2011/3/31

存続する為の・・・  
 明日から4月となる。それぞれが進学や進級することになる。メンバー達の環境もみんな変わってくる。去年は参加できたイベントも今年は事情が変わるかもしれない。早く新しい環境に慣れて学校生活をエンジョイしてほしいと思う。
 チームは来年の30周年に向かっての準備をしていく。社会では震災の影響があるかもしれない。そんな社会の流れに合わせながら今までに順じた活動をしていく。
 メンバー達を育て成長させていく。それがあってチームも成長していく。成長していく為に様々な事業や出演がある。これが我々の活動の考えである。名前を売る為の活動ではない。大見得を切り実力以上の事はしない。しかし、自分達の出来る能力を少しずつスキルアップしていく。それぞれの階段を一段ずつ登っていく。
 メンバー達が成長するにしたがい世間からの期待も大きくなってくる。これからそれは益々大きくなっていくだろう。しかし我々のペースは崩したくない。過剰に出演機会も増やさない。メンバー達が都合がつき参加しやすい環境にしていきたい。
 それがこのチームを存続させていく為の条件と考えている。何人ものメンバーを失って来た。仕方ないこともあるが両立できる環境であれば去っては行かなかった。まずいと思うことがあれば絶えず修正していく。そういう頭の切り替えが必要であり、メンバー達の考えを理解することが大切だと思っている。その辺はなかなか難しいことなのだが、それを絶えず怠らないことなのだろう。
 いいチームになってきた。このまま順調にいってくれれば・・・・
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2011/3/30

コツコツとした運動に・・・  
 練習のミィーティングで大震災の義援金を集める活動について話しをした。『我々で何かやれることをしよう。』この街で義援金を集める演奏会を開いても何人が来てくれるかは疑問である。中学校の生徒会でもそして様々な団体でもそういう運動はやっている。この冬には雪害が起きた。メンバーの中にも被害を受けている家もある。そんな中であえてメンバーからは義援金を集めたくはない。しかし何か出来ることをしたい。
 太鼓シーズンの中で演奏する機会が幾度もある。我々の演奏を義援金を集める機会としたい。そして出演謝礼を頂いた場合は活動に支障が無い範囲で義援金に回したい。新年初打ちの時に置かれたお年玉箱は義援金箱となる。これからの栗沢太鼓の演奏は大震災復興への応援である。メンバー達の太鼓の音で復興を願うのである。演奏して被災者を応援するのである。
 メンバー達に相談した。役員会も開かない中でのみんなへの相談だった。みんな賛成してくれた。たいした額は集められないかもしれない。しかし心は持ってくれるだろう。コツコツと活動している我々には、コツコツとした運動が似合っているのである。
 仕事を終えた大人達が遅れて練習場に顔を出した。智○も栗沢の四季の練習に加わる。今日は『秋』である。みんな興味心身にわずかな練習時間の中で取り組む。この曲の練習時間に費やせるのは30分余りの時間しか無い。それでも何とか『秋』までやって来た。後半に残ったメンバーは『冬』に入った。強引にでも『春夏秋冬』を一通り終わらせたい。そして少しずつ繰り返して熟成させていく。
 新しいことを憶えることが楽しくなれば次々に習得していけるようになる。そういう時期がある。メンバー達はそんな時を迎えようとしている。10年前のお兄さん・お姉さん達の様に・・・
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2011/3/29

