3曲に変更した。
 一曲目に大人だけの『雄飛』、それもオリジナルでである。そして3曲目に今年のコンクール曲の『雄飛』である。15人分の太鼓は用意できないので大締太鼓の修○と雄○は大人組に入れた。その大締太鼓を太○と雅○にやってもらう。彼らも大締太鼓を打てるチャンスとなる。兄貴分達には負けていられない。
 そして小学生達が主役となる『山彦』を間の2曲目に入れた。
 これでそれぞれがやりがいが出るプログラムになった。一番張り切ったのは大人組かもしれない。同じ『雄飛』でもこの2曲はまるで違う曲である。印象は随分違う。初詣客は寒い中でも立ち止まって聞いてくれるだろう。そしてお年玉も・・・・。
 ジュニアのメンバーで参加しないのは低学年の二人である。親から言われたのか『今年は出ませんけど、来年は出ます。』と宣誓していた。
 『山彦』の各パートは希望者を優先した。人数が足りないところは指名し、人数が多いのはジャンケンである。それでみんな納得である。積極性のある者はどんどん新しいパートにチャレンジさせている。そしてまだ少し自信が?という子には背中を押す。内心を読み取るのも大切である。
 大人達がはしゃいでいた。久しぶりに彼らが主役の『雄飛』の演奏となる。大人へと成長した彼らの変化を見てみたい。この曲は大人の曲なのだ。自分の持っている内面を表に出せれる数少ない曲である。いいパフォーマンスを後輩達に伝えてほしい。
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2010/12/28

年賀状・・・  
 ようやく年賀状を書き終える。宛名は手書きにした。裏も表もパソコンの印刷では味気ないと思い、去年から今年の年賀状を見ながら宛名を書いた。下手な自分の字をあらためて感じ取る。それでも今年は書き損じがなかった。(と思っている。)
 今はほとんどの年賀状がパソコンである。ゴム版や芋版で作った頃が懐かしい。ガリ版で作った頃がある。色インクを使って傑作な作品を製作した。それが面白いと電話を貰ったこともあった。あのバイタリティーは今は無い。
 昨年もメンバーの子供達の何人かから年賀状を貰った。その彼らにも年賀状を送る。少し工夫を凝らして彼ら一人一人の演奏写真をイラスト風にしてプリントした。自分の写真を印刷して送る逆バージョンである。・・・これはいいアイデアである?。
 自分の家族の写真や結婚式の写真を入れて、いかにも『私達は幸せです。』という年賀状には呆れ返る。受け取る側に何の気持ちも考えない一方的なごり押しの賀状である。これは年賀状とはいわない。年賀状は年始の挨拶である。そこに少しのアイデアを入れて受け取る側の気持ちを和ませたり、近況を報告したり・・・というのでなかろうか。自分達の幸せを見せびらかすものでは、あてつけみたいなものである。
 こういう考えは我々の団体にもいえることである。見せびらかすやり方は決してメンバー達の成長にいいことは無い。メンバー達に自信を持たせることは大切である。しかし、実力以上の評価はメンバーに失礼であり彼らを成長させることにはならない。
 ホームページでの活躍するメンバー達の姿はこれとは全く別である。これは楽しいチームの姿を一方的に公開するのである。これは見る人が選択出来るからである。
 
