2011/4/30

次のチームの為に  
 章○が元気に顔を出した。額にアオタンが・・・前回の後遺症である。メンバー達が集まって『章○大丈夫か?』様子を伺う。心配なし。みんなの中に入ってさっそくワンパク振りを披露している。
 連休中の練習だが集まりがいい。札幌から一○が『就職が決まった。』との報告・・・。智○も早い時間から・・・。そこにひょっこりと陸別の彰○が・・・。『こっちに来たのでよった。・・・ほとんど知らない顔だ。・・・じゃまた・・・』と話をする暇もなく出て行った。ほんの一言二言の会話だった。・・・それだけでもうれしいものだ。
 お兄さん・お姉さんの二人は職場が変わったり、或いは震災で戻ったり、就職した貴○はJA○得で研修中・・とこの春は忙しく報告が続く。4年生に上がった姫○はバレー部に、雄○はサッカー部に・・・。高校に入って卓球部に入った亜○○は退部した。・・雄○は今日退院してまた後日再手術?をするという不確実な報告も受けた。
 これだけのメンバーがいるのである。それぞれにそれぞれの生活がある。災難にあったり、体調を崩すこともある。失敗をしたり過ちを犯すこともある。しかし逆に同じ数だけ良いことも人生にはある。・・・いつまでもめそめそしていては前には進めない。
 「『栗沢の四季』は来年の30周年にメンバー全員で演奏する。」「時間がかかってもいい。全員が覚えてほしい。」・・・ミィーティングでみんなに伝えた。全てのメンバー、全ての太鼓を活用して大きなスケールの『栗沢の四季』を再構築する。
 まだ30周年の事業をどうするかは白紙である。しかし考えは今のメンバー達が主役となる事業にしたいと思っている。彼らが輝いてこそ次の未来があると思っている。
 20周年の活躍が今のメンバー達を呼び寄せ今のチームがある。そして今のチームが次のチームの未来をになっていく活躍をするのである。
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2011/4/28

ただの手段・・・  
 NPOの総会があった。役員と飲食して今帰宅した。はっきりいって役員は殆んどが退職した人達である。私が一番若いのである。職員の他はみんなボランティアなのである。
 2次会に青年会を同じくした3人で流れた。一人はNPOに加盟してからの付き合いが復活したのである。それまでは同じ町内にいても年に数度顔を合わす程度だった。一昨年の総会の後に久しぶりに一献を交わした。それ以来である。
 同じ街にいても太鼓の活動は全くといって解かっていなかった。そして彼の続けてきたバトミントンの活動も理解していなかった。ちなみに彼らの使うバトミントンのシャトル代が年間に数十万円も費やすのだそうである。合併してからの会場費と彼らも大変な運営だったようである。自腹を切った運営もあったと聞く。それでも継続してきたのは何か共感することがあった。
 昨年から栗沢神社の役員となって新年初打ちで元気な声で太鼓を始めたのを耳にしたという。彼は太鼓を打つ反対側で破魔矢やお守りなどを販売する係りだったらしい。太鼓の演奏も見られない。もちろんお年玉の箱なども解からないのである。新年初打ちや農業祭には、OB達も集まってきてお年玉を入れてくれたり盆太鼓を一緒に打つことを話した。『そうなのか・・・』と感心していた。
 青年会時代には『何か楽しいことを・・・』といろいろなアイデアを出して活動をしていた。栗沢太鼓の活動はその延長なのである。活動の基礎はその時代に蓄えられた。その先輩二人との飲食であった。
 『どうやって楽しい活動が出来るか。』・・・それが基本にある。そしてみんなが成長していく。・・・順番はどうでもいい。・・・太鼓もバトミントンもただの手段かもしれない。
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2011/4/27

