2013/11/30

運動した演奏・・・  
 これまで低い姿勢を求めてきた。それは初心者や中級者を教える普通のアドバイスである。しかしそれを超えた技術になると逆のことも言わなければならない。下肢の筋肉にパワーを溜め込むバネの様な使い方をする方法は今までの考えとはまるで違うのである。この使い方をする上下動を求めているのである。
 バネには押すバネと伸ばすバネがある。筋肉もその使い方が出来るのである。これまで低い姿勢を求めた子供達はそのどちらも使えていないのである。低い姿勢を保つことは出来るが押すことも伸ばすことも中途半端である。伸ばして押し、曲げて押す・・・この運動を養っていきたいのである。
 この使い方をする上下動はギッタンバッタンではない。滑らかで優雅な動きのある演奏になる。これは様々なスポーツでも必要な要素なのである。スキーではこぶ斜面を吸収していく滑走である。
 いま自分は足を曲げて押しているのか、伸ばして押しているのか・・・これを意識して使える人は少ない。重心を両足の真ん中にして打つことも中々出来ないことなのである。しかしこの運動を使えるようになるとひとりでに重心は体軸に近づいてくるのである。重心が体軸に近づくと様々な動きが出来るようになるのである。そしてスキーでは、こぶに飛ばされても破綻することは少なくなってくる。飛ばされた身体でも重心は体軸にある。それはすぐに修復できる体制であるからである。
 動きのあるダイナミックな演奏にしていく。それにはこの筋肉や身体の使い方を教えていくことだと思っている。それは運動部のプレーにもきっと役立つはずである。この動きをマスターするのは時間が掛かると思う。しかしそれを使えるようになったなら格段の成長となる。
 短時間の練習で上位チームに追いつき追い越すには理論を持った練習をしなければならないと思っている。形ではなく身体の運動である。リズム感を養いながら運動をして演奏していく。・・・そういう形にやっとなりつつある。
0

2013/11/29

理論を持った演奏技術  
 演奏を理屈や理論で教える。そう考えたのはスキーをやっていたからである。技術選手権大会に挑戦した。どんなに自己流の技術を磨いても点数には結びつかなかった。点数に結びつく技術は理論に基づいた技術だったのである。太鼓も同じことだと思った。太鼓を強く打つにはどうしたらいいのか?・・。上手なプレーヤーの演奏はどうなのか。いろいろと研究した。そして理論とした太鼓の演奏技術を一つの方向とした。
 太鼓に伝わるパワーは重力・筋力・遠心力や体重・・・。慣性モーメントとか、作用反作用とか・・・しかし理論を持った指導方法があったなら上達は間違いなく変わってくるのである。
 もちろん太鼓の基本は音楽である。リズムがあって演奏となる。そして太鼓はエンターテイメントでもある。身体全体を使った表現なのである。ただ力いっぱい打てばいいということではない。様々なパフォーマンスである。そんな中で『身体を使って打つ』ということは一番大切な要素なのである。
 理屈を言って理解できるのはある程度の年齢に達しないと理解出来ない。幼かったメンバー達も成長して、ようやくその理屈を理解できる年齢になってきた。理解すると本人達が工夫をするはずである。自分でリズム開発と演奏開発をする。独力で成長しようとする。それを求めているのである。
 前回に新○が面白い曲を創作してきた。しかしその演奏は太鼓の淵を打ち続けていた。あえてそのことを注意した。本人は誉めてほしかったかもしれないが、それ以上に演奏技術が気になった。彼にやってほしいことは両方なのである。彼にはそれが出来るはずである。それが出来たならばアドバイスを伝えたい。
 これからの練習には難しいことも言っていくつもりでいる。今は理解出来なくても成長することで気がつくことがきっとあると思う。同じ身体だが筋力の使い方をコントロールすることでまるで違う自分が存在するのである。それはとてもシビアである。しかしそこを知ったなら得られる快感は普通ではない・・・。 
0