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2010/12/27

お年玉・・・  
 いよいよ年の瀬である。29日に福島から智○が帰省する。(ところで福島は大雪だったようだが大丈夫だったろうか。雪で動けなくなった300台の1台に入っていたりして・・。)その夜が今年の練習納めとなる。新年初打ちの予行練習をして太鼓を神社に移動する。前回の練習で『参加できない者は?』の質問に手を上げる者はいなかった。太鼓を打ちたいのか?それとも・・・。
 30日は智○を囲んで今年最後の忘年会となりそうだ。うちのメンバー達と飲んで話に花を咲かせるのが一番楽しい。一年の不愉快なことは全て今年で忘れ楽しい夢を抱いて来年を迎えたい。それには調度いい機会となる。
 ある年の初打ちで参拝に来ていた人が500円玉を太鼓の上にポンと置いていった。それを見て、その翌年にお年玉様の賽銭箱を作り演奏会場の前に置くことにした。その前からお年玉は大人のメンバーで集めて子供達に平等に渡していた。しかし、そんなことをしてくれる人もいるのならと思ってのことだった。
 その後の何年かはお金を入れてくれるのはメンバーの大人達ばかりだった。しかし最近は一般の人達や家族達も入れてくれるようになっている。子供のメンバーも増えたが集まるお金もけっこうなものである。子供達には楽しみな収入となるのである。
 『お金で子供達を釣って夜中に集めさせているのではないか。』と言う人がいるかもしれない。何と思われてもいい。しかし決して子供達や大人達はそれだけのことで集まってくるのではない。あの寒さの中でみんな楽しんで太鼓を打ってくれている。毎年の集合写真の顔にいやいやな笑顔は一人もいない。みんな達成感のある笑顔である。そして参拝者達も足を止めて演奏に聴き入ってくれている。
 お年玉をあげる側も子供達の期待に応えたいと思っている。お金を介した事だがこれも年齢を超えた大切なコミュニケーションである。貰っていたメンバー達が大人になって今度は後輩達にお年玉をあげるのである。・・・ところで我々はず〜と出してばかりだが・・・・ 
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2010/12/26

新たな団体・・・  
 和○連を抜けた4チームの代表者で忘年会を開いた。この4チームは同じ師の流れのチームである。和気あいあいと楽しい宴となるはずだった。しかし、うちの若手二人は不快感を持った後味の悪い会となってしまった。
 和○連から離脱した根本の原因を作った人物がその中にいた。そして若手達に不快感を与えたのはその人物である。はっきりいって楽しく宴を導けない人間なのである。どんなにお世話になっても、そして若い連中であっても、人の付き合いには最低限の作法はあるはずである。それも私の知らない中でそんなことになっていた。目の前でそれをやったなら暴れていたかもしれない。
 この4チームと賛同するチームを加えて新たな団体を立ち上げようという話がある。それも私を中心にしてである。しかし今までと同じやり方をしたなら、また同じ道を踏む様になるだろう。簡単にイエスとは言えない。
 少なくとも新たな団体を立ち上げるには条件がある。残党が残っていて和○連は継続している。この団体とケンカをする為の団体であってはならない。原因を作った人物には一切関知されたくない。そして一人のワンマンなリーダーの団体であってはならない。・・・さて問題は何を目標に、何の為にこの団体を立ち上げるかなのだ。
 この4チームで面白いコンサートを開催することは可能である。むしろ多すぎるチームでは出来ないことが企画できるだろう。しかし集客である。この4チームでは黒字にする集客力は無い。赤字開催ではやる意味は無い。では、何を目標にすればいいのか・・・。それが大きな課題である。
 エゴな考えを持ってはならない。そして疑わしい活動にしてはならない。・・・どんなに素敵なことをしても、団体活動では少なくともこの二つは守らなければならない。信頼が無い団体は何時かは消え去るのだ。・・・大げさな立ち上げをせず、親睦を中心にして模索していくしか無いだろうか・・・
  