壮大な演奏を・・・  
 雄○に続いて太○も故障者リストへ。肘を痛めたという。中学校の野球はきついか・・・。
 練習前のレクで章○がステージから落下。『ドーン』という音に驚いて近寄った。どういう状態だったのかは解からなかったが自損事故である。顔面を強打。おびただしい鼻血が・・・『大丈夫か?』の声にもただ鼻を押さえるのみ。そしておでこにたんこぶが・・・。しかし涙一つ見せない・・・気丈である。・・・あの札幌での祝賀会でも堂々とノンミスであった。・・・お母さんを呼んで強制帰宅させた。
 センターの雄○が長期離脱・・・センターがいなければ練習とならない。急遽、小締担当の一人の有○をセンターにコンバートした。抜けた小締は4年生の姫○に踏ん張ってもらう。・・・彼女も真剣となった。
 今日は『春』『夏』を分解練習である。久しぶりにお姉さんも駆けつけ熱も入る。センターにコンバートの有○は楽しんでいる。メンバーには『どこでもこなせる様になってもらう。取りあえずは今のパートから覚えろ。』と話してある。分解練習でまだ覚え切れて無いところを再練習し自分のものにしていく。何度も繰り返せば低学年達も自分のものにしていける。
 最終的には今の『雄飛』の太鼓配置での演奏パターンに持っていきたい。最低人数での『四季』と全メンバーでの『四季』、二つの演奏パターンである。大締太鼓・中締太鼓・斜め台・・・全太鼓を総動員した『栗沢の四季』である。・・来年の30周年でその壮大な演奏を街の人達に見てもらえるように・・・。
 
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2011/4/25

身の丈の合った活動・・・  
 市議会選挙が終わった。旧町内の市議は4人から3人に減ってしまった。落選したのではなくて出馬をしなかったのである。栗沢太鼓にとっては相談役が一人減ってしまったことになる。出馬しなかった彼には失望した。もし早くからそういう結論であったなら彼の後継者を出馬させれたかもしれない。元気を失っている旧町内から一人でも多くの議員を議会に出したいとみんな思っていたはずだ。それがこのだらしない結末である・・・。ちなみに昨年、彼のご子息の結婚祝賀会に我がチームは出演したのだった・・・。
 大震災の状況を見るたびに市町村の首長の役目がいかに大切かを思い知った。さてこの市があの様な状況になったなら首長はどんな行動をとるか心配になった。昨年のゴミ問題そして給食の食中毒・・・。新聞を賑わしている。
 知り合いの滝○市の旧市長は落選してしまった。彼は気の毒だった。小学校のいじめや不正支給などと貰い事故のような責任問題があった。・・・しかし落選してほっとしているかもしれない。彼の性格は首長を務めるというタイプではないと感じていた。
 夕○市には30歳の若い市長が誕生した。そのバックには東京都がついている。これは大きく変わるだろう。夕○太鼓にもいい影響となるだろう。
 赤○市では太鼓の指導者が市議となった。空○連盟の会長にも就任している。空○の活動の中心が中空○になってもらえればと願っている。・・・我々の管内には問題が多すぎるからである。
 こういう活動は一生懸命過ぎてはならないと思っている。適度が継続していける活動なのである。中心になる、主導権をとる・・・そういう野心を持ってしまうと決していい方向には向かわないのである。所詮、アマチュアのチームなのである。当たり障りの無い適度な活動が結局はチームを活性化していくのである。いつも1番になる活動を目指してはならないのである。今の身の丈のあった活動である・・・。
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2011/4/24

『自由』とは・・・  
 新学期になって3年生となった二人に『もう大きいのだから一緒に遊ばないよ。』とつげた。彼らは他の先輩達の中に入って一緒に行動することを学ばなければならない。それは子供達の中で自然に作られる事が良いと思うのである。
 7:00からの練習に間に合わないメンバーがいる。部活をしているメンバー達は終わった後食事をとって集まってくる。高校生達もこの時間には間に合わない。練習開始は7:30にしている。その間はメンバー達の自由時間なのである。1〜2年生の低学年はなかなか先輩達と一緒の遊びに入っていけない。そんな彼らと遊ぶのを日課としていた。しかし、どこかで線引きをしなければ彼らは仲間達と遊ぶということを学んで行かなくなる。どこかで変化を与えなければならない。
 子供達を全て管理しようとは思っていない。彼らの自主性を養い自立心を作っていく。それには彼らの自由に使える時間も必要なのである。
 7:30に大声が会場に鳴り響く。『終わり、太鼓を出せ。』・・・遊びに熱が入るとすぐに切り替えが出来ない子もいる。そういう子には怒鳴り声で叱る。みんなで太鼓を出しすぐに練習が始まる。いつもの基本練習は欠かさない。その後はミーティングを入れてその日のメニューが決まる。
 『自由』は大切だと思うのである。全て管理された練習では窮屈だろうし意欲も生まれない。しかし自分で自分の練習を発想するのはそんなにはいない。何も告げなければ『何をしたらいいのですか?』と殆んどの子は聞いてくる。自由練習としても具体的な練習メニューを告げなければ大半の子は練習にならないのである。
 キャンビーの中学校で一番感じたのは生徒達の行動だった。1,200名の生徒が整然と体育館に集まってくる。開会のセレモニーで私語は殆んど聞こえなかった。ところが演奏が始まるとその感情を思いっきり表現するのである。『自由』の大国・・・しかし生徒達はマナーとルールをしっかり守っている。・・・『自由』を取り違いしてはならない。『自由』はだらしが無いのではないということなのである。『自由』こそ一番厳しいということなのかもしれない。
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2011/4/23