我々のやれること・・・  
 やっと春らしい日であった。雪解けも少し進んだ。しかし積もりに積もった雪解けはいつになるか。
 社会は震災と原発のニュースが続く。我々のやれることはそのニュースを見て哀れみを持つことではない。義援金を集めて協力もする。しかしこの災害によってメンバー達の元気を奪い活動を衰退させることではない。災難のあった人には逆に迷惑な話となる。我々のやれることは活動を活発化させ社会に明るさを届けることなのである。
 栗沢太鼓の30周年も来年に控えている。その為の戦略も今から準備していかなければならない。メンバー達の夢も実現に向けて進めなければならない。
 市町村合併で大変な時期をメンバー達の明るさで乗り越えて来た。破綻した夕○のチームは様々な支援があった。しかし我々のチームはことごとく跳ね返された。あの時点で解散してもいい状態だったかもしれない。それだけの試練だった。その最悪の状態を乗り越えた。・・・それは元気の無くなった街の人達に明るさを提供してきたのである。
 大きな災害が起きた。その災害にメンバーの一人も巻き込まれた。だからといって活動に元気がなくなったならそのメンバーに勇気は与えられない。今までと同じ様に笑顔で明るく活動をすることが大切なのだ。
 目標は修正することがあるかもしれない。しかし実現の為の努力はしていきたい。そういう気持ちが復興に向かって行くのでは無いだろうか。それが我々のやれることだと思う・・・。
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2011/3/28

義援金・・・  
 会長から『智○、どうなっている?』と電話が入る。会長には早い時期に智○が栗沢に帰ってくることを伝えてあった。『何か足りないものがあったら電話をくれ。』と言われていた。連絡が無いので心配していたようだ。知っている範囲の今の状況を報告した。少し安心したようだった。『今度、米を持って行く。』といって電話が切れた。
 智○はラッキーだった。そう思うしかない。家族も全員が無事だった。栗沢は育った彼には故郷であり、長い期間生活した両親には第2の故郷である。そういう場所があり、続けていける仕事もある。原発が落ち着けば戻れる家もある。全てを失った被災者を考えたなら不幸中の幸いと考えてほしいと思う。この経験はこれからの彼の人生の教訓となる。その若い力でこの苦難を乗り切ってほしい。
 町会内で義援金を集めなければならない。2〜3の人にその事を話すと『他の方で出しているから。』という人もいれば、『他でも出しているけどここでも出す。』という人もいる。人の考え方はいろいろである。
 『太鼓演奏会を開催して義援金を集めた。』という新聞記事があった。こういう記事が載ると『お前達はやらないのか。』と言われそうだ。チームにはそれぞれの環境がある。うちのチームが開催して義援金を集められる状況になるとは考えづらい。しかし、何かしらで協力できることがあればと思う。夏の太鼓シーズンの中で何か出来ないかと考えている。・・・メンバー達と相談しながら決めたいと思う。
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2011/3/27

頭は柔らかく・・・  
 太鼓団体の二つの総会の案内が来た。町会の事業と重なるのも事実だが、それを欠席してまで出席したく無い心情がある。楽しい会合になるのであれば会計である町会の方を欠席しても出かけたいが、どう考えてもどちらの会合でも暴れることになりそうなのである。これは我が身の保身も考えて欠席した方が無難と思っての決断である。
 活動は楽しくやる、愉快にやるが私の基本なのである。ところがそれを邪魔する人間がいるのである。そういう人間にはついつい言いたい事を言ってしまうという嵯峨があるのである。我慢できない情け無い人間なのである。長いものに巻かれろということを知らない人間なのである。そういう人間は時にはいい事も言うのだが、体制が決まっているところではお荷物となる存在なのである。
 20代の頃、海外研修に出かける機会があった。その時の班長は今の滝○市長だった。その時の自己紹介で『先輩の揚げ足を取るのが趣味です。』といって彼を恐れさせた。しかし、彼は優しく人を思いやる気持ちの人だった。真面目で欲の無い人だった。・・・市長になったことを聞いて彼の性格で大丈夫なのかと思った。数年前に滝○の祭りでバッタリと再会した。『どうしようもならない状況になったんだ・・・』とこぼす様な言葉を交わした。
 若者達が理解出来ない活動はしたくない、子供達に言い訳の出来ない活動はやりたくない。それが基本の考えなのである。他のチームもそう考えていると思うのである。それがそうならないところがある。
 それが我々の常識である。それが理解できないところは我々の考えが非常識となる。どちらが正しいかは活動を見ていれば解かるはずである。他のチームを批判するつもりは無い。しかし、頭はやわらかくしてほしい。
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2011/3/26