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2010/12/25

山坂を越えて・・・  
 チームを育てることは大変難しい。28年の歴史は山坂の連続だった。衰退し継続が出来るかと思い悩んだ頃もあった。そういう頃は肩に力が入って焦った頃だったのかもしれない。そして、その焦りが嫌な人間を演じていたかもしれない。
 ある時期からこだわりを捨てた。見栄を張っても今のチーム事情ではやれることしか出来ない。そう思った時から肩の荷は軽くなった。練習場を本町地区に移動した。それはチームを一から作り直すということだったのかもしれない。申し訳なかったが、前会場近くの何人かのメンバーが去っていった。しかし、新しい顔ぶれの子供達が門を叩いてくれた。そこからチームの二度目の旅立ちだったのである。
 難しい子供達との葛藤もあった。片親の子、不登校の子、家庭内のトラブル・・・そんな子供達と真正面に向き合った。それでも全てがうまくはいかなかった。チームを離れていった子は何人もいる。
 部活が始まる学年や進学する子達がチームを離れていった。『野球やるからやめます。』と簡単に言って彼らは離れていった。これははっきり言ってショックだった。愛情を込めて彼らと付き合ってきたつもりだった。それを軽い簡単な言葉で終わってしまった。それは今でもトラウマとなっている。
 メンバー達とは丁度よい距離が必要だと思っている。彼らを大切にすることは変わらない。愛情も持っている。しかし彼らの行動を縛ったりはしない。部活や学校生活や家族の付き合いは太鼓以上の存在である。それらをまず大切にしてその余った時間で活動できることが一番大切なのである。
 練習の参加は自由である。欠席の連絡はしなくてもいい。出演も都合のつくメンバーでやり繰りする。・・・しかしその為には綿密なコミュニケーションが必要である。連絡は父兄まで届くようにプリントとインターネットを活用した。出演するイベント主催者にも理解をしてもらった。いつもギリギリでメンバー数や演奏曲の連絡である。面倒なことや迷惑なことをかけるが、チームを存続させること、メンバーを失わないことならば苦にしてはいられない。
 メンバー達に目標を持ってもらう、そして気兼ねしないで活動できる。そういう環境を作ったことが今のチームになったと思っている。ちょっと時間がかかったが・・・。
 ・・・目が輝き・笑い声が絶えないチームに、これからもしていきたいと思う。
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2010/12/24

涙の出る演奏・・・  
 5周年の演奏会を町民センター(現市民センター)で行った。その翌日ドライブインで見に来ていた大先輩達と遭遇した。そしてその人達から『お前達の演奏を聴いて涙が出たよ・・・』そういってくれた。
 和○連の発足演奏会に栗沢太鼓がゲスト出演した。その時のメンバーはキャンビー世代である。キャンビーに行く2〜3年前だったろうか。毎年バチを寄贈してくれていた中○さんが見ていたのであった。後日、『あんたらの演奏を聴いてひとりでに涙が出たんだ・・・』といってくれた。
 今のメンバー達はどうだろうか。演奏技術は随分と上手になった。沢山の拍手ももらえる。しかし、観衆が涙する場はまだ無いだろう。
 5周年の時は大の大人達の演奏であった。和○連の時は中・高校生だったろうか。演奏曲はともに『雄飛』だった。しかしこの時の曲は原曲である。今の曲は時間調整や大人数での演奏や幼いメンバーでも演奏しやすい様にアレンジをしてきた曲である。そこに差があるのかもしれない。
 『人が涙する』そして『スタンディング・オベレーション』・・・ともに求める太鼓というエンターテイメントなのである。技を求めることは大切である。そして心の入った演奏も必要である。高い演奏技術と人の心に響く感情の入った技術、幼いメンバーにはなかなか難しいだろうがそれが出来て本当のプレーヤーになるのだろう。
 『味のある・・・』演奏はそれなりの年齢を重ねないと出来ないところがある。お姉さん・お兄さん達はやっとその域になってきた。彼らに上級生達を入れたメンバーでオリジナルに近い『雄飛』を演奏する機会を作りたい。それが上級生達を大人の世界に導いていくことにならないだろうか・・・。
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2010/12/23

