2011/9/30

『文化』・・・  
 支所機能を持った多目的施設の建設計画がある。その意見交換会が今月予定している。その計画案の資料をいただいた。
 地域審議会でその案が作られ提案されている。その中に老朽化した文化センターの機能も併せ持つ・・・という文面が合った。しかし計画案の中には栗沢太鼓の練習施設も併せて・・・ということは含まれていない。そして施設の考えは『人の資料館』という過去の活躍した人達を紹介する展示施設をメインにおくという考えである。
 この計画した施設は『人が集まる施設・・・』という考えを持った計画らしいがはっきりいってこんなことをしても人など集まってくるとは思えない。おそらくは事務方が副案を作って話し合ったものだと思われる。この通り執行したならばまた人が集まらない無駄な施設となるだろう。そしてこの施設が出来たならば老朽化した文化センターを取り壊す話しが出てくると思う。拠点として活動している栗沢太鼓の居場所がまた失う羽目になるのである。彼らには『文化』という意識は持っていないのである。
 この交換会には出席するつもりでいる。将来の文化センターがどうなるのかも知りたい。それによっては希望も伝えたい。市街地に(学校の近くに)我々の拠点がなくなったなら我々の会の未来は無い。栗沢の数少ない文化を無くしてしまうことになる。それは文化センターに楽器を保管してもらっているレルシ○も同じである。
 一つの文化を失ったなら、これからの時代に再び作り上げることは無理である。地域の祭りの農業祭やいちい荘などの施設の祭りや、また新たに町会単位の盆踊りの立ち上げなどに栗沢太鼓のメンバー達は活躍してくれている。それは栗沢太鼓があって出来ることなのである。この栗沢太鼓が無かったなら再び地域で盆踊りを・・とはならないのである。
 過去の人間を祭って・・・はて、人は集まってくるだろうか・・。今の時代ならばホームページを一つ立ち上げてしまえばそれでことたることである。それよりももっと大切なことがあるはずである。地域を活性化していくには過去ではなく未来だと思うのである。過去を祭ってはもう終わりである。活力は夢であり可能性であり希望なのである。それを過去の人間に頼ってどうするのだろうか。そんな施設に可能性は無い・・・・。 
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2011/9/28

成長の証か・・  
 3人が欠席だったがコンクールの出場について話し合った。『去年の審査も疑わしいことがあった。今年もどうなるかはわからない。』『出場するのは15名までで4人は出場できない。』・・・その後、みんなの気持ちを聞いた。『出場したくない者?』・・・誰もいなかった。『出場したい者?』・・・新人も2年生の章○も・・・全員が手を上げた。
 その後はさっそく課題曲の練習の開始となった。
 メンバー全員が顔を見合わせることなくすぐに手を上げた。自分の意思である。受験の育○も、選抜候補の雄○も・・・それよりもまだ経験の無い低学年もである。この意思は尊重しなければならない。全員が何の迷いも無く手を上げた・・・この意欲は我々に絶対の信頼を示しているのである。これは大変なことである。・・・これはメンバー達から我々に印籠を渡された様なものである。・・・それは俺達は頑張るから戦略は任せたということなのである。
 もうこうなったなら未熟な審査員などどうでもいいと開き直るしかない。我々とメンバー達が納得のいく演奏を目指すことにしたい。それは見てくれる人が判断してくれるだろう。去年の演奏曲は審査員からはいい点数は取れなかったが観衆からはそれなりの評価をもらった。その後の数々の出演もこの曲が基本になって演奏した。それはどこへ行っても恥ずかしくない内容だった。いやむしろ高評価を受けている。メンバー達は自信を持っている。去年と同じ演奏曲でも内容は熟成されているはずである。大きな変更をするよりも課題のあった部分のリニューアルで完成させるのがいいのかもしれない。今の曲にメンバー達は自信を持っているからである。
 これだけ迷いもせず手を上げられたのには驚いた。それは一年の成長の証かもしれない・・・。
 
