2011/5/31

まいった!  
ただ今、携帯から投稿しています。パソコンのosが立ち上がりません。いろいろとやってみたのですがアプリケーションエラーの表示が・・・
明日市内に用事で出かけるのでショップで見てもらう事にします。
復帰しないと面倒なことになっちゅう・・・大変だ・・バックアップしていない資料・・・
0

2011/5/30

個性豊かな・・・  
 後半に残ったのは子供達が7人、お兄さんお姉さんが3人。最後に体育館を全部使い太鼓を円く配置した。全員が見渡せるようにして『雄飛』の演奏である。
 1番・一○、2番・亜○○、3番・姫○と章○、4番に大締太鼓で智○、5番・男子組の修○・太○・玲○・允○、6番・麻○。練習で久しぶりのこの曲の演奏だった。『四季』や『絶世』・『山彦』と・・・前半の短い時間帯では『雄飛』の練習は置き去りである。しかし、これからの太鼓シーズンに入ればこの曲が中心となる。
 毎年リニューアルを繰り返してきたが、今年はこの曲に手を加えなかった。いや、加える時間が無かった。しかし今の状況は全員でも少人数でも自由自在に変化させて対応できる。その時の参加状況でどうにでもなる。みんなそういうレベルとなった。運動会の二人の演奏もこの曲を利用する。
 コンクールの戦略曲として1年をかけてこの曲を創って来た。昨年は空振りに終わってしまったがもし今年も参加するとなればこの曲がベースとなる。
 1年をかけてのこの取り組みがこの曲の幅を広げた。普段の演奏の利用価値が数段に広くなった。一人一人のソロ演奏で繋いだ原曲は、そのままの形でも20人を越える全員でも活用出来るようになった。少人数だった過去の時代は個人技を磨かせた。それぞれが個性豊かな演奏を目標にした。多人数となってからの目標は同調性だった。そしてそれを一歩前進させたのが昨年の取り組みである。同調性+変化である。
 しかし個性豊かな演奏を捨てたわけでは無い。メンバー達はそれぞれの個性も持ってほしいと思っている。美しい演奏だけではパフォーマンスとはならない。アクの強い個性も必要である。それが許されるのもこの曲なのである。
0

2011/5/28

スイッチ・・・  
 音響が調子悪くガレージに設置してあったアンプと交換してみた。しかし同じ症状であった。これはカセットデッキが原因とわかる。あっちこっちのスイッチをいじくっているうちに音量が復帰した。原因はラジオなどの切り替えスイッチだった。この接触不良のようである。何ヶ月も使用していないでこの現象が出た様である。去年の原因もこれだったのだ。それがセットし直しているうちにいつの間にか直っていたということのようだ。
 運動会の演奏を5年生の去年に経験している雅○は余裕がある。しかし5年生で助っ人の玲○はもう既に舞い上がっている。・・・この男を・・・どうにか男にしたい。
 彼の心を変化させる大きなチャンスである。・・・『やれと言われればやる・・。』と彼の返事を貰った。これは彼が腹をくくったことなのである。もう逃げ出せないのである。
 演奏リズムに問題は無い。後は彼が開き直って無心で演奏が出来るかである。技術を持っていてもそれを出し切れない・・・。それは心の問題なのである。彼の弱さはここにある。・・・これからの1週間で彼の心を変えてやらなければならない。なよなよして見受ける彼を堂々とした男に変身させたい。
 彼だけではない。誰しもがこの道をたどっていくのである。心のスイッチといっていいかもしれない。故障したデッキのスイッチみたいなものである。心の接触不良を通電してやるのである。しっかりと心をコントロールが出来るスイッチをである。
 『間違ってもいい、思い切ってやる・・・』そういう心のスイッチである。
0