底力・・・  
 会社から帰ると殆んどの家財道具が揃っていたそうだ。『家族水入らずの家が出来て気持ちが楽になった。』と・・・。当初の予定していた所から市営住宅に変わった。市営住宅の方が新しいし広さもあると聞く。まずは安心した。練習場の彼は元の彼となっていた。子供達を相手に遊んでいた。
 今日は小学生の出席が少なかった。『山彦』を4人で、一番安定していたのは風○だった。自信満々に演奏していた。『絶世』の練習後『栗沢の四季』の練習である。進行は春・夏までである。しかしまだしどろもどろである。今はまずリズムを覚え回数を覚えていく段階だ。何となくを繰り返して自分のものにしていく。
 後半に残った大人と○合兄弟で秋のリズムに入った。この大人二人も私もしどろもどろなところがある。進行表を睨んで思い出し思い出しの練習である。
 この曲を編曲した時を思い出す。10周年のビデオを見ながら20分を越える曲を17分に短縮した。その当時の中・高校生達と試行錯誤しながらの編曲だった。それは楽しいものだった。今の中・高校生達も同じ様に楽しんでいるようである。ようやく進行表を理解して活用しだした。
 チームには個人技を出し切る曲もあればコラボで見せる曲もある。そして物語で表現する曲もある。それが『栗沢の四季』や『暁の音』である。『栗沢の四季』は栗沢の一年を表現した曲であり『暁の音』は入植から今日までの歴史を表した曲である。
 個人のパフォーマンスを思う存分出せる原曲の『雄飛』、それをベースに組織的に進化したジュニア達の『雄飛』。表現力と難度の高い『絶世』、そして女性隊の『優美』とどの曲も全く違うイメージの曲がある。そこに物語を語る2曲を加える。更に栗沢太鼓の母なる『豊穣祝太鼓』もある。
 これらの全ての曲を活用できれば、キャンビーだろうがハワイだろうがどこでも単独コンサートを開催できるのである。それが栗沢太鼓の底力なのである。・・・しかし、それだけの演奏曲があってもそれをマスターし、それを活用しなければ夢で終わってしまうのである。
 一つ一つをそして確実にコツコツと進んでいくしかない。繰り返し繰り返して自分のものにしていくのである。このメンバー達ならやってくれると信じる・・・。
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2011/3/25

メンバー達が主役に・・・  
 智○の会社では操業見込みの無い福島の工場から40名余りの社員を栗沢工場へ移動さす様である。役員の父親と先陣を切って戻った様である。それほど大規模になれば行政も黙ってはいないだろう。バックアップは市をあげてやってもらわなければならない。その中で出来ることがあればお手伝いしたい。
 年度末で空○連盟からも総会の案内が来ている。出席についてはどうするか思案している。この間の事務局長との話もあり出席して言いたい事を言ってきたいのだが、余り角を立てて会の雰囲気を悪くしたくも無い。一人の役員の判断の悪さが原因なのである。意にしたことは事務局長から役員会に報告されてその方針も出てくるだろう。その情報を聞いて判断したい。気分的には欠席したい。
 管内の活動もマンネリカしてつまらないイベントとなっている。去年は歌○内の夏祭りの応援があり真新しさがあった。その新しいことが多くあればと思うのである。そういう新たなことが加わればそれまでの飽きられたものは中止してもいいのではと思うのである。
 演奏する機会が少ないチームにとっては連盟の演奏会は貴重なイベントなのかもしれない。しかしその内容がワンパターンとなっている。何年も同じパターンの繰り返しである。これではリピーターのお客さんはいなくなってしまう。いや、そういうことを諦めているのかも知れない。
 出演する喜びをメンバー達が思わなかったらチームからメンバー達は出て行ってします。喜びとなるイベントをどう作っていくかなのである。依頼を受けるイベントもそのイベントが成功する様に我々も努力をしなければならないのである。成功すればメンバー達も達成感を味わえる。そして主催者も喜んでくれるのである。
 いっぱいチームを集めればいいというものではない。それは大々的に開催したという自己満足にすぎない。それは過去の考え方なのである。むしろ単独の演奏会で試行錯誤してプログラムを組みメンバー達を光らせてあげるのである。それはメンバー達も意欲を持ち満足するのである。そういうことが大切なのである。来年、30周年となる。記念演奏会はやらなければと思っている。しかし何団体も集めて開催しようとは思っていない。うちのメンバー達が全員主役となる様なコンサートにしたいと思っている。
 プロデュースする能力はこれから大切になる・・・。
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2011/3/24