2013/11/28

実力通りの結果・・・  
 今年のチームが入賞できたのは驚くことではない。普通の審査をしてもらえば特別賞は間違いないと思っていた。ただ・・過去の様な疑問のあることをやられたらどうなるか解らないとも思っていた。幸いに信頼のおける審査だった。今の我々のチームの実力はこの位置が妥当である。
 今年のチームは去年のチームがベースにある。去年は高学年が何人も去って幼いメンバーとなってしまった。そんな未熟なメンバー達をコーチ達が戦略を練ってまとめ上げた。その勢いがそのまま継続された。そこに太鼓を憧れていた中学生が3人加わった。彼女達はブラスバンドや野球をやってきた子達である。もともとのポテンシャルがある新人だった。それは他のメンバー達の刺激にもなった。
 去年の採点は特別賞まで0.5点足りなかったに過ぎない。僅かに手がとどかなかった。その悔しさはみんな持っていた。リベンジに燃えていたのである。その気持ちは練習にも現れていた。
 普通の審査をしてもらえば特別賞の域にあると思っていた。ただその上は間違ってもない。いや今の実力では取ってほしくないとも思っていた。実力通りの審査をしてほしいと望んでいた。その通りになってくれた。それはとても有難い結果である。
 上位のチームとは実力差が随分ある。しかし決して手が届かないことはない。一人一人が努力をして実力を上げてくれれば可能性は充分にある。今のメンバー達ならやってくれると思っている。
 部活優先、練習時間も短い・・・しかし意欲とアイデアでそれを補っていく。・・・それを言い訳にするようなことにはしたくない。
0

2013/11/27

値千金の入賞・・・  
 意欲を育てることは至難の業である。しかし今回の入賞はその意欲をみんなにもたらしたかも知れない。チームのそして個人の明確な目標が作られた。
 『個人のレベルをアップしてしてほしい。今やっていることをやっても上達は目に見えている。違うことをやってほしい。前回の練習はみんなの弱点の手首の使い方をマスターする為にやった。わざと高いポジションでリストで打つことをやってもらった。低いポジションだけでなくて高いポジションや中間のポジションなどでも打ち込めれる様になってほしい。それはより高い表現力に必要になる。次回からは2尺の太鼓も練習に入れる。・・・』それから各自の練習に分かれた。
 次回からといったのだが、さっそく太○と雅○が2尺の胴太鼓を引っ張り出してきた。この太鼓を打ち込めれたら本物である。その挑戦はあえなくである。バチを真っ二つに折ってしまった。太鼓の高さは他の太鼓より10cmあまり高い。そして2尺を打ち抜くには相当のパワーが必要である。いくら身長が高くても今の彼らの技術では厳しいのである。『手ごわいだろう?』・・『うん』と答えた。この太鼓を使って彼らを鍛えていく。彼らには本物になってほしい。
 4〜5年生に運動会の目標を作った。2尺の締太鼓を男子が受け持つ。台の高さは太鼓を90度に置き換えて丁度いい高さとなった。4〜5年生の男子は3人である。この締太鼓を二人に、胴太鼓を男子一人と女子二人の5人体制と思っている。男子の一人には斜め台とも・・・これはこれからの練習で煮詰めていく。男子3人は俄然張り切っている。これは強いプレーヤーに育ちそうだ。
 新人はソロ曲の習得に真剣である。これは彼らの入門の曲である。これを利用して演奏技術を上げていく。そして本人達で自分のオリジナルを創作していってほしいと思っている。彼女達ならやってくれると思っている。
 今回の入賞がどれだけ彼らの励みになったか計り知れない。自信も持ったと思う。そして欲もである。それと同時に弱点も彼らは知ったのである。それは次へのステップの大きな足がかりとなった。・・・値千金の入賞である。
0