宿題をやり遂げて飛んでいく  
 『キャンビーに行きたい。』といった時は誰も実現するとは思っていなかった。『太鼓はどうするんだ。』『演奏は出来るのか。』『費用は・・・』・・それは言った本人も全てが?だった。
 まずは何をすればいいのか。・・・それは実力だった。公演が出来る演奏能力をまず持たなければ話にならないのだ。それだけのメンバーを養成することが、実現する最低の条件なのである。
 『栗沢の四季』を復活させたことがキャンビーへの扉を開いた。この10数分の長い曲が夢を繋いだのである。
 演奏時間を最大1時間30分にして仮想プログラムを立てた。オリジナル曲を全曲、そして合同曲を入れても実際にはその時間を消化できなかった。苦肉の策でチャレンジコーナーを考えた。これはキャンビーから来町した時のレセプションで急遽取り入れたことがヒントとなった。そして盆踊りであった。この場合は自分で唄うことも考えていた。実際にはアダルトセンターで唄ってしまった。
 演奏曲を続けることが公演となるのではないということを実際に経験して感じている。前回のプログラムでも次回でも通用するだろう。しかし、今のチームはまだその域にも行っていない。
 2006年のハワイ公演にはメンバー達に宿題を出した。農業祭のステージ演奏で全曲を演奏することだった。その宿題を彼らがクリアしてハワイ公演を実施した。
 2年後の夢も同じである。今のメンバー達が宿題を消化できない限り夢は夢に終わってしまう。その後押しは我々がする。しかし実際にキャンビーの地で演奏するのは今のメンバー達である。今のメンバー達が真剣に取り組まなければ、この大きな夢は失うことになる。
 大きなプロジェクトを幼いメンバー達と取り組んでいく。一緒に苦しんで楽しんで、太平洋を飛んで行きたいものである。
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2010/12/22

自ら育っていくチームに  
 お姉さんが動き出した。『後輩達を鍛えたい。』そしてその後輩達も『更に上達したい。』と思っている。
 今の演奏でもそこそこである。しかしそれで終わってはそれで終わるのである。納得した時、あきらめた時が進歩・進化が終わるのである。メンバー達には絶えず成長したいという気持ちを持ち続けてほしい。
 一つのことが出来ればまた次のことを求める。きれいな振りが出来れば、今度は大きな音を求める。小さな動きは、大きな動きに・・。・・今、中学生達・高校生達は大きく脱皮するチャンスなのだ。それをいいコーチがいいアドバイスを与えることによって大化けするのである。
 可能性のあるメンバーが育っている。低学年から手塩にかけて育てたメンバー達である。この子達には花開かせてやりたいと思うのである。今の演奏でもどこに出しても恥ずかしくは無い。今がこれだけ出来るのであれば、更に伸びていけば・・・。その可能性を無くしたくない。
 基本を重視して練習して来た。その成果は出ている。しかしその分個性が無くなった様に見える。チームとしては統一感や同調感は育った。この基本から彼らに合った彼ららしいパフォーマンスが出来る演奏に進化させる。それには個人単位の育て方が必要である。チーム全員の練習と個人単位の練習。スタッフが揃いつつある。小まめにそしてダイナミックに育てる基礎が出来てきた。
 4年生達が中締太鼓に挑戦している。本人達が自分の意思でである。そしてその辛さも体験している。自由練習は彼らの意思を尊重させ、そして意欲を引き出す狙いである。彼らは何を求めているのか。何をやりたいのか。その気持ちを育てそして気持ちを見てみたい。
 一方通行の育て方から、彼ら自信で考え自ら育っていくチームに変えていきたい。それは彼らが自立する精神を自ら作り出すことになると思うのである。これはみんなを信頼しているから出来ることでもある・・・。
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2010/12/21

二度目の夢の為に・・・  
 この冬は大切なシーズンとなる。高学年・中学生・高校生と成長したメンバーにとっては大きな転機としたい。彼らの未知の曲にも入っていく。そして演奏の質の向上も求めたい。一つのパートだけではなく様々なパートも共有していく。一つの表現だけでなく多くの表現力も学んでいく。この冬は30周年への基礎固めとなる。
 夕○の帰り、二人のコーチと食事をしながらいろいろな話しをした。多くはこれからのことだった。コンクールの出場は条件を満たした時に、今の状況が変わらなければ出場はしない。不審な環境にメンバー達を引き込みたくない。
 2013年1月、姉妹都市キャンビー市への公演は実施するという方向で進めたい。その意思が無ければ現実とはならない。その為に何をするかがこれからの活動となる。現地とのコンタクトもまずしなければならない。受け入れしてくれなければ何も出来なくなる。それはすぐに始めなければならない。そして遠征メンバーの意思の確認と養成となる。
 キャンビーには、出来るだけみんなを連れて行きたい。出来るならば年齢で線引きをしたくない。そうなると父兄の力も必要になる。そして経済的なことが課題になる。それを解決する努力はするが約束はできない。情け無いが、メンバー達には過大なことは今は言えないのだ。最悪の場合は2006年のハワイ公演の様に全額個人負担となることもありうる。その場合は遠征メンバーは限られることになるだろう。
 二度目の夢の可能性は充分にある。しかしそれには自分達が努力をしていくことが不可欠である。多くの曲をマスターしパフォーマンスも見せなければならない。普段の活動とはまるで違う環境に挑戦する覚悟もいる。そしてそれなりの個人負担もあるのだ。それらが全てクリアすることを今は祈るしか無い・・・。
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2010/12/20