2011/5/27

割り切った活動・・・  
 野球部の練習を終えてユニフォーム姿で練習場に集まってくる。家から段ボール箱に入れられて夕食が届きロビーで夕飯となる。市街の子は家に帰って夕食をとってから集まってくる。JRで遅れてくる高校生もいる。・・・メンバーも父兄もみんな努力してくれている。
 運動会の太鼓演奏は6年生の恒例になろうとしている。これはメンバー達にも応援してくれている家族達にもいい励みと楽しみとなる。そして私もメンバー達の運動会を見に行く切っ掛けでもある。
 勉強に部活に太鼓にと身体にも負担がかかるはずである。それでもみんな楽しんで太鼓をやっている。部活を優先し都合のつくメンバーで活動する。疲れた時は練習を休んでいい。やれる範囲で活動をする。
 幾つかの出演依頼が来ている。メンバー達が上達するにつれ今までに無い依頼も舞い込む。メンバーが揃いそうに無い依頼はお断りすることにしている。何でもかんでも出演に対応しようとは考えていない。『部活に迷惑をかけるな。』・・・そういう活動をしなければならない。
 付き合いだとか、義理だとかで一方的に依頼されてもそれには対応は出来ない。無理難題をメンバーに押し付ける気は無い。彼らが可能の範囲で活動が出来ることが一番いいと思うのである。
 地元での恒例の出演が幾つかある。それらは大切にしたいと思っている。家族達も集まりやすいし街の人達へのアピールにもなる。お年寄り達は地元の子供達の活躍に目を細めている。我々のチームは名前を売ろうとは考えてはいない。しかしメンバー達の演奏は光り輝き観衆を魅了させたいと思うのである。
 メンバー達をないがしろにした活動はいつかは破綻してしまう。チームの環境ではプロまがいなことは出来ない。いい演奏だから出演依頼がくる。だからといってそれに全ては答えられない。割り切った活動をしなければと思っている。
0

2011/5/25

運動会・・・  
 『先生から運動会での太鼓を相談してほしい。』と・・・6年生の雅○が話して来た。6年生は雅○一人である。昨年も6年生は太○一人で5年生の雅○が助っ人という形で演奏した。今年も5年生から一人助っ人に回ってもらうしかない。5年生には4人のメンバーがいる。
 5年生の玲○が会場に現れ雅○と3人で相談した。玲○に『運動会で雅○と二人で演奏してもらえないか。』と頼んだ。『やれと言えばやる。』という返事だった。本人はまんざらでもなさそうだ。『しかし、来年は6年生になっても他の3人に演奏を譲ってほしい。』とまた頼んだ。それも了承してくれた。
 ミィーティングでその話をみんなに告げた。全員は揃っていなかったが他の5年生達は『来年はやらなければ・・・』と思っただろう。運動会の演奏は恒例になりそうだ。
 雅○と玲○の演奏のアレンジを経験した先輩の修○と太○に頼んだ。大まかのイメージを伝えて・・・。
 今日は運動会での演奏もあるので基本練習の後は自由練習とした。『課題を持って練習してください。』と告げてそれぞれに分かれた。男子組は運動会の練習に、中学生の女子組は『絶世』や『雄飛』『四季』などを、低学年達は子供盆太鼓である。
 小学生にとっては運動会での演奏は絶好の目標となった。グラウンドのど真ん中で、全校児童や沢山の父兄の目を釘付けにするのである。それは彼らの晴れ舞台である。そして、かっこういいのである。
 低学年から練習を積んできたことが運動会という学校行事で花開く。我々の活動が地域に根ざし教育関係者にも理解されている。学校とタッグを組んで子供達を育てるのである・・・。
0