2013/11/27

一番足りないもの・・・  
 スキーの指導員のフォームは形を作っているわけではない。滑走する為の必要な筋力を使うことによって生まれるのである。野球のバッターのフォーム、投手のフォーム、ゴルファーのフォーム・・・より遠くに、より早く・・・理想的なフォームは必要な筋力を無駄なく使った美しいフォームとなるのである。その発想からである。太鼓をいかに鳴り響かせるか、太鼓の面に強いパワーを伝えるのはどういうフォームなのか。早いターンをするにはいかに強いパワーをスキー板に伝えるか・・・と同じ発想である。
 もちろんそれだけが太鼓の演奏ではない。基本の音楽がしっかりしていなければどんなに大きな音を奏でても雑音に過ぎないのである。正確なリズム、強弱、複雑な音色・・・様々な要素が太鼓の表現力となる。
 子供達にはまずはリズム感を養成する。そして初歩的な打つ為のフォームから始まる。盆太鼓や入門曲を使いながら覚える楽しさを味わい上達させていく。基本練習ではより正確なリズム感を養いフォームを安定させ腕の振りも学んでいく。それと同時により高度な演奏もチャレンジしていく。
 ここまでは普通に進むカリキュラムである。今のジュニアはこの域まではほとんどのメンバーが進んでいる。しかしここから上への成長が大きな壁となっているのである。スキーでいえば1級レベル以上か。ここからは身体運動が大きな鍵である。身体全体の全てを使って太鼓を打ち込む。そして身体全体を使って表現していく。体幹も筋力も必要になる。そしてアイデアもである。
 ジュニアでこの域まで進んでいるのは2名しかいない。コーチ達に迫る域まで成長した。それも部活をやりながらである。それは二人が強い欲を持って取り組んだからである。
 ここを目指せる。その挑戦権を持ったメンバーはいっぱいいる。あとは彼ら次第である。彼らが真剣に取り組み努力をするか。それだけの欲を持ち、貪欲に向かわなければ絶対にその域には達しない。これまでの言われたからやるでは・・・無理である。
 上位チームを追い越していくには我々の努力も必要である。しかしそれ以上に本人達が真剣に思っているかである。今一番足りないのがそれである・・・。
0

2013/11/25

過去を教訓に・・・  
 太鼓を始めたのは今のお姉さん達の年齢の頃である。それまで一度も太鼓など打った事はない。それはスキーの指導員試験の年だった。心はスキーに向かっていて太鼓は付き合いと思っていたのだが・・・立ち上げの事務局長に指名されてしまった。そして開基90周年に発表するというやっかいなことに巻き込まれてしまったのである。・・・それ以後、紆余曲折を経て今日に至ってしまった。
 スキーの指導者としては経験と共にそこそこに認められる存在になっていった。太鼓は事務局として運営の中心をせざるを得なかった。新人に教えることもである。決して太鼓のセンスなど無かった。やっとやっとリズムを覚え、がむしゃらに打っていたに過ぎない。
 次々に大人達は離脱していく。ジュニア部を立ち上げる。その指導もせざるを得なかった。そこから指導方法を考え、チームの方針も少しずつ変わっていく事になる。
 10周年(町開基百年)が終わった頃からチーム状況は変わってくる。大人は新人が中心、ジュニア部も人数が集まるがこれも新人ばかり。一曲をマスターする為に大変な道のりだった。今の様に先輩が後輩に教えるという状況ではなかった。へたくそな指導者がへたくそは新人を教えるということである。
 大きく変わったのは15周年の頃からである。練習場を市街に移し新しい意欲のあるメンバーがやってきた。・・・そう今のお姉さん達の出現である。20周年に姉妹都市のキャンビー公演へ・・・という目標も持っていた。
 その頃から新しいことへの挑戦を始めた。演奏技術を彼らをモルモットにして試していった。スキーから学んだ運動のメカニズムや指導方法を活用した。彼らもそれに答えて意欲的だった。技術は急速に上がった。次々に曲をマスターして姉妹都市公演は大成功した。
 20周年を過ぎた頃から子供達が徐々に増えだした。指導方法もそして演奏曲もそれに合わせて変化させていくことになる。それ以上に変わったのは、それまでは父兄の存在は無いようなものだった。すべて太鼓に任せて演奏会場へは大人達が連れて行った。しかしそれも変わってくるのである。それまでの親御さん達との考えも変わってきていた。練習や演奏会場への送迎だけでなく演奏を見に来てくれるようになったのである。・・・それは時代の大きな変化である。
 父兄が活動に関心を持ってもらうことはとても有難かった。しかし全てがいい方に向いた訳ではない。考えの違いはどうしてもおこる。・・・そんなことも経験して今日がある。
 活動は時代に合わせて変えて行かなければならない・・・と感じる。今は・・・イケイケで上昇である。しかし過去で学んだ様々な経験を土台にしてである。そしてまた新たな挑戦もしていく。
 