彼らにとっての新曲  
 中学生の欠席が多かったが『四季』を最初から復習していく。今日は『春』である。リズムの確認、回数の確認をしながら覚えていく。回数を追うごとに少しずつ形になっていく。次回は『夏』・・・とまた一回りさせて組み立てる。そしてまた『春』からやり直す。そういう練習を繰り返し本物にしていく。
 センターの代役を今は智○に頼んでいるが、雄○の復帰にはしばらく掛かりそうだ。もう一人センターを養成しようと思う。後々には何人もこなしてもらうつもりでいる。まずは先人を養成するのが大切なのである。
 子供達だけでの『栗沢の四季』が目標である。高学年が重要な箇所を受け持ってまずは習得し、そこに小学生達も加わる。そして更に大人達も加わった形にもしたい。大締太鼓を含めた全太鼓を使った『栗沢の四季』も演奏したい・・・。今までの想像を超えた曲に進化させたい。時間は掛かると思っている。しかしメンバー達は気持ちを失うこと無く取り組んでくれると思っている。
 来年は30周年である。隔年にはその記念曲を創作して来た。しかし今のメンバー達は栗沢太鼓のオリジナル曲を全てマスターはしていない。そして更に新曲となってもその後の活動に生かされる可能性は低い。むしろ『栗沢の四季』『暁の音』などのオリジナル曲を復活させる方が彼にらもチームにも利点が多いように考える。・・・彼らにとっては新曲なのである。
 変化に富んだ曲を持っていることは様々な環境にも対応できる。そして観衆をあきさせない構成の単独公演でも活用が出来る。チームの強いところなのである。それが1時間を越える単独公演を可能にしている・・・。
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2011/4/22

心で表現する曲に・・  
 10周年記念曲はその後の20周年、来年の30周年に必要な曲となった。この曲があるか無いかで我々の活動も大きく変わっていただろう。もしこの曲がなかったなら海外へという考えは生まれなかったかもしれない。それだけ影響力を持った曲なのである。
 この曲を先生にお願いした時に『本格的な曲を・・・』というリクエストを出した。1年以上をかけて創られたこの曲は20分にも及ぶ大作となった。その分演奏する機会が少なくお蔵入りとなってしまったのだった。
 10年前の子供達もこの曲を復活させて大きな夢を手に入れた。今度は今の子供達がこの曲をものにして自らの夢を引き寄せるのである。この曲を今のメンバー達が演奏出来るようになったなら、それは大きな飛躍である。
 これまではテンポの速いリズミカルな曲が大半だった。成長してくるにつれて表現力を要求する『絶世』にも取り組んで来た。そしてその集大成がこの曲『栗沢の四季』である。
 今年の農業祭までとか・・・年内に・・・という目標設定はしていない。時間をかけてじっくりと取り組んでいく。メンバー達の心で表現できる曲にしていく。促成栽培ではこの曲は本物にはならない。そして中途半端な完成ではなく本物になった演奏が出来るようになって披露させたいと思う。この曲にふさわしいシュチュエーションでである。それは30周年の来年の華となる場である。
 威勢が良くて迫力があるだけが太鼓ではない。四季を太鼓の音で表現する。・・・雪解け・・嵐や雷・・・初雪・・・吹雪・・・そして人々の心の動き・・・それは難しい演奏となる。しかし・・必要な能力である・・。
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2011/4/21