2011/5/24

義援金への取り組み  
 道西支部の総会に出席できなかった。その資料が今日届いた。日本太鼓連盟で義援金を集めている。その案内も同封されていた。この義援金は被災した太鼓団体へ太鼓購入などに当ててもらう為の資金になる。栗沢太鼓は独自で義援金を集める行動をとる。しかし、我々の義援金は赤十字社か智○の在住する南相馬市へと考えている。まだ役員会も開いていないので具体的な内容にはなってはいない。日本太鼓連盟の義援金は太鼓仲間への支援である。今月中の納入なのだが農繁期には会議も開けない。独自の判断で対応をしたいと思う。
 栗沢太鼓の義援金は出演謝礼の一部と演奏会場に募金箱をおいて集めたいと思っている。出演謝礼の一部はおおよそ謝礼の半額と考えている。その額ならば今年の運営に支障は出ないという判断である。そして支援先は智○の在住する南相馬市と考えている。どれだけの義援金を集められるかは解からないが、この取り組みはメンバー達の気持ちを育てたいという一つの機会も思っている。
 太鼓の仲間への支援、メンバーの在住する地域への支援・・・そう考えたなら切が無いのである。我々のやれる範囲でやれることをする。そう考えたなら太鼓仲間への支援は他の太鼓チームに任せたい。我々のやれることはメンバーの住む街への支援に集約したい。・・・大それた額にはならないかもしれないが・・・。
 あちらでもこちらでも義援金募金を行っている。それはいいことである。しかしそれぞれの考えがいろいろあることも理解してほしいと思うのである。今回の義援金の徴収の案内は余り誉められた文章ではなかった。組織は強制するものでは無いのである。そういう言い回しをする文章は・・・・。それが残念である。
 
0

2011/5/23

ガラット変わった・・・  
 駄々っ子だった風○は春から3年生となった。その彼女の行動がガラット変わった。練習は積極的で少しの注意も見落とさないようにと真剣である。準備も後片付けも率先してやっている。
 一方、同じ3年生に上がった海○はまるで変わらない。男の子は晩生ではあるが幼さが抜けないでいる。みんなと遊ぼうとしないで広い体育館で一人遊びである。一人っ子という環境もあるのだろうか。さすがに『寂しい』と泣き出すようなことはなくなったが・・・。
 わずかな練習時間ではどこかの箇所を集中的にという練習が出来ないでいる。その日の集まり方で低学年を中心にしたり高学年だったり或いはその両方ということになる。どちらにしても時間が少なく際立って変化する様な上達とはならない。・・・毎回見ているからなおさら感じるのかもしれないが。
 お兄さん達が現れた時には彼らの力を借りている。子供達もそのアドバイスに耳を傾けるし、見る目が増えることはグループ分けも増やしていける。いるといないでは練習内容がガラット変わってくる。メンバー達にはありがたい存在である。
 ここ2〜3回は高学年の『絶世』に力を入れている。この曲をいつでも使える曲となればチーム事情が随分変わる。今でも演奏には支障は無いのだろうが完成度となると今一である。メンバー達が自信と余裕を持たなければ実践ではなかなか使えない。『四季』の練習を中断してこの曲を完成させる。そしてまた『四季』の練習に戻りたい。その頃には栗沢太鼓の『ゆうちゃん』もカムバックしているだろう。
 
0

2011/5/22

本物の・・・  
 お兄さん二人が大締太鼓に立ち向かっている。何年間のブランクを取り戻そうとである。一時は道内最大のサイズでもあった栗沢太鼓の旗艦である。そうたやすくはこの太鼓は打ち込めれない。ブランクのある鈍った身体はこの太鼓に跳ね返される。何年も締められていないゆるんだ皮はなお彼らを苦しめている。
 彼らの最盛期の頃はこの太鼓を見事に打ち込んでいた。・・・絵になる綺麗なフォームであった。週に一度でも打ち込んでいけば、そう長くはかからないで元の演奏技術は取り戻せるだろう。そしてそれを越えていけると思う。その時はこの太鼓も表舞台に出さなければならない。いつまでも練習場の肥やしにはしておけない。その為には彼らの復活が必要である。
 彼らがこの太鼓を打ち込めば、今度はその後輩達もこの太鼓を目指すようになるだろう。いつまでも3尺の締太鼓で満足していては困る。彼らの最終の目標は手ごわいあの大締太鼓なのである。その太鼓の挑戦者となってほしい。
 この大締太鼓を入れた演奏が本物の栗沢太鼓である。今はその本物に向かっての成長の過程にすぎない。運搬するのに人集めに苦労する・・・そうならなければ栗沢太鼓の本物でないのである。そんな苦労を早くさせてほしい。
0