 
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2011/9/27

今シーズンを終えて・・・  
 メンバー達が成長するに従い出演対応が大変になってきた。それぞれの部活で彼らは中枢の選手となっている。6年生の雅○は2大会連続のMVPだそうである。中2の雄○は中学選抜の候補者となっている。5年生の5人、中2の5人は来年は最高学年となりチームの中心となる。今年よりも30周年の来年の方が更に調整が難しくなるだろう。
 今年のシーズンも何とかやり繰り出来た。依頼された中にはお断りしたケースもある。日曜日の昼間の依頼は・・・特に午前からはほとんど無理、夕方からの依頼は何とか調整がつくと判断している。人数が多いとか少ないとかという問題ではない。彼らはほとんどが二足の草鞋を履いている。この現実に即した活動しかないのである。
 連盟の演奏会も午後にしてもらい何とかメンバーを確保できた。しかし来年はわからない。場合によっては参加できなくなることもある。
 週2回の練習は全員揃うことはめったに無いが何とか継続している。これがこのチームの生命線である。定期に練習を継続することがこのチームをまとめていっている原動力であり、短時間でも2回の練習が着々と技術を上げていくことになるのである。バチを握りリズムに触れることが大切なのである。それがいざ本番で物をいう事になる。今シーズンの出演で大きな失敗は一度も無かった。それは練習回数なのである。・・・小さなチョンボはどんなに練習しても必ず起こるのである・・・
 今シーズンはみんな盆太鼓がすごく上手になった。盆踊り独特のリズムテンポが身についてきたのだろう。これはただ打ち鳴らすから合わせてテンポを作っていく能力が身についてきたことになる。この進歩は大きい。みんな自信を持って打ち鳴らしていた。太鼓の楽しさがあらためて解ったのではないだろうか。・・・どこかのブログでもそんなことが書かれてあった。
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2011/9/24

期待に答えなければ・・・  
 試験も終わりみんな集まってくるだろうと思っていたのだが集まったメンバーは8人・・・ようやく天気が戻ってきて農業関係は収穫で大忙しいはずだ。子供達の送迎も間に合わないのかもしれない。
 恵○が入院の連絡。肺○とのこと・・・雨模様の中のお祭りの演奏に翌日も・・・。祝賀会の時におかしなことを言っていたが・・・それが本当に・・・。少し頑張りすぎたか・・・。病院でおとなしくしていればいいが・・・。
 コンクールの話しをしたいがなかなかメンバーが揃わない。出場締め切りは今月中なのでまだ時間的余裕はあるが・・・結論は恵○が戻ってきてからになるか。
 新○先生から礼状が届いた。電話で話ししてまたこれである。我々としては当たり前のことをしたつもりでいる。しかし先生はそれ以上に感じ取ってくれたということなのである。ありがたいことである。夕食を用意してくれそして謝礼をいただきそして更に電話に礼状である。こちらが尻が痒くなるぐらいである。・・・そんなによかったのかなあ?・・・普段の演奏とそう変わらないと思うのだが・・・。
 主催者からこんなに喜んでもらえれば遣り甲斐があるというものである。今シーズンのどの演奏機会もみんな喜んでもらっている。メンバー達の活躍が期待に答えれたということになる。みんなご苦労様だった。しかしこの結果は次回の時にも同じ以上の期待もされるということなのである。・・・それにも答えていかなければ・・・。
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2011/9/22