0

2013/11/23

模索・・・  
 気になっていたメンバー達の弱点がある。低い姿勢にこだわって動きが取れない構えとなった。そして太鼓を打ち込む手首のスナップが使えてないのである。コンクールの練習で腰を安定させる筋力はついてきた。しかし動きを伴った演奏までの筋力はまだ無い。当然どの体制でも打ち込めれないのである。・・・これが共通して現れていた。それをどう矯正しようかと思っていた。
 何かいい練習方法は無いかと考えていた。今日、考えついた一つを試してみた。最初は誰もそれが出来ないでいた。要領を掴めてきて少しずつ出来始めた。高い姿勢で安定させ手首を使わないと打ち込めれない方法である。これはいいかもしれない。しばらくやらせてみようと思う。低い姿勢と高い姿勢、その両方で打ち込めれる。動きのある演奏にする為の模索である。
 ギッコン・バッタンの上下動は動きのある演奏ではない。まずは醜いそして惰性で打ち込んでいるに過ぎない。演奏は楽である。長時間の盆太鼓などはこれを使えばいい。しかし表現力を重んじる演奏曲はこれでは困る。音の繊細さ、ダイナミックスさ、そしてプレーヤーの美しい運動を求めたいのである。今の技術を熟成させていくだけでは、上手くはなるがレベルは上がらない。どんなに上達しても先は見えているのである。
 コンクールが終わって『上手くなりたい!』という意欲が沸いている時期である。変われるチャンスなのである。それはコーチ達も意識を変えてもらわなければならない。『うちの子は太鼓が打ち込めれない。』と言う。さて何が原因なのだろうか。自分はどうなのか。練習量が無いだけなのか。・・・それは違うような気がする。指導者は評論家ではないのである。出来ないこと、足りないことを探し、補うことを考えなければならない。
 指導者は試行錯誤しなければならないのである。理論を語るだけが指導者ではない。その理論を正当化するのが指導者なのである。プレーヤーはそれを望んでいるのである。どうすればグッドプレーヤーになるか。それが出来ないのは無能な指導者なのである。少なくとも模索していく指導者にはならなければ・・・。
0

2013/11/22

環境に合わせて・・・  
 午前中にNPOの事務局長に広報誌への掲載をお願いしてきた。コンクールの翌日に電話で頼んでおいた。写真とプログラムを渡し、これまでの取り組みなどを説明してきた。快く掲載を了解してくれた。
 新聞には上位3チームしか載せてなかった。街の人達へ情報が伝わらないのである。プレス紙には特別賞なのだが5位と紹介されていた。実際には5位相当の特別賞ではあるが正確に伝えたい。そしてこのコンクール自体も知らない人がほとんどなのである。挑戦し続けているが入賞に届かないと、こちらからも積極的に宣伝できないものである。これで少しは街の人達に知ってもらえるチャンスとなり応援してくれている人達に報われる。
 出場チームは昨年より1チーム減った。出場枠の15名を満たしているのはうちのチーム位に見受けた。最初の頃はうちのチームが5人とか6人とかと最小チームだった。それがいつの間にか選抜するように・・・。
 町内も少子化が進み2学級が出来ない位に子供達は減っている。そんな状況で子供達が増えているのである。それは我々の活動が子供達や父兄達に理解されて来ているからだと思う。
 勉強や部活と両立できる環境にすること、金銭の負担を最小限にすること、そして伸び伸びと楽しんでそれでいてしっかり管理した運営にすること。・・・子供達には部活との板ばさみが全く無い。親は会費以外の出費を心配しなくてもいい。自分達の大好きな太鼓を好きな様に出来る。そして技術も上がっていく。練習場はいつも笑い顔である。そういう環境が活力のあるチームになったのだと思っている。
 名の知れたチームにしたいという欲が無かった訳ではない。歴史の中では世間の話題になった頃が何度かあった。しかしそれを維持するチーム力はなかった。時の流れの中で活動の方法をその時の状況に変えていかなければならない・・・そう学んだ。
 一番でいることが幸せではないのである。目標や目指すことがありそれを達成することが喜びなのである。メンバーには一人一人の、そしてチームにはチームの目標を持つ。一つ一つ階段を上がってメンバーもチームも成長していく。・・・それを環境に合わせてやっていく。
0