新しい発進・・・  
 発足当時の会の顧問は町長・農協組合長・商工会長だった。この三大組織は地域にはすでに無い。町も農協も商工会も合併してしまい、その都度顧問も相談役も様相を変えて来た。現在の顧問はNPOの理事長と前会長である。
 NPOには二人の役員を会から出している。会長はNPOの副理事長を務め私は監事を務めている。現状では栗沢太鼓のよりどころは市の行政ではなくて旧町内のスポーツ・文化団体を網羅したこのNPO法人である。
 市町村合併した時に期待したのは市内の太鼓団体を網羅した○鼓連だった。その内部に入り内容を知るにつれ愕然としたものだった。余りにもお粗末であった。行政とのパイプは牛耳る個人とのパイプであり、ワンマンな運営は総会も監査も会計簿も無い惨憺たる組織だった。そんな組織に期待をしていたのである。そんな団体がまかりとうるこの市にも疑問も感じていた。
 市内の太鼓団体を網羅するという組織ならば、それなりの組織力が生まれるはずである。それが組織を作る目的なのである。しかしこの団体のリーダーはその組織力を個人の力にして利用したのである。そして周りもそれを許してきたのである。これはリーダーだけの問題ではない。組織の構成する全ての役員の失態なのである。しかし、そのリーダーを失脚させても他の役員はその失態を一つも認めようとはしなかった。・・・これはもうこの世の中に必要の無い組織なのだ。
 まずは我々が存在する意義を持った会にならなければならない。無法の集団であってはならないのである。管内の組織や全国を網羅する組織に入っていればいいということでは無い。底辺の地域や市町村の行政など、よりどころとなる所が会には必要なのである。
 町の社会教育団体であった組織は合併と同時に行政から見放された。期待の団体は無法の団体だった。今我々がやれることは、この地域からの新しい発進なのかもしれない。
 所詮、太鼓のチームではあるが・・・されど、あなどってはこまる・・・
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2011/4/20

安住の地・・・  
 NPOの監査が夕方から・・・。NPOは本体と文化センターの運営管理の二通りの活動がある。昨年から引き受けた監事は本体の活動の方である。しかし現監事の一名が市外に移動することになって欠員が生じ来年からは運営委員会の監事も行うことになってしまった。・・・経理には全く自信はないが今までの知識の中で正確性を見ることにしている。
 NPOの財政は順調である。今年も各組織にはいくらかの補助が期待できる。文化センターの使用者数も順調に増えて2万人を越えた。前年より2千人増、合併前よりも多い利用者数となった。一晩単位から1時間単位の利用料に変更した。栗沢太鼓の嘆願によっての変更だった。それが足を引っ張らないかと心配したが利用料は逆に増えた。使用しやすいということが功を奏したのか・・・。
 旧町民センターも近々管理運営を民間に移行するようである。NPOではその管理も申請の予定でいる。
 支所機能を加えた多目的センターの構想がある。練習場の文化センターも将来的にはこのセンターに集約するのではないかという予想である。文化センターも確かに老衰化している。そうなったならば我々の拠点もそのセンターに入らなければならない。太鼓類が保管でき活動できるスペースも確保しなければならない。情報収集とそして希望・要望も必要になる。
 栗沢太鼓は発足から練習会場を幾度も変えて来た。現会場は4箇所目なのである。やっと安住の地となったのである。・・・もう流浪の旅はゴメンである。
 実績は積んできたと思っている。この地域の大切な文化の一つだと思っている。
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2011/4/18

アイデアを・・・  
 5周年・10周年は旧町民センターで何チームかを招待して記念演奏会を開催した。5周年には沢山の街の人達が見に来てくれた。しかし10周年は閑散たるものだった。この街で独自に演奏会を開催してもお客さんはやっては来ないと感じ取った。その後の15周年・20周年は農業祭のプログラムに入れてもらい開催した。関連の何チームかを招待してその演奏会は盛会だった。
 25周年は市町村合併の翌年だった。会の財政は緊迫していた。他チームを招待しての演奏会を断念した。しかし、みんなで記念曲を創作しやぐらステージを始めて使いそれはそれなりの記念演奏会となった。単独の記念演奏会だったが盛会だった。その後の農業祭でも演奏会はこのパターンで行っている。しかしリスクも伴う。天候の心配とメンバー達の負担である。演奏会そして盆踊りとメンバー達にとっては長い夜となる。みんな手にまめを作りへとへととなっての一夜となる。昨年は暑い一日で部活を終えて駆けつけたメンバー達は疲れ果てていた。今年の農業祭はまだ白紙である。しかしメンバー達が揃って集まれるのは今までの時間帯しか無いかと思っている。
 外の祭りは天気次第である。しかしそれを想定ばかりしていては大胆なことは発想できない。想定外のことが起きればその時に対処すればいい。
 大やぐらの太鼓配置で他のチームも演奏してもらう。そういう演奏会が出来ないだろうかとも考えている。30周年に向かっての課題である。
 30周年の記念演奏会は農業祭となると思う。そのプログラムは突飛なアイデアで面白い形で行いたい。その為には想定外の発想が必要になる。アイデアを望みたい・・・。
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2011/4/17