不思議な縁・・・  
 書道展の翌日、書の先生から電話が来ていた。電話に出れずそれに気がついたのは就寝前だった。翌日の練習が終わった後に電話を入れた。お礼の電話だった。『子供達の演奏がすばらしかった・・・。子供達から元気をもらった・・。みんなによろしく伝えてほしい・・・。』ということだった。そう言われて『演奏した甲斐があります。ありがたいです・・・。』と返答した。
 書道界との縁は3度も続いた。そして新しい衣装の新しい栗沢太鼓の顔となる『書』もいただいた。それは今の子供達の元気と明るさを表現したすばらしい『書』である。この『書』をいただいたお礼は、これからもこの『書』に負けない演奏をすることなのである。それが先生への恩を返すことになると思うのである。
 父兄の一人が『あの人が先生!普通のおじいさんだね・・・』全くその通りなのである。先生に始めてあったのは彼の喜寿の記念の個展会場だった。そして先生の様々な作品を間近にしたのである。・・・この小さな身体の老人がこんなダイナミックな作品を書くパワーがどこにあるのかと思ったのである。そしてその謙虚な姿勢にほれ込んだのである。・・・何が何でも書いてもらおうと思った。・・・心を込めてお願いした。
 その時にはまだ助成事業の申請もしていない時なのである。それこそ見切り頼みなのであった。新しい衣装が揃えれるかなど何も考えてなかった。・・・しかしその後、我々が望んでいる通りにことが進んだのである。それは神様か仏様が仕組んだかの様にである。・・・不思議な縁である。
 真面目に真剣に取り組むことが大切だと思うのである。それは多くの人達が我々の活動を理解し応援してくれることになるのである。名前を売り目立つことを優先しお金を求めたりするのはそれは薄っぺらな外面だけの活動なのである。それでは誰も理解してくれないだろう。それはメンバー達の演奏にも出てくるものである。
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2011/9/21

モンスター・・・  
 太鼓屋の親父が『毎月請求書を出しているのだが全く払おうという様子がない・・。』とこぼした。『最後の手段に出なければならないのか・・・』
 市町村合併して我々も付き合いと思いその会に入ることになった。しかし年次総会は開かれずじまいだった。総会が無いということは当然決算書も出てこないことになる。ところが我々が入ったその翌年の新年会に何を思ったのかその年の決算書をみんなに配った。あとで解る事だがそれは創作されたものであった。それは最後に彼の墓穴を掘ることになる。数十万円という繰越金だった。
 我々が仲間となるまで彼はこの会を牛耳ってきた。別にいた会計も横取りし全て思うままに運営をしてきたのである。おかしなことはおかしいというのが性分である。彼にとってはやりづらい人間が入ってきたと思っただろう。祭りたてられた○長も副○長もそれを黙認してきた。いや何もいえなかったのである。彼らも犠牲者なのだが立場上彼らも同罪なのである。それを何度も言ったが彼らは全て彼の責任と言い切った。
 この内情がわかるに従いこの男はとんでもない奴だとわかってくる。そんなことは市外のチームには何もわからないことである。むしろ協力し世話を焼いて尊敬されていった。そして夕○の破綻に伴い彼は支○の○長職となった。
 その本性は徐々に現れだす。トップに立った権力を思うように使い出す。民主的だった会は一変する。彼の本性は利用できるものは利用するである。言葉巧みにおだて利用するのである。恩を着せそして黙らせるのである。都合が悪ければ怒鳴り散らし威喝するのである。・・・裏で何をしているのか・・・全く信用など出来ようがない。
 その男はトップを去っていった。しかしまだ界隈をうろちょろしているのである。それはまだ俺の力はなくならない・・・と思っているのだ。よくも恥ずかしくもなく・・・。その根性には恐れ入る。しかし彼が本当に去らなければこの地域の太○界は本当に社会から見放されてしまう。今のままでは更に裏で何を企てるかもわからないのである。・・・知れば知るほどモンスターなのである。・・・コンクールも怪しいものである。また・・・
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2011/9/20