2013/11/21

腹が立ったこと・・・  
 開会式は子供達をお兄さん達に任せて控え室で待っていた。荷物番である。
 『頭にくる。座りさせないんだから!』と怒りながらお姉さんが戻ってきた。『何人もぐわい悪い子がでたんだよ!』・・・胡○・姫○と章○が青い顔をしてソフォーに倒れこんだ。
 リハーサルでは『ここでしゃがんでもらいます。』という説明があった。そうしているもんだと思っていた。ところが実際は立ち通しにさせたという。誰だ司会は・・・またあの男であった。何であの男に司会させるのか。いつも余計なことをしゃべって遅らせる。表彰式もそうだった。だらだらと余計なことをしゃべり・・・。体調の悪い子をステージ横で休ませた。
 ステージは照明に照らされているそこに暖房である。毎年、体調を悪くする子が何人も出ていた。そこで座らせるということになったはずである。子供達が見えるところで司会しているのである。状況はすぐに解るだろうが。カツゼツがいいだけのものだ。常識に外れている。人の子を何だと思っているんだ。へたくそでもいいからちゃちゃっとやれる奴にやってほしいものである。
 写真撮影も何の連絡も無かった。これは業者が入って買わせるのである。集合写真も演奏写真もその業者が独占的に撮影し販売するのである。演奏は撮れないが集合写真は私が撮ってみんなに配布している。本職の様な写真ではないが、こんなことに高い金を出す必要はない。
 弁当も指定業者しか持ち込みできなくなったのだそうだ。チームの弁当は地元の店に頼んで配達してもらっている。配達できる距離なら少しでも地元の業者にお金を落としたいと思っている。ここは温泉宿か?・・・。市も何を考えてこんな指定管理の業者を当てるのか。住民サービスが行政なのではないのか。可笑しなところである。
 以上、腹が立ったことであった。
 
0

2013/11/20

泣き笑いを一緒に  
 コンクールが終わって最初の練習日、メンバー達の感想を聞いた。『全然緊張しなかった。』『何も間違わなかった。』中には『間違った。』という子も。チームキャプテンは『毎年一番づつ上がってるのでは間に合わない。(ジュニアを卒業するということである。)○○チームには負けてられない。倒すぞ!』と・・・拍手が沸きあがる。
 私からは『入賞するのはこれからの目標じゃない。一つでも二つでもこれ以上を目指す。その為にはみんなが上達しなければならない。上達すれば演奏曲も難しい曲に構成できる。全体がレベルアップしなければこれ以上はない。これからのソロ演奏の練習でレベルを上げてほしい。』そして『来年6年生になる子と5年生になる子は運動会で演奏をしてもらう。締太鼓が高すぎるならお前達に合わせて台を作る。今から準備をしていこう。』
 彼らにそれぞれに目標を持たせた。その後の練習はみんな熱が入った。僅かな練習時間だが、問題は効率なのである。目標や問題点を自分で持ったならその短い練習でも数段の成長となるはずである。その取り組み方は彼らのその後にもきっと役立つと思う。
 メンバーのおじいちゃんがビデオを撮ってくれダビングしてみんなに配布した。福島のじいちゃんはバチを作って励ましてくれている。父兄達も練習の送り迎えや応援にそして慰労会にも出て子供達を支えてくれている。いい環境で彼らは伸び伸びと太鼓を楽しみ上達していっているのである。この子達なら近い将来、結果を残す様な事を・・・そう望む。
 来年の運動会の演奏を指示したぜ○に『おじいちゃんに締太鼓様のバチを作ってもらえ!』と耳打ちした。『うん』といってにこっとした。(このブログを見ていると思うので孫の為にまたお願いします。)今回はレギュラーを外れたが元気いっぱいでみんなと行動を共にしてくれた。うれしかった。
 父兄には『出場しないメンバーも一緒に行動してほしい。』と文書で連絡した。残念だが顔を出さなかった兄弟がいた。今日の練習に来ていたが彼らだけが蚊帳の外になってしまった。事情はあるかもしれないが理解してほしかった。お姉ちゃんは来年5年生になる。何としても運動会に巻き込みたい。彼らを本当のメンバーになって泣き笑いを一緒に共にしたいと思っている。
 それぞれの家族でチームへの思いはそれぞれである。それはそれでいいと思っている。やれる範囲で協力してくれれば有難い。ただ理解してほしいことは、子供達にも付き合いがあるのである。メンバー達はみんな仲間だと思っている。そこに彼らがいないことが普通ではないのである。今日も二人の兄弟にメンバー達が教えて込んでいた。一緒に運動会で演奏する為にである。
 うちのメンバー達は・・・本当に優しく頼もしい。そんな彼らと一緒に太鼓をやれることをうれしく思う。
0