輝く活躍の準備・・・  
 ファイターズの『ゆうちゃん』は初先発で初勝利を上げた。栗沢太鼓の『ゆうちゃん』は明日入院して火曜日に手術だそうである。野球も太鼓もしばらくはお休みである。主力戦力の『ゆうちゃん』の早い完治と復帰を祈りたい。
 空○連盟からの資料が間もなく届く。今年の太鼓シーズンのスケジュールも来月にはおおよそ出来るだろう。例年とは違う出演依頼も来ているがチームの実情を超えるようなことはしないつもりである。町内、管内を中心にした出演としたい。
 農業祭の内容は実行委員会が立あがってからのこととなる。今は全くの白紙である。日程もまだ知らされていないが昨年の様な遅い日程とはならないだろう。30周年を迎える来年に向かってのプレ演奏会的なこともと思っている。あくまでもメンバー達が主役となるようなお祭りにしたい。
 今年の全出演に大震災の復興募金を行う。農業祭が特に中心になる。その為の募金箱や幕なども用意しなければと思う。目標額は何も考えてはいない。出演謝礼の一部も募金に回すことにしている。先月に大きな出演があって、昨年の謝礼合計は越えるだろう。その超えた分は募金に回しても運営に支障が出ないと考えている。募金先は赤十字社か関連の行政ではと思っている。どちらにしても高額にはならないが栗沢太鼓の気持ちを伝えたい。
 太鼓シーズン・・・そしてその先の目標に向かって今は準備の段階である。その準備がメンバー達の活躍に結びついていく。みんな輝いた活躍をしてほしい。
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2011/4/16

形が見え出した・・・  
 雄○が指の手術で1ヶ月の故障者リスト入り。『四季』のセンターは当分見送りである。練習では智○が代役を・・これも当分務めてもらう。
 練習前に空○太鼓連盟の事務局長に電話を入れる。昨夜、懇親会中に電話があったのだが気がつかなかった。連盟の20周年の演奏会の対応についてであった。6月予定のキタオンの演奏会の頭に20周年を載せるということだった。賛成した。栗沢の会場はキャンセルするそうだ。ただ悪天候ではキタオンは中止となる。その代替会場を用意しなければならないということだった。第一案は北村の体育館ということだった。
 今日の練習にはお兄さんが3人揃った。練習は彼らを中心にして進めてもらった。『四季』を通して行った。まだまだよちよち歩きである。不安な秋・冬を分解し確認しながら再び・・そんな練習が今後も続くだろう。ちなみに通しての時間は15分だった。本来の演奏時間は17分である。テンポ・間の取り方でこの曲はこれだけの差が生まれる。曲の演出はまだまだ先のことだがお兄さん達が入って少し形が見え出した。小学生達も少しずつ身に付けるのが見えて来た。この曲を演奏できる可能性が出てきた・・・。
 低学年達もこの曲の練習を一緒にやってもらっている。彼らには別メニューでと思うのだが、同じ会場で別の音があるとこの曲の練習に集中できないこととなる。もうしばらくは彼らにも付き合ってもらう。これからは部活などで上級生達が欠席することが多くなる。そういう時は低学年を中心の練習プログラムにしたい。
 わずかな時間帯では練習プログラムを幾つも同時進行ができないのである。レベルの高い練習に参加することは今後に必ずつながる。見よう見まねがいつの間にか身についていくことになる。決して無駄にはさせない。
 お姉さん達が最近顔を出さない。元気なのか? うまくやっているのか?・・・彼女達にはまだまだやってもらいたいことがある。演奏することだけが役割では無い。若いメンバー達にはお兄さん・お姉さん達の存在がまだまだ必要なのだ・・・。 
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2011/4/15