信頼性・・・  
 昨日の出演で今年の太鼓シーズンは一段落というところである。だからといって気を緩める時間はない。次回かその次かの練習日にコンクールの出場をみんなと話し合うことになる。その選択はメンバー達に委ねる。決まったことには総動員体制で支援していく。
 これまでのコンクールの審査には私だけでなく多くの関係者が不信感を持っている。はっきり行ってこれは主催者の怠慢であり不始末なのである。子供達に言い訳で説明しなければならないのはもうまっぴらである。
 何故こういうことになったのか。それははっきりしている。今までのトップの能力のなさであり独りよがりである。今年度からトップは変わったがしかしその体制は全く変わったわけではない。まだそのやり方は継続されている。これを脱却するには大規模な方法の変換が必要だ。たとえば、審査員の選考も三役を含めた実行委員長・副委員長などが集まった選考委員会で選考するなど、方法はあるはずだ。選考方法を明確にすること、公平性を持たすことは大切な条件である。はっきり言ってコンクールの審査は『大仮装盆踊り大会』より信頼性がないといっていいのである。それはたとえ優勝しても何のステータスもないということなのである。それは失礼な話しである。
 その組織の信頼性はその運営に掛かっている。少なくとも道○支部の運営は情けないものである。今のままではこの組織は持たない。かろうじてやっているのはコンクールがあるからに過ぎない。そのコンクールがこれでは離脱していくチームが出てくるだろう。それだけ切羽詰っているのである。それを役員は理解することである。
 太○界の中で社会常識では理解しがたいことがまかり通っていることがある。・・・それは無くして行かなければならない。
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2011/9/19

書道界との縁・・・  
 書道界との縁・・・その続きである。市内のホテルで先生の一門の書道展の祝賀会である。60名余りの祝賀会場に合わせて太鼓数も減らしメンバーも高学年に限定した。演奏曲は『絶世』と『雄飛』の2曲である。
 『絶世』はこのメンバーでは町外での初の演奏となる。どんな表現をしてくれるか内心は心配であった。しかし・・『随分表現力がついたなあ・・・』というのが素直な感想である。あと何度か本番を経験すればもっともっといい曲に仕上がるだろう。
 『雄飛』は全員のソロ演奏で繋いだ。しかしチームでやって来た今までの経緯があり個性豊かなソロ演奏とはいえない。それはこれからの課題となっていく。上級生は力もついてきた。ソロ演奏でも充分に通用する。あとはそれぞれが今の枠にはまった演奏からの脱却である。個性を作り出し自分の本当のオリジナルをである。
 小○先生も会場にいた。マイクを持って話す間もなく握手をしに先生のもとへ・・・。今までの活動のことこれからの目標も話しをした。智○の震災のいきさつも紹介した。なにより、メンバー達の演奏がよかった。
 会場の皆さんからは次々に好評をいただいた。栗沢太鼓の理解者が応援者がまた増えた。出演したメンバー達はまたいい経験を積んだ。そして自信も更に増しただろう。
 書道界との縁は更に続きそうだ・・・。
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2011/9/18

成長が・・・  
 栗沢の秋祭り・・・雨が降り続き夜の余興の開催を心配した。ステージには屋根があるのだが太鼓の積み下ろしや準備を雨の中では無理である。夕方、会場に出かけ対応策を考えた。会場を下見して雨が当たらない場所を見つけた。ステージの真裏だった。その場所はステージ側と違い風下で幾分屋根の下にもなっている。トラックも横付けできステージまで台車で運べる。太鼓を雨にさらすこともなさそうだ。・・・しかしその心配も雨がやんでなくなった。
 心配した雨はやんだが昨日の気候とは一変した。本当に秋の気温となった。・・・寒いのである。お客さんも昨年の半分か・・・。我々の出演は最後のおおとりである。カラオケや舞踊がつぎつぎに続いていくが集合時間が早すぎた。待ちに待っての本番となった。
 会場のお客さんたちは我々の演奏を待っているのかごとく誰も帰ろうとはしない。セッティングが終了と同時に催促の拍手が巻き起こる。
 演奏曲は『山彦』と『雄飛』の2曲、大人数での演奏となると今のところはこの2曲しかない。中学生の女の子3人が欠席で『優美』の演奏も中止した。この気温では2曲で十分ということなのかもしれない。終わりと同時に神輿も到着。ジャストタイムだった。
 2曲とも安心して見ていられた。男子組の上級生達は立派にソロ打ちが出来る。そして5年生達が成長を見せ、低学年も安定感が出てきた。オーダーに苦労することが徐々になくなりつつある。逆に選択肢が多くなって悩むかもしれない。そうなれば贅沢な悩みだが・・・。
 明日は今日の半分の7人での演奏となる。町外でのはじめての『絶世』の演奏を入れた。楽しみである。
 準備や後片付け・・・メンバー達の行動は去年とは雲泥の差である。演奏の上達だけが成長の証ではない。準備し演奏し片付ける。その全てが出演となるということなのである。それを彼らはわかってきた。それは大きい・・・。 
 