2013/11/19

目的を誤らず・・・  
 今日の新聞にコンクールの記事が載った。失礼なことに特別賞のチームを載せていないではないか。・・・この新聞やめるか。街の人達に子供達の活躍を知ってほしかった。
 こんなこともあるかと思い。昨日、NPOの事務局長に『広報誌に載せてほしい。』と頼んでおいた。近々、内容を伝えに言ってくる。新年号に載る予定である。町内全戸に配布するので街の人達も見てくれると思う。街の人達に明るい話題を提供したい。
 センターの太○が演奏の途中で右太ももを痛めてしまった。過去に野球で肉離れをした箇所だという。同じ痛みがよりによって演奏途中でやってしまった。それでも最後まで打ち切った。その後はお兄さんにおんぶされての移動となった。表彰式も足を引きずりながらだった。『慰労会は無理でないか?』・・『いや、絶対にでる!』と。
 表彰式は舞台裏のモニターで見ていた。いきなりチームの名前が発表された。隣で見ていた智○と思わず握手を・・・そしてお兄さん達がいる舞台袖に・・・そしてまた握手を・・・。
 表彰式の帰りをお兄さん達と控え室の前で待った。戻ってきた笑顔の子供達と次々にハイタッチを・・・その後ろを『感動した!』と泣きじゃくってきたお母さんが・・・。
 慰労会は39名の大作戦となった。今年は何だか・・・子供達よりも親達がはしゃいでる風に見えた。毎年毎年、苦汁を舐めていた。『何で?』というような顔を親達はしていた。その思いが一気に時離れたようだ。乾杯の音頭はキャプテンの太○を指名した。宴は時間いっぱいまで続いた。
 強豪チームは優勝を目指し、我チームは入賞を目指していた。コンクールはそれぞれのチームがそれぞれのレベルのレースをするのである。それだけに信頼される審査を求めるのである。今年の審査は納得いくところがあった。好評もほとんどが私も感じていた事と同じであった。見る目線は納得できた。
 もう過去の疑問を持つようなコンクールにはしてほしくない。それは太鼓界が崩壊していく道にもなるのである。過去に優勝したチームが出場しなかった。その後のチームに子供達が集まらなくなったのである。それは何を意味しているのかである。チームに魅力がなければたとえ優勝したとしても子供達は集まっては来ないのである。しかし、優勝どころか入賞すらしないチームでも導き方次第で子供達は集まってくるのである。
 我々のチームは優勝や入賞を求めいるのではない。それは目標の一つに過ぎない。目的はチームとメンバーが成長して行くことなのである。それを誤らなければ楽しく愉快な太鼓をやっていけると思うのである。そして家族も街の人達も応援してくれると思うのである。
 帰りの車の中、お姉さん達に『コンクールに2チーム出してもいいのか?』と何気なくいった。『それはいいんじゃない・・』『でも2チームも面倒みれないよ。』と・・・。『そんなことはないべ、課題曲は一緒に出来るし二人で分かれて自由曲をやるとか・・・』と・・・。
 今年の出場できなかったメンバー達のことを思っての突然の思いつきである。
 
0

2013/11/18

悲願の入賞!  
 コンクールに挑戦し続けて10回目、合同チームの1回を除いて単独チームでは初めての入賞である。待ちに待って、耐えに耐えて・・・その悲願がやっと実った。
 挑戦の始めの頃はいつも最少人数の5〜6人、それも小学生を入れてやっとだった。合同チームの後は小学生ばかりのチームに。去年は中学生が2名で後は小学生の12名で・・・僅か0.5点差で入賞を逃した。
 コンクールは高校生以下の15名以内という幅の広さがある。弱小チームには相当のハンディをよぎなくされた。入賞には縁の遠いものだった。
 去年位からあの小学生達が中学・高校生にと成長してきた。しかし、高校入学と共にチームを去っていった。これも彼らの選択肢である。高校生で部活との両立は難しい。
 去年、上級生の数名が一気に抜けたチームは又もとの小学生中心のチームに戻った。それでもあと僅かなところまでのチームになっていた。
 今年になって中学生の進級が一気に5名、そして中学生の新入が3名加わった。小学生中心のチームが中学生中心のチームに一年で変わったのである。それは練習内容も一変させた。遊び半分な態度はまるでなくなった。練習に集中し効率もよくなった。幼いチームからようやく脱却した。
 来春2名が高校へ進学する。小6の3名が中学生になる。一年後のことは解らないが、間違いなく戦力は上がっていく。そしてコーチ達の能力も間違いなく上がっている。これからのチームは入賞を目指すのではない。強豪チームにいかに近づき追い越していくかである。・・・しかしチームの方針は一切変えない。時の変化に順応させながら貫いていくだけである。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
0