絵になる姿を・・・  
 お昼にブログファンの叔母から電話が入る。ジャンパー類が沢山あるので日曜日に持って行くという。智○や家族のサイズを聞かれた。智○は大体解かるのだが家族までは・・・。布団も持って行くというのだが、さすがにそれはお断りした。
 父親や母親の知り合いも多い。それらの応援でまだ足りないものがあったら言ってもらうことにした。余計に集めてしまっては逆に迷惑なことになる。ただ衣類は多少多くてもいい。サイズに合わなかったり気に入らなかったら廃棄してもらえばいい。
 メンバー達にも、智○にも恩着せがましいことはしたくない。それは彼も解かっている。彼らとは頭を下げたり上げたりする様な付き合いはしたくない。ごく普通の友人の様な関係でいたい。ちょっと年齢差があって他人には理解しがたいかもしれないが、チーム内はそんな感じなのである。だから彼は何度も福島から太鼓を打ちに帰って来たのである。
 メンバー達には今までと同じ様に太鼓の仲間として付き合ってほしいと思う。そして彼が帰ってきたことは栗沢太鼓にすごい戦力が戻ったと・・・。そう考えてやることが彼は一番うれしいのではないかと思う。ただし・・・少し打ち込まないと後輩達にバカにされるかもしれない。
 練習場の肥やしとなっている大締太鼓を今年は引っ張り出すことがあるかもしれない。こいつの大締太鼓を打つ姿は絵になるのである。その姿をみんなは待っていると思う。
 後輩達は頼れる兄貴が側にいてくれると・・・。そして大人達はバカ話の相手が増えたと・・。

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2011/3/23

仲間達で・・・  
 智○が練習場に元気な顔で現れた。そして大人達も集まってくれた。メンバー達の前で智○がどんな状況でここにいるのかを話した。練習の度に智○の状況も伝えてあった。言葉では出さなかったけれどみんな心配していたのだろう。子供達は安心した様な顔をした。
 練習を子供達だけに任せた。生々しい惨状を聞いた。『九死に一生を得た。』と・・・。自宅前まで津波が押し寄せタッチの差でまぬがれたそうだ。何か出来ることは無いかと大人達も集まってもらった。お父さんやお母さんもこの地で長い生活をしていた。知り合いや仲間も多くいる。そこからのバックアップもある。それでも足りないものがあったら遠慮なく言って貰う様にした。
 取りあえずは必要なものだけを持っての避難生活だったという。燃料不足で大変だった様である。数年前に新築し一家全員で両親の生まれ故郷に戻っていった。その家を離れてきたのである。後ろ髪がひかれる思いだっただろう。今の時点では原発がどうなるかの見通しはつかない。そしてそれが治まってそれから地域社会を立て直していくのである。復興の予想はつかない・・・。
 家財道具全てを置いてきている。何から何までである。もし同じ立場となったなら、それは大変な苦悩となるだろう。栗沢太鼓の仲間達で支えていけることはしたい。物だけでなく心でもである。
 子供達が帰った会場で残った大人達と楽しそうに太鼓を打っていた。この男は苦になることも笑って乗り越える図太さがある。そしてつらい気持ちを笑って悟らせない繊細さも持っている。子供達から慕われそして面倒を見るやさしさも持っている。・・・ナイスガイである。
 また夏に我が家のガレージで笑って焼肉を食いたい・・・。
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2011/3/22