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2011/9/17

情報・・・  
 明日から二日連荘の出演となる。明日は屋外の会場で屋根はあるのだが天気が心配である。
 この二回の出演ではじめてのパートを何人かが挑戦する。隼○は大締太鼓を、太○・雅○は胴太鼓のソロ打ちを、智○は初めてのセンターである。そして今のジュニアメンバーで『絶世』を始めて町外で披露する。
 メンバー達には出演連絡表を配布し出欠を取っている。自分の気持ちや家族の都合、部活や試験など・・・子供といえどもいろいろなのである。その為にプリントを配布したりウェブページで情報を流している。しかしそれが戻ってこない。
 メンバーの状況によって演奏曲やオーダー・太鼓の準備をしなければならない。依頼側はそれなりの期待もしている。こちらは出来る限りその期待に応じなければならない。たとえ低学年でも自由な判断とはならないのである。メンバー達には都合のつくメンバーで対応するといっている。しかしその前提には正確な情報があってこのやり方でやっていけるのである。
 週2回の練習を休まずやっている。メンバー達も練習に打ち込みみんな成長をしている。上達すればするほど世間からお呼びが掛かってくるものなのである。それは低学年とか高学年とかではないのである。高学年の上手な演奏だけを求めているわけではない。幼い子の演奏する姿も魅力なのである。
 このやり方でいつもベストメンバーで対応することは出来ない。いや、うちのチームにベストメンバーという考えはないが・・・。都合のつくメンバーでどう対応していくか。都合のつくメンバーをどう光らせるか。・・・それには情報をくれなければ・・・。それは結局メンバー達が損をしていくことになるのである。新たなことに挑戦する、エースの一人になる・・・その機会を失うのである。
 メンバー達もそうだが、親達の意識もまだそうなっていないところが見受ける。メンバー達は栗沢太鼓の大切な戦力となるプレーヤーなのである。『自分の子はまだ・・・』と思ってはその子の成長を妨げることになるのである。・・・そしてオーダーを組む悩みを少しでもなくしてほしい・・・
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2011/9/16

自由な活動に・・・  
 明日から市民会館で新○先生一門の書道展が行われる。その最終日の19日の夜にその一門の祝賀会が行われアトラクションに太鼓を依頼された。60名位の宴で会場も広くはないので中学生以上のメンバーで構成することにした。中学生は期末試験も近いようで全員とはなりそうにない。今のところは7名の出演となりそうだ。・・・明日、雨が降れば書道展を覗きたい。
 18日は栗沢の秋祭りでその余興の会場での演奏を依頼されている。今年で3回目となる。集まってくれる街の人達はメンバー達の演奏を心待ちにしている。メンバー達の成長を我が子か孫の様に暖かく見てくれる。1年の成長をどう見せようかと思案中である。また会場を沸かせたい。
 和○連を離脱して百○祭りの出演機会は途切れてしまった。市町村合併して新たな機会となりその演奏機会も楽しみでもあった。しかし内情に入っていくと醜い部分があらわとなった。それは我々が求めるものとは全く違うのである。
 我々のチームは自由を基本としている。やりたいことをやりたい様にやっていく。強制したり強要することはない。あくまでも個人の気持ちを優先し彼らの積極性を求める。来る者は拒まない去る者は追わない主義である。それは意識を持ったメンバーで構成できることになる。おのずと楽しい活動になっていくのである。
 愛すべきメンバー達を独裁者の様に怒鳴りつけたのである。これは絶対に許せないのである。我々の主義にまったく異にしている行為なのである。どんなに太鼓界に貢献してもそれを許していたならば太鼓界に貢献しているのではなく邪魔をしていることになるのである。どんな活動でもその人の為にならなければならない。自分を磨き成長させる活動でなければ何の意味もないのである。それを強要しては・・・太鼓界に先はないことになる。
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2011/9/15