2013/11/17

特別賞受賞!  
 みんな頑張ってくれました。特別賞いただきました。
クリックすると元のサイズで表示します
0

2013/11/16

満足のいく演奏を・・・  
 いよいよ明日が本番となった。その最後の練習である。2回程やっての調整と思ったが、今までの練習で出ていなかった間違いが次々に・・・こいつら緊張している?・・・用心で3回目を・・・またしくじる。今日は何度やっても同じになりそうだ。しかし余り心配していない。気持ちが高ぶっているのである。今日はガス抜きの練習である。本番はきっと冷静にやってくれると思う。
 リーダーの太○とサブリーダーの雅○を中心にしたチームに見えるが実際はそうではない。彼らの実力に応じた役割分担をしているのである。センターの太○に変われるメンバーは今はいない。チームのエースはやはりその場所にいなければならないのである。彼がそこにいてこのチームは安定しているチームとなっている。去年はその安定した所がなかった。ただ勢いだけだった。家族達は感動したかもしれないが審査員はそれを見抜いていたのかもしれない。
 ごまかし様が無い技術で戦う今年のチームはアラもすぐに目立つ。失敗すればすぐにわかってしまう。去年よりも数段難度のある曲である。それを完璧にこなせばそこそこの評価はしてくれると思う。
 挑戦曲を創作するのは並大抵でない。コーチ達は持っているアイデアを出し尽くして創り上げているのである。去年が終わった時には『もう無い・・・』といいながらも今年の曲を創り上げた。元曲は師の創作した『栗沢の四季』からではある。一からの創作ではないがこれからの可能性を感じた取り組みだった。
 課題曲を教え、演奏技術を指南し、自由曲を創作する。それは普通の人間には出来ない芸当なのである。そしてそのコーチ達を信じてメンバー達は挑戦するのである。それこそ全員の力を出し合っての挑戦なのである。
 コーチ達もメンバー達も『随分成長したなあ・・・』これが逸話ざる得ない感想である。ナイスなチームになった。明日は頑張ってほしい。満足のいく演奏をやってほしい・・・。
0

2013/11/15

バランスを持った人に・・・  
 普段の練習に顔を出せない大人達がコンクールの応援に駆けつけてくる。そして太鼓の運搬や移動は人が多いほど助かる。子供達には余計な心配をしないで演奏に専念してほしいという気持ちと成長を見たいという気持ちである。優しい連中である。
 夜の慰労会は幼児二人を入れて38名になった。予約は37名なのだが一人増えた。事前に出欠者の集計をするが、この人数の変更は毎年である。当日集まってみないと解らないのである。熱を出したり風邪を引いたり・・・或いは突然の参加希望であったりと。
 この慰労大作戦をみんな楽しみにして頑張ってきた。メンバーの3人が欠席できている。本番に出れない3人である。それがすごく残念なのである。一緒に取り組んできて最後に一緒に楽しめない。それは残酷である。
 今回のコンクールはチーム始まって依頼の選抜せざるを得ない状況になった。スタッフはその選考にどれほど頭を悩ましたか・・・。一番に考えたのは外れたメンバーの気遣いであった。その中には去年には出場したが今年は出れない子が二人いる。親の気持ちとしてはがっかりだと思う。しかしそこで不信感を持ったならばお門違いである。それは子供をあやまかしているにすぎない。そして慰労会にも出さないのは、全く親の間違いである。我々はえこひいきした活動は一切してない。全員にそして平等に今やれるアドバイスをしている。選抜は・・実力で選抜せざるを得ないのである。
 子供達は親が思う以上の成長をしているのである。チームの中は親が知らない彼らの社会なのである。憧れたり、信頼したり或いは全くそうでなかったり・・・それは大人も遭遇している現実の世界が子供たちの中にもあるのである。悔しさや苦しみ、緊張する経験、一緒に楽しむことも・・・。
 苦しい練習をし、緊張する本番をし、そして楽しいことをみんなでする。我慢する心、強い心そして安らぐ心も必要なのである。それらをみんなで経験してバランスを持った人に成長していくのである。
0


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