みんなで応援したい  
 今日、智○は北海道に上陸し市内のビジネスホテルにいる。近日中に雇用促進住宅に入る予定である。着の身着のまま、車2台で家族全員で移動してきたという。車は全部無事なのだがガソリンが無かったという。明日の練習には顔を出したいといっていた。
 『何か必要なものがあったら書き出せ。』と話してある。家財道具は福島に置いて来ている。促進住宅にはどれだけの据付のものがあるか解からないが、必要なものがいっぱいあると思う。メンバー達のところでそういう物があったなら提供してほしいと思う。
 特にすぐ必要なのは布団類やストーブ、ガス台・食卓や椅子・冷蔵庫・・・。上げたら切が無い。この状況が緩和されればまた福島に戻ると思う。仮の住まいとなるはずである。出来るだけ出費しないで済む様にみんなで手助けしてほしい。
 先日、姪っ子が一人暮らしをするのでと知人から冷蔵庫を貰ってきた。ところがサイズが大きくて我が家のガレージに置いて行った。どんな代物か見ていないが使えるもので、それでよければ持って行く。
 鍋でもやかんでも余っているものがあれば買い揃えることはなくなる。それらを持ち寄ってほしいと思う。
 家族全員が無事だったことが何よりである。栗沢太鼓の縁である。でしゃばらない範囲でみんなで応援したい。
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2011/3/21

常識ある判断・・・  
 ある団体から『10周年の演奏会を開催するのだが出演してくれないか?』という電話があった。農業祭当日にドタキャンされ、その後のコンクールで喫煙所にいる私の顔を見て隠れるように離れていった人からである。『この間はすいませんでした。』の一言で事済む事である。そんな自分勝手な人間が仕切る団体とはお付き合いはしたくない。ぬけぬけと翌年に祭りのお誘いがあった。都合が悪いとお断りした。今回もお断りするつもりである。
 空○連盟のバカ役員は20周年の演奏会にうちの練習会場を私に何も相談しないで全館を借用している。私は連盟に出ている理事である。そしてこの会場は栗沢太鼓の拠点である。その事を何も知らないでいたのだ。ふざけている。やるならやってもいい。しかし一切協力もしないし出演もしない。いかれている・・・。
 他団体とは最低限の礼儀を持ってお付き合いをしていると思っている。そして仁義に欠くような事も無いようにしている。しかしそんな礼儀や常識を逸脱する人間が何人もいるのには驚く。それもチームを代表する分別つくいい歳の人間なのだ。何がそうさせているのだろうか。たかだか太鼓チームを代表しているのにすぎないのだ。それが特別な人間だと思っているのだろうか。
 今回の祝賀会ではそこそこに評価された。・・が決して威張る様な演奏ではない。これ位の演奏で満足していてはそこから先が無いのである。メンバー達には『演奏は良かった。しかしその他の行動は誉められない。』といった。それは私や大人達がメンバー達の範となる行動をしなければならないということなのである。
 今回の祝賀会の出演は前回の書道展があってのことだった。それはただ太鼓がよかったというだけでなくて、普通の常識ある関係が築かれたから話があったと思っている。もし非常識で不愉快な気持ちを持たれたならこんな依頼はなかっただろう。こんな田舎のチームにである。
 良識ある判断は難しいかもしれないが、常識ある判断は出来ると思っている。いや、メンバー達の為にもやらなければならない。
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2011/3/20