天敵・・・  
 山に追っ払ったはずのあの蛇がまた現れた。懲りない奴だ。またいじめて追っ払ってやった。人の敷地に勝手に入ってくるな・・・。
 ロケット花火で脅しをかけたカラス達は私の姿を見ると途端に飛び立って逃げる。花火で脅す必要がなくなった。しかし今日は久しぶりに一発打ち上げられた。油断大敵だぞ・・。ざまあみろ・・・。
 ロケット花火はけっこう効果ありである。『カー』と一声でもしたらすぐに飛び出していく。そそくさと飛び立っていく。様子を見に来ているのである。しかし周辺には現れるのだが我が家には一切近づかない。それまでは屋根はあいつらの糞だらけであった。
 集団で行動をしているカラスの一団がいる。この前も近くの電線に数え切れない位のカラスが現れた。花火数発をその集団めがけて打ってやった。『バン・バン・バン・・』と一斉に飛び立ち飛び去った。この集団、あちこちに出没している。おそらくは市のゴミ捨て場にいた連中でないのだろうか。ごみ問題以後覆土を念入りにやっているというから餌を探しに動き回っているのではないか?迷惑な話だ。
 あいつらは俺を怒らせた。徹底的にいじめてやる。あいつらの天敵は私だ・・・。
 
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2011/9/14

自信にみなぎった男に・・・  
 小5に男子5人が揃っている。そこに小4の雄○を加えた6人で『豊穣祝太鼓』の習得を目指す。この子達はいつも誰かを頼って演奏してきた。あえてこの子達をチームから分離した。それは彼らが誰も頼らず挑戦していく始めてのことになるのである。
 この子達はいつも脇役の存在だった。上にはたくましい先輩達がいつもいる。上達してもその先輩達も上達していく。追い越せれないのである。主要なところはやはり先輩達が受け持ってしまう。『山彦』は小学生達が主役といってもどこか不安な演奏となる。それはやはり上手な先輩達の存在があるからなのである。
 今回の取り組みはこの曲は彼らの曲となることを前提にしている。この曲をマスターすることによって彼らの自尊心と自信を植え付けることになる。そして同年代の結束力を作っていく。同年代の男子が5人も揃っているチームはそうはない。この子達が育てばチーム力は果てしなく上がることになるのである。
 この曲を演奏できるメンバーは大人を除いて誰もいない。それがいいのである。先輩は全くあてにならないのである。彼らが真剣に覚えていかなければならないのである。マスターすれば彼らが先輩達の先生となるのである。それは立場が一気に逆転するのである。
 彼らは初心者ではない。(新人君を除いて。)覚えも早いのである。過去の時代は入門曲だった。マスターするのに何ヶ月も掛かった。しかし彼らは違う。次々に進めていける。憶える要領と思い切れる気持ちさえ養えば何回かの練習で彼らの曲となるだろう。そして本番があれば彼らは大きく成長するはずである。
 自信にみなぎった男に化けてくれることを願う・・・。
 