2011/5/21

難しい課題へ  
 修学旅行から帰った育○が『これ修学旅行のお土産です。高○さんにだけでなくみんなにです。』と先に念を押された。・・・『俺にか?』といういつもの言葉をそぐわれた。・・・仕方なく『なんだ俺にでないのか・・・。』中学校の修学旅行は震災の影響でいつもの東北地方ではなく大阪・京都だったということだ。…高校生級だ・・・。美味しいせんべいでした。ありがとう・・。
 今日も休んだ子が多かった。基本練習の後、『山彦』と『絶世』そしてその後は自由とした。
 特に『絶世』を重点的に修正した。この曲は非常に難度の高い曲である。それだけに技術力が物をいう。すばらしい曲となるか、茶番な曲になるかはメンバー達の能力に掛かる。
 彼らの年齢での演奏能力は過去のメンバー達には例が無い。それだけに『惜しい・・』のである。演奏能力は充分にある。難しいリズムも難なくこなす。しかしこの曲はそれだけでは表現できないところがある。間の取り方、強弱・スピードの変化、気合の入れ方・・・それらの表現力が加わらなければこの曲は光らない。・・・それらをマスターするのがもう一息なのである。
 キャンビー公演の時はこの曲を封印した。その時のメンバーではこの曲は消化できなかった。未完成の曲をプログラムから外したのである。確かに演奏は出来ていた。しかしあえて外したのは中途半端だったからである。今のメンバーの演奏と同じなのである。消化し切れていないのである。
 リズミカルな曲は若いメンバー達は得意である。乗りに乗って楽しんで演奏する。そういう曲は観衆にも充分に受ける。しかし表現力を必要とするこういう曲は子供達には消化不良のところとなる。 今回『四季』を中断して『絶世』の練習に戻したのは、『絶世』を完成させ『四季』の表現力に活用したいこともある。子供達には難しい課題なのである・・・。
 
0

2011/5/19

やれることをやる・・・  
 夕べの練習は修学旅行や宿泊研修で集まりが少なかった。低学年の練習を中心にした。『山彦』そして『子供盆踊り』・・・その後は自由練習とした。
 久しぶりに鳴らした音響の調子が悪い。そして久しぶりの子供盆太鼓も心許ない。音響も子供達もまた調整が必要か・・・。
 カリキュラムに則った練習とはなかなか行かない。メンバー達の都合もあるしチームの都合もある。依頼があればその準備もしなければならないし目標に向かった練習もしなければならない。それら全てをカリキュラムにすることは無理でもある。
 上達をしながらレパートリーを増やし出演にも対応する。やりたいことは一杯あるがチーム事情だけの練習でもダメである。メンバー達もやりたい練習がある。そういう時間も作ってやらなければならない。
 『自由練習にする。』・・『何をやればいいんですか?』と聞きに来る。『やりたいことをしなさい。』と答える。・・・先輩を引っ張り出して教えを請う者もいれば、後輩を引き連れる者もいる。自分一人で窓ガラスに映る姿を見て練習する者もいる。自由と聞いて遊んでいる者もいる。・・・そんな時間を作ってやることは必要だと思っている。自分で考えたり工夫をしたりと・・・
 決まりきった活動ではなく、大らかで自由奔放な活動をしていきたい。しかし、いざ何かあれば全員が束になる。そういう団結力もある。
 それはすごい太鼓チームだからということでは無いのである。普段の練習を演奏本番に出せばいいのである。我々の演奏に見栄や我はない。いつも自然体で・・・そしてやれることをやる。それは逆にすごいことなのかもしれない・・・。
0