今の実力・・・  
 智○が帰ってくる事に決まった。福島の状態を見ていたら見通しはつかない。あちらが落ち着くまで栗沢工場で働いた方がいい。家族達も沢山知り合いがいる。気持ちも楽なはずだ。・・・そして少し鍛えて・・・あのなまった身体を絞らせたい。・・・そういえば札幌に越したやつも見っとも無い体型になっていたなあ・・・。
 大地震が起きて3日目だった。智○の無事は確認できていたがTVで映し出されるあの惨状を連日見ての札幌だった。1月の大雪で雪害を受けたメンバーの家もあった。めでたい祝賀会での演奏だったが何か後ろめたい気持ちでもあった。メンバー達の演奏はそんな気持ちを振り切ってくれた様に思える。雪害を受けた父兄も子供達から元気を貰ったのではないだろうか。
 メンバー達はまた自信とやる気を増している。この田舎のチームでも札幌のホテルで堂々と打ち鳴らし喝采を受けたのである。先輩達はキャンビーやハワイで活躍してきたのだ。その後輩達もこんな経験をすればその気になったしまうのは当たり前である。アンコールの声も掛かった。海外ならスタンディング・オベレーションになっていただろう。その点は国内である。
 昨日の練習で久しぶりに『絶世』を打たせた。ところが頭の中に無いのである。一昨年、冬季間をかけて習得した『絶世』は無残であった。またこの曲も一からやり直しが必要である。アンコールがあってもオリジナル曲では対応が出来ない。それが今の実力である。習得しても次をやれば忘れてしまう。1時間の演奏曲の習得は時間がかかりそうだ。・・・まだまだ先輩達には追いつけない。
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2011/3/19

社会の動き・・・  
 この大震災でこれからの社会の動きがまるで解からなくなった。我々の様な文化活動は世の中が安定し恵まれて望まれるものである。震災地と違って直接の打撃を受けたわけではない。しかし活動の目標の修正は大なり小なりあるだろう。
 農業祭も自衛隊の力を借りて会場設営がようやく出来ていたのである。今年はそれがどうなるのかは皆目予想できない。むしろ無理だと考えた方がいいかもしれない。それならばその人手をどうするかである。
 国の予算も震災復興に大幅に振り向けられる。各種の助成金も無くなってしまうかもしれない。民間のそういう支援も変わるかもしれない。そうなったなら計画は一から修正せざるを得ない。難しい状況になった。成り行きを見守るしかない。
 祝賀会のビデオをダビングしてくれた。さっそく映像を見た。感想の一番は『カメラにまだ慣れていないなあ・・・』である。これからの出演の度にお父さんの腕も上がるだろう。・・・しかし綺麗である。さすが・・・いい演奏がまた記録される。今のメンバーがうらやましい。
 『18名のメンバーだとステージって賑やかに見えるものだ。』・・・観衆はそれだけで圧巻な印象を受けたに違いない。5〜6人で活動していた時とはまるで違う。これが今の栗沢太鼓なのか・・・。と自分で感心した。
 平置き台だけでなくて斜め台を使うことがステージを華やかに見せてる。この配置は基本となるかもしれない。毎回の練習を見ているからか、この映像を見て特別な演奏だとは見えないのである・・。各自の実力通りの演奏である。目に見えるミスもほとんどなかった。・・・しかし、始めて見る人には相当な刺激となったかもしれない。
 今日のミィーチィングで『演奏は良かった。しかし行動はよく無い。』とみんなに話した。演奏だけで無いということを憶えて行ってくれればと思う。
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2011/3/18