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2011/9/13

謙虚に、正直に・・・  
 『豊穣祝太鼓』を復活させる。いつぶりだろうか。『山彦』を新人の入門曲となってからこの曲はお蔵入りとなっていた。『栗沢の四季』の再構築、『豊穣祝太鼓』の復活、そして『暁の音』の再構築、この3曲を今のメンバー達が習得する。それで60分以上のプログラムが作られることになる。・・・30周年の目標のGOサインとなるのである。
 周年でその記念曲を新たに創ってきた。30周年は新たな曲よりも栗沢太鼓の全ての曲を復活しそして習熟させることを目標にしたい。いや、今の世代に合ったリニューアルとした方がいいのかもしれない。60分を超える単独コンサートを今のメンバー達でプログラムしていく。それは大冒険の始まりとなる。
 幼いメンバー達はそれぞれに成長し期待に答える存在になってきた。悪ガキ軍団ももう立派な栗沢太鼓の戦力である。そしてここで彼らの存在感を更に育てたい。全メンバーがそれぞれにチームを担うメンバーであること、誰もがチームに必要な存在となることなのである。才能の有る無しは時間が解決していくものなのである。
 何年も同じことを繰り返す・・そして新たなことも取り入れる。そういう練習が才能の差を無くしていく。進んで行く者は進んでいく。時間が掛かる子も何時しか追いついていく。高みを伸ばせる者はとことんいっていい。しかし追いつけない者もどこかで一緒に加われれる。そいうチーム作りをしていきたい。
 やり方、考え方で物事は美しくなったり汚くなったりする。同じ活動をするならばメンバー達はいつも笑顔で楽しく、社会からは愛され慕われる存在であるべきである。それは難しいことではないはずだ。・・・謙虚に、そして正直にである。
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2011/9/12

文化の伝承・・・  
 盆太鼓の親太鼓を中・高校生達を中心にすえた。そして彼らに『お前達が民謡の上の太鼓を責任もって受け持ってください。もしその場所を牛耳る様な奴がいたら言って来て下さい。やぐらから引きずり下ろします・・・。』
 今の栗沢太鼓の中心はジュニアメンバー達である。週2回の練習を部活や勉強と共存させて取り組んできた。お兄さん・お姉さん達もその頃はそうだった。そして私の横で親太鼓(その頃はそうはいってないが)を一緒に打って育ってきたのである。去年まではお兄さんお姉さん達が親太鼓を務めてやぐら全体を引っ張ってくれた。しかしそれは過去の話なのである。もう高学年はお兄さん達に近づいてきているのである。それを理解しなければならない。
 お兄さん達が親太鼓を務めれば何も心配は要らない。そして彼らの優越感も充分に味わえるだろう。しかしそれは自分本位でしかない。来年、彼らがこの場にいれる確約はないはずである。その時に後輩達がそれを出来なければそれは後輩達だけの責任ではない。彼らを育てられなかった、その場を牛耳ってきた彼らの責任でもあるのである。・・・そういうことになってほしくなかった。
 最後の10〜15分位、みんなと一緒に打った。1時間も・・それ以上も打てた頃とは身体は違うのである。お兄さん達のジュニアの頃にやっていた事をお兄さん達にやってもらいたいのである。牛耳って楽しむのは卒業して一人でも多く自分の分身を育てることをである。それは自分の楽しみを長く続けていけることになっていくはずだ。
 我々が太鼓を始めた頃、盆太鼓が打てる人は高齢の人しかいなかった。それは自分の楽しみだけを追いかけ後輩を育てなかったからである。我々が栗沢太鼓を立ち上げた頃、そんな彼らからはうざとい目で見られた。彼らは自分達が正統であることを主張した。彼らにとっては我々は黒船だったのかもしれない。
 彼らは自分の楽しみだけを追い求め後輩達を育てることをしなかった。それが盆踊りが低迷していったことにも繋がったと思う。もし後輩達を集め育てて行ったならば違っていたかもしれない。
 主催する農業祭の盆踊りがある。多くの仮装が集まり観衆も集まる。それは栗沢太鼓の大きな財産である。これがあるから打ち手達が育っていくのである。それは北国のこの町の文化を継続していくことになるのである。
 今回、彼らからその場を後輩に委ねた。それは後輩達を育てた先輩達の力なのである。見本となる存在が後輩達を育てていくのである・・・。それは文化を伝承していくことになるのである。
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