活動拠点・・・  
 今晩NPOの会議があった。会長はNPOの副理事長である。そして私は監事を務めている。NPOは栗沢町内のスポーツ・文化の集約した団体であり我々の練習会場の管理団体でもある。営利な部分と非営利な部分の両方の活動をしている。我々の活動のサポートもしてくれている。市町村合併をしてからの大きなサポーターでもある。運営は順調であり今年も何らかの援助を見込むことが出来そうだ。
 『チームの活動の拠点としたい。』と理事長に嘆願した。・・・父兄達の気遣いで小学校の体育館を無料で使用できることが出来た。しかし大締太鼓や備品の全てを移動が出来なかった。移動できない物を保管してもらって練習は無料の小学校へという厚かましいお願いだった。
 市の管理からNPOへの管理となって利用料を一番支払っている我々のチームが突然移動したい。そして移動できない太鼓類を保管してほしい。それは身勝手な相談だった。しかし、その利用料は年間35万円にものぼった。それはその支払いだけで何も出来ない状態だった。メンバー達に我慢に我慢の活動をしいらげざるをえなかった。
 実態を知った理事長は動いてくれた。市長も市議も出来なかったことが我々の希望になったのだった。ただという事にはならなかったが今までの半額以下の利用料となった。そして何も遠慮しないで活動できる拠点となったのである。
 これは大切なことなのである。我が家があって生活するのか、救援所で生活するのかという違いなのである。『あそこの場所でいつもの曜日に太鼓のメンバーが集まっている。』・・それが大切なのである。アバウトな活動ではなくルーティーンな活動である。
 『心のよりどころ』となる活動である。苦しければ、疲れていれば休んでいい・・・。自分の自由で束縛されなくて活動すればいい・・・。それは心に負担のない活動になるだろう。
 決まった活動と自由な活動・・・そういう活動がみんなが求めているものではないだろうか・・。それが出来るのも拠点となる場所があってのことなのである。
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2011/4/14

趣味の範ちゅうで  
 新学期になって練習の集まりが悪くなった。これは毎年のことである。それぞれの環境が変わった1学期はどうしてもこうなる。その時の集まったメンバーで内容も変えての練習となる。
 今年はまだ新しいメンバーがやってこない。低学年が一人でも二人でも入ってほしいのだが・・・。将来に希望を続けさせたい。・・・来年は間違いなく一人は増えそうだが・・・。
 我々の活動は一年一年全く別物である。その年のメンバー構成や人数でも変わるし内容でも変わる。幼かったメンバー構成だった数年前と今のチーム事情は全く違う。幼かったメンバー達は成長し実力が備わりそれなりのステージもこなせるようになった。このメンバー達ならどこへ出しても恥ずかしくは無い。依頼される出演機会も毎年増えている。これだけのチームになればどんどんと出演させたいところだが、それはあえてやるつもりは無い。あくまでも都合のつくメンバーで対応していくだけである。そして出演イベントも選択するつもりでいる。
 我々のチームはプロのチームでは無い。目先のお金や見栄で活動しているわけではない。あくまでもメンバー達の趣味の範ちゅうであり、それが成長となってくれればいい事なのである。
 考えを一つ誤れば企業などの営業に利用されたり、安価な謝礼で興行にも担ぎ出されることになる。これでは我々のチームの考えとは相反することになる。しかしその判断は微妙なところがある。多くのイベントは農業祭の様な手作りではなくてプロダクションに依頼して開催するところが増えている。そうなるとプロダクションからの依頼という形になるのである。地方のお祭りでも実態はそういうことが多い。これは興行とはならないが、プロダクションが絡むことによって隣町の祭りにお呼びがかからないということもあるのである。
 今のスタイルを貫きたいと思っている。メンバー達には学校を優先し、そして太鼓をやってほしいと思う。それが出来る活動を目指していく。
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2011/4/13

出演依頼・・・  
 郵便屋さんが『こちらでいいのですか?』と封書を見せた。住所は我が家、宛名は栗沢太鼓同志会、しかし氏名欄は会長の名前であった。『OKです。』と郵便を受け取った。
 ある太鼓チームからの出演依頼である。8月と10月の二つのイベントである。5月中旬までに出欠を求めて来た。会場は管内を出て長距離となる。・・・全く興味が無いわけではないが返答のしようが無い。近隣ならば何とかなるかもしれないが、長距離となると・・・。そういうチーム事情である。
 昨年の兄弟太鼓の記念演奏会を見てのお誘いなのだろう。気持ちは大変ありがたい。しかし出場できても去年の歌○内のような数名となるだろう。そしてその近辺には町内や市内のイベントの予定もある。・・・さてどうしたものか。
 こんなお誘いがあるということは、それだけ一目置かれた存在となったということなのだろう。しかし、我々は我々のペースで物事を進めたい。チームの意思はメンバー達の意思である。その意思は強制したり強要するものではない。しかし全てがそうなってはチームの存在意義が無くなってしまうし社会から認めてくれなくもなる。どう導き、どう判断していくか。それが難解なところなのである。
 役員やメンバー達と相談して今回の返答をしたいと思う。少数でもチームは組める。それでも行きたいとなれば出演する。みんなで行きたいとなったらお断りするしかない。しかし子供達にその判断は委ねられないだろう。出来るならば高学年以上が揃って出演できる体制で・・・と思うのだが・・。
 
 
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