クリスマスギフト・・・  
 A4の写真用紙20枚に今年一年のメンバー達の活躍をプリントアウトした。写真数で120枚位だろうか、二晩をかけてようやく出来上がった。これをクリアファイルに入れて一年のアルバムの完成である。演奏風景に緊張した顔・笑い顔など、一年の活動がこのアルバムに入っている。・・・ナンシーへのクリスマスギフトである。
 ナンシーには栗沢太鼓の様子を絶えず知らせておきたいと思っている。どんなメンバー達が活躍し、どんな活動をしているか。そして彼女に『またキャンビに来てほしい。』と思ってほしいのである。
 2003年の帰国と同時にメールが役所に届いた。『メンバー達はフレンドリーだった・・・』という言葉は前回の訪問は成功というメッセージとなった。町長も関係者もそのメールに喜んでくれた。
 『フレンドリーだった。』と評されたチームは今も変わらずやはりフレンドリーなチームです。・・・とこのアルバムを見て思ってくれるだろう。
 一年の様々な活動でコンクールの涙以外はみんな笑ったメンバー達の表情がある。この笑ったメンバー達の顔が大好きである。この顔が無かったらここまで続けてこれなかったかもしれない。いや、そんな顔が出来る活動を目指してきたのかもしれない。写真の君達は素敵である・・・。
 心待ちにしているナンシーに?・・・明日クリスマスギフトを送る・・・
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2010/12/19

積極的に、前向きに・・  
 メンバー達は仲がいい。上の子は下の子の面倒をよく見る。昨日も自主練習で一人ぼっちになった風○を見つけ自分の練習を止めて彼女の練習に付き合う姿があった。準備も後片付けも誰も文句も言わないで積極的にやってくれる。
 言うことは無いのだが、逆におとなしいという所が気になるのだ。これから彼らにはもっともっとダイナミックなプレーヤーになってほしいと思っている。それには『なにくそ!』と思う負けん気が必要になる。お嬢さん・お坊ちゃんの気質では人を感動させる前に人に負けてしまう。優しい気持ちはそれでいい。しかし太鼓を打つ時は『俺の、私の太鼓を見ろ!』という気概が必要なのだ。
 2006年のハワイ公演に行ったメンバーの中にも『大丈夫だろうか?』と思う子が何人かいた。しかし彼らは『こいつが?』と思う様な変化を見せた。観衆は誰も知らない異国の人達。普段とはまるで違うシュチュエーションである。旅先での気持ちの高揚もあっただろう。そんな様々な環境の変化が普段見た事も無い演奏を、パフォーマンスを彼らは見せた。彼らは潰されなかった。これはすごい心の成長だと思った。
 幼いメンバー達はみんな仲良しである。しかし、ただ仲がいい関係だけではお互いが成長していかないのだ。同級生やその前後のメンバー達には、お互いにライバルと思う気持ちが必要だ。それがチームの実力を上げていくことにもなる。
 もし姉妹都市の公演が現実となったなら、引っ込み思案な気持ちでは困ってしまう。積極的に言葉をかけていく位な行動はしてほしい。話しかけられ逃げていては行く意味は無いのである。
 積極的に、前向きに・・・これからはそんな育て方を意識していく必要があるだろう。
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2010/12/18