2011/5/17

イメージを持って・・・  
 『迫力のある太鼓を目指す。』それが目標だった。しかし、大きな音を出せばいい太鼓なのだろうか。少数の時代はそれでよかったかもしれない。今の時代の様に数十台もの太鼓を一度に演奏するのである。全員がただ大きな音を打てばそれでいいとはならないのである。太鼓は少なくとも音楽である。鑑賞する人には心地よさを感じ取ってもらわなければそれはただの雑音でしかない。
 迫力のある太鼓とただの雑音とは微妙なところである。大きな音を出せばそれでいいのではない。太鼓本来の音をどう出していくかだと思うのである。心をうきうきさせたり和ませたり驚かせたりするリズムがあり、そして身体全体を使った見る目の表現もある。
 これからのチームの演奏は総合力なのである。『迫力のある太鼓』はその一部でしかない。心地よいリズム、驚く様なパフォーマンス、心にしみる様な音・・・それらを打ちこなせる技術とそれをいかせる演出力である。
 小さな夏祭りでもただ曲だけを演奏するのではなく何か工夫をすれば、それはまるで変わってしまうのである。それは大したことでなくても大きな変化となる。
 そんな工夫はメンバーを育てることにもなる。曲を演奏するだけではないのである。それはその場の雰囲気を観衆とメンバーが共有するということになる。それはメンバーの演奏に見入ってくれることになる。
 暗闇に小さな太鼓の音が『ドン』と鳴り響く・・・。会場はそれだけで静まり返る。・・・そういうイメージがある。その会場で状況はいろいろである。・・そんなイメージを膨らませてメンバー達の能力も創られていく・・・
0

2011/5/16

大締太鼓・・・  
 お兄さん二人が後半の練習に残り大締太鼓を打ち出した。中2の修○がその練習に付き合った。お兄さん達が仕事などで地方に去り、残ったのは幼いメンバー達だった。5尺1寸(153cm)のこの大締太鼓は練習場のステージでじっとメンバー達を見守っていた。数年前の農業祭を最後に大締太鼓は表舞台に出ていない。
 次の演奏するメンバーの成長を待っていた。高学年の男子がやっと中学生に成長した。この太鼓を奏でるのは時間の問題となってきている。札幌に移った一○、福島県からやむなく戻った智○・・・この二人が後輩達の背中を押してくれている。
 彼ら二人はこの大太鼓に挑戦しそして打ちこなした。ジュニア世代でこの大締太鼓を打ちこなせる技量をもった打ち手はまれである。殆んどはこの大きさに打ち負けしてしまうのである。彼らはこの太鼓を打ちこなせる技術を身につけそして努力でパワーをつけ打ち負かしたのである。
 その後継の後輩達もきっと絵になる演奏を披露してくれるはずだ・・・。
 ・・・何年かぶりに大締太鼓を打った二人は肩で息をしていた。しかし演奏フォームは昔のままである。修○にアドバイスを与えながら楽しんでいた。彼らのノウハウを後輩達に伝えてそして彼らを越えるプレーヤーを育ててほしいと思う。
 移動しやすいように大締太鼓の台に滑車を付けた。その時に台の高さを一○の身長にあわせて5cm下げた。・・・彼の気持ちに火がついたようだった。見事に打ちこなせるプレーヤーとなった。・・・身体のサイズでは無いということである。
0