心地よい気持ち・・・  
 智○からの情報によると福島の工場が稼動不能で一時他の工場に振り分けされるらしい。ひょっとして栗沢工場に来るかもしれない。もしそうなったならみんなで歓迎して迎えたい。智○には栗沢太鼓がついている。仲間のメンバー達がついている。頑張ってくれるだろう。
 祝賀会に出席していた人の殆んどは書道の先生達である。地方に帰ればそれぞれが沢山の子弟や生徒達がいるのだ。栗沢太鼓は田舎の町の太鼓チームである。それが何かの縁で書道展や今回の祝賀会の出演となった。この二つの機会は両方とも気分の良いものだった。
 書道展の出演はサミットの記念演奏会と重なる日となった。依頼を受けた時はその開催は決まってはいなかった。しかし『是非に・・・』というお願いにサミットの方はどうでも良くなった。『演奏曲に合わせて書道家達が書を書く。』そんな機会はこの機を逃したらなくなってしまうだろう。そんな経験をメンバー達がやれるのである。そう決めた時には『何が何でも成功させたい。』と思った。4曲の演奏をビデオに納めて書を書く人数分を用意した。そしてそれが成功へと導いた。その担当した書道家の書が我々の半天の背中に背負う事になった。
 今回の祝賀会はその時の主宰の祝賀会である。本人からの直接の依頼だった。彼の携帯に直接に連絡をして出演が決まった。書道展でのこと、衣装の書のこと・・・そんな会話が彼の気持ちと何かしら重なった。大先生と田舎の太鼓家?との話である。
 『やるからには成功させたい。』・・祝賀会の出演時間も彼と考えがあっていた。最後の時間にセットされた。・・・それだけでこの出演は成功すると確信した。我々のチームの目標は『単独公演』である。2回の海外公演の実績は様々なプログラムを構成できる。祝賀会をどう盛り上げ締めくくるか。得意中の得意である。考えた進行表やプロフィールをFAXした。彼から『感動した。』と電話が入った。そして更に要望の電話も後日あった。それも快諾した。
 人と人との繋がりは気持ちなのである。誠意なのである。誠意を込めれば誠意で帰ってくるのである。書道との繋がりはそこだと思っている。・・・帰路、達成感を大人のメンバー達と語って来た。彼らも満足していた。心地よい気持ちである・・・。子供達も父兄達もそう思ってくれたと思う。
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2011/3/17

常識はずれな・・・  
 智○と掲示板を通じてコンタクトが取れるようになった。安全な場所にいる。飯も食える・・・まずは良かった。
 家の前の国道を自衛隊の大型トラックが何台も苫小牧方面に向かっていった。幌の張った荷台には幕が張られてあった。災害地に向かう車両だ。私達の分も手助けしてやってほしい・・・。
 空知連盟の事務局長から電話が入った。今年は空知の20周年なんだという。その記念事業に演奏会もやりたいという。よく話を聞いていると我が拠点の練習場を全館借用しているのだそうだ。会長から『岩見沢の某氏から頼まれたのだが何かあるのか。』と聞かれたことがあった。寝耳に水である。そして市民センター(旧町民)を借りていると思っていた。連盟の理事に上がっているのは私である。その理事の耳にもいれず練習場である我が会場で演奏会をやりたいというのである。アホである。この会場で10数チームを集めてどうやって演奏会が出来るのだ。判断は出来ない。やり方も滅茶苦茶な常識外れである。
 予算が無いのだという。そして記念誌と記念演奏会をやるのだと・・・。『そんなものやる必要が無い。』といってやった。空知の演奏会は毎年やっているのである。それを頭に20周年をつけて何で別にやらなきゃならないのだ。金が無いなら尚更である。『うちの会場でやるなら出演しないからな。』『岩見沢管内には持ってこないでくれ。』・・・。
 うちのOBの事務局長には協力はしてやりたい。しかし、常識はずれなことには応援は出来ない。『この大災難を理由に止めさせろ。』と話した。もう空知一円から太鼓チームを集めて演奏会を開催する意義が薄れているのである。それを年に2度も3度もやっているのである。各チームもメンバーも飽き飽きしているのだ。
 被災地にうちのメンバーがいることや先日の祝賀会の話しをした。驚いたり、うらやましがられたり・・・。
 『うちの農業祭もどうなるか解からない・・・。世の中は大きく変わると思う。』と告げた。これからは『何が必要なのか。何をしなければならないのか。』という判断である。今の私の頭には何が何でもキャンビーへという気持ちは薄らいでいる。これからの社会の動きがどうなるのか。それは皆目解からなくなった。この大災難は被災地だけで無くて日本全部が被災なのだ。それを認識してこれからの成り行きを見ながら進めなければならない。・・・しかし練習はそれに備えていきたいと思う。
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