パフォーマーを・・・  
 今日のミィーティングで年末年始の予定を連絡した。年末の練習は29日まで、終わった後太鼓を神社に移動する。新年0時に『新年初打ち』を神社境内でそして出演した子供達には・・・。『なるべく出演しない様に・・・』と言うとみんな苦笑いである。集まったお年玉は均等にメンバーに分けられる。人数が少ないほど当たりは良くなるのだからである。・・・さて今年は・・・円がふところに・・・。
 総会までは自主練習とすることにした。自分のやりたいことを自主的にやる。そしてお兄さん・お姉さん・私が伝えたいこともやっていく。今日は高学年男子3人を胴太鼓につかせ盆太鼓の花太鼓を使って身体の使い方や腕の振り方を伝授する。腕の使い方から身体の向き、足の使い方、腕の振り方・・・ぎごち無い動きから滑らかなそして迫力のある表現に・・・。自分が身につけた技術を彼らに伝えなければならない。そして彼らはそれを身につけ彼らの新しいパフォーマンスに育てる切っ掛けとしたい。
 身体能力がついてきた彼らには私が表現できる演奏は必ず身についていくはずだ。そのちょっとしたコツを彼らに伝えたい。そしてお兄さん・お姉さんを越えるプレーヤーに・・・。
 自主練習期間を多く持ったのは、お兄さん・お姉さん・私がもっていることを好きなように伝える期間を持ちたい。全体練習を繰り返しては彼らの持っている才能を伸ばすことが出来ないと思ったからである。栗沢太鼓の持ち味の個性豊かなメンバーの集まりをまたここで育てていきたい。いやメンバー達もそれを望んでいると思うのである。それは太鼓の楽しさである。
 互いがライバルとなって個性を磨いていく、それがうちのチームである。様々な個性を持ちそして一つのカラーもある。個人とチームの両立である。
 ・・・いいパフォーマーをこれから育てていく・・・。
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2010/12/17

好きなことをやれる範囲で・・・  
 市町村合併して来春で丸5年が経つ。その間に様々なことが会にあった。・・・お金のことが一番辛かった。しかしこの試練は会を・メンバーを一つにまとめるパワーになったと思っている。もし、愚痴や不満ばかりを言っていたなら今の様なメンバー達は育たなかっただろう。彼らはいつも目を輝かせて練習をしてくれた。互いを思いやり、優しい言葉をかけ、励ましあって信頼感を育て楽しい会にしてくれた。これはメンバー達が作り上げた今の栗沢太鼓である。
 『人を育てる!』が今の会の方針である。それは私を含めたメンバー全員の目標である。太鼓の音の様に心の広い大きな人間にみんなが成長していくのである。『栗沢太鼓』というパッケージではないのだ。心の大きなメンバーが集まって『栗沢太鼓』を育てていくのである。
 常識のある考えと行動、そしてすばらしい演奏があれば街の人達はみんな応援してくれる。そんな応援を受ければ、また頑張って練習していける。それはまた上達となる。
 みんなは仕事に勉強に部活にと・・・幾つものことをやっている。そして太鼓は優先順位の一番では無い。そうなったなら『やれる範囲でやる。』しかないのだ。それがメンバー達を守ることになると思うのである。
 誰にも迷惑をかけないで活動していくこと。そしてその活動を理解してもらうこと。これは本人の努力も必要になる。
 『好きなことを、やれる範囲でやる。』・・・団体活動ではご法度みたいなことだがそれが理想なのである。メンバー達も、父兄達もみんな努力してくれて今年一年どこも穴を開けずに活動できた。そして参加したイベントの主催者からは感謝の言葉を頂いている。メンバーが育てば、活動はもっともっと楽にそして幅も増えてくる。『好きなことを、やれる範囲でやる。』でも活動は充分にやれるということなのである・・。
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2010/12/16