2011/5/14

感性・・・  
 基本練習の後、『山彦組』と『絶世組』の二班の演奏をお兄さん二人にアドバイスしてもらった。メンバー達は真剣にそのアドバイスに耳を傾けた?。そして一○に模範のセンター演奏をしてもらった。
 何となくの練習は身につかない。そんな練習を何度繰り返しても成長しない。今の練習が『何を目標にしているのか。』が必要になる。メンバー達は早いリズムも難しいリズムもこなす。演奏テクニックはそれなりに身についた。『雄飛』や『山彦』の様な一定のリズミカルな曲には見事に対応する。しかしスピードの変化、太鼓の強弱、間合いの取り方、効果的な気合・・・それがまだ無い。それは感覚的な表現力でありパフォーマンスとなっていく。
 それは年齢的なこともある。経験も必要である。まだ若いメンバーには難しいことかもしれない。しかし、それが目標の中にあることだけは確かである。どう演奏してそれが表現できるのかを自分で開拓していかなければならない。それは言われて出来ることではないのである。
 『絶世』・『栗沢の四季』はそんな感性が必要な曲である。このリズムが表現していることを理解し、そして自分の感性で表現する。それは難しいことかもしれない。しかし、そんな表現力を身に付ける練習も取り入れている。本人達には解からないかもしれないが・・・確実に進歩はしている。
 『感動して涙が出ました。』あるMCの感想である。そういう演奏をメンバー達は出来るようになっているのである。しかし、それは大人数での演奏である。その感動させる演奏を個人でもやってほしいと思う。
0

2011/5/13

伝統・・・  
 今日も雨となった。農家の作業が遅れている。畑が乾き始めた頃にまた雨である。春の植え付けが進まない。
 注文した無地のTシャツが届いた。160以下のサイズ違いで8枚である。3,000円以上で運賃が無料となる。それで8枚となった。今必要なのは1〜2枚なのだがそんな事情と印刷も一時に行いたいからである。キタオンの演奏会までに暇を見て印刷をしたい。・・・風○から急かされているが・・・。
 今日も祝賀会のDVDを鑑賞した。意外なアングルからメンバー達の表情が写っている。いつもの映像は真正面のものが殆んどなのだがステージ下・横やカメラマンが移動しながらの撮影もある。ただ、こちらが『見せたい』と構成しているところがなかったり、演奏している別の人が映っていたりと編集が今一である。もしこの編集に立ち会っていたなら栗沢太鼓のプロモーション映像になったのではないかと思うのである。・・・残念である。しかしこれは貴重な映像になるだろう。何かの機会に活用される可能性がある。
 父兄の協力などで沢山の映像が撮り貯められている。それぞれのメンバー達のそしてチームの成長の記録である。それらの映像はただの思い出だけで終わらない。
 『栗沢の四季』を復活させたのは過去のビデオであった。何年も途切れた曲を全く知らないメンバーで再構築できたのもこの記録があったからであった。忘れていた曲をメンバーと一緒にビデオを見ながら組み立てていった。
 2006年のハワイ公演でアラモアナ・ショッピングセンターステージでの演奏の許可が取れたのは、2003年のロイヤル・ショッピングセンターステージでの演奏映像だった。
 記録映像もそして画像も後輩達の活動に必要なのである。今のメンバー達の活躍は次の未来の活躍にも記録として繋がっていくのである。それが伝統というものなのだろう・・・。
0

2011/5/12

DVD届く  
 小○先生から祝賀会のDVDと書籍が達筆の礼状を添えて送られて来た。
 祝賀会全般を収録されたDVDである。太鼓の演奏がどれだけ入っているか早送りを繰り返して太鼓の部分を今見たところである。『優美』も『雄飛』も全曲が収録されていた。カメラは少なくとも3台が使われている。メンバー達の演奏が様々な角度で編集されている。ただ残念なのは演奏曲と画面が違っているところが何箇所かあった。しかし今までに無い複数でのカメラの映像は見ごたえがある。ただいじりすぎ?にも見受けたが・・・。
 書籍は書道の月刊誌である。祝賀会の様子が特集で載せられ栗沢太鼓の演奏写真も掲載されていた。こちらは見るまでも無い?か。
 我が家のDVDレコーダーがダビングできない状態となっている。クリーニングをしても不調である。今回はこのDVDを貸し出したいと思う。殆んどのメンバーが大写しされているので楽しめると思う。各家庭を回覧するので途中で無くさないように・・・。画像は祝賀会の進行通りの後半である。
 
 
0


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