基本から個性に・・・  
 上のメンバーがようやく高校生・中学生となった。お兄さん・お姉さん達が『雄飛』のソロ演奏を本格的に練習を始めた歳になったのだ。お兄さん・お姉さん達は嫌なぐらい毎回その練習を繰り返した。そして絶えず修正し彼ら独特の個性を作り上げていった。それは誰も真似の出来ない彼ら独特の演奏だった。これらはコーチ役の私と彼らとの二人三脚で作り上げたものである。彼ら個々の個性は演奏の魅力となった。それは少人数で大人数のチームと戦う糧であった。それが栗沢太鼓の魅力であり、それがチームの力であった。
 チームは20名を越える大所帯になった。幼なかったメンバーは中学生や高校生に成長した。これからはまた原点に戻って彼ら一人一人の個性を磨く方法も加えていかなければならないと思っている。チームでの演奏、そして個人技での演奏と幅のある技術を持っていかなければならないのだ。
 チームとして同調できる技術と一人一人の個性豊かな個人技の両方を持ったチームに進化させていきたい。これは大変な作業となるが、それを受け持てれるコーチは私一人ではなくなった。何人ものコーチ陣が動いてくれれば何通りもの個性が誕生するだろう。創造すればそれは楽しいチームとなっていく。
 基本の運動が出来てそれから個性は生まれてくる。これは基礎スキー時代から思っていることである。基本の運動をみんながやっていてもスキーヤー一人一人の滑りは個性的なのである。美しい滑りは基本の運動が作っていくのである。しかしそれでも個性は生まれる。飛んだり跳ねたり出来るポジションは基本のポジションがあってできる。これからの彼ら達の個性はその基本があって誕生した個性になるだろう。それは運動を基にしたレベルの高いパフォーマンスとなるはずである。
 基本となるポジション作りは幼いメンバーの頃から養って来た。その基本がこれから生かされるのである。彼らのパフォーマンスはすごいことになるだろう・・・。
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2010/12/15

子供から大人へ  
 うちのチームはやはり幼い。コンクールや幌○・夕○の演奏会での出演を見るとつくづくと感じる。まだまだ力不足であり経験不足である。こればかりは促成栽培とはならない。技術以前の問題となる。
 代表で演奏した亜○沙の演奏は他のチームの演奏者から見ると身体の動きが無い様に見えてしまう。しかし見方を変えると彼女の振りは肩からの動きである。それだけ彼女のバチは身体を離れて動いている。そういう動きをしている演奏者はいない。彼女達はまだ発展途上の段階にある。今の演奏はそれでいいのだ。この基本の運動から一○の様なパファフルな動きを身に付けていく。
 お姉さんが彼女達に上下動を使った動きを取り入れようとした。途端に彼女達のフォームはバラバラとなった。4人の見事な同調した動きは無くなってしまった。これに上下動を入れて同調させた動きとなるにはもっともっとレベルを上げる必要がある。動きの中で体軸を維持できる能力は簡単には育成できない。それこそ天性の能力か、それだけの練習量となるだろう。今回の代表者演奏でそれを見せていたのは一人しかいない。
 一○の演奏もかなりいい線はいっているが無駄な動きも入っている。それは修正しながら練習を積むと解決していくだろう。今の彼は過去の腕の切れ味はなくなっている。しかし練習量を増やせばすぐに元に戻るはずだ。
 女の子達のこれからの事を考えたならば二つの方法があると思っている。今のポジションをキープしたフォームから腕の動きを更に切れ味のあるものにしていく方法。私はこの方法がいいのでは無いかと思っている。もうひとつは上下動を入れていく方法なのだが、こちらの本物は相当の脚力が必要になる。それは彼女達には厳しいと思っている。ぴょンぴょン跳ねる上下動では同調も美しさも失ってしまう。脚力のバネでの上下動は簡単には会得出来ない。これは雄○や修○達の男の子達が向いているのかもしれない。
 男だろうが女だろうが個性に合った技術がある。彼らには彼らにあった技術を習得して彼らだけのパフォーマンスを出してほしいと思う。
 どちらにしても成長への脱皮は必ずできる。子供から大人への太鼓にである・・・。
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