2014/5/31

運動会  
 朝から真夏の様な陽気、絶好の運動会日和となった。今年は子供達の演奏を見逃すわけにはいかない。朝から仕事も手につかない。コーチ達が早い時間から会場に行くということで連絡を頼んだ。暑さもあって仕事を掘っぽりだして会場に向かった。着いた途端に電話が鳴る。『よさこいの衣装を着た子達が集まりだしたよ…』『今会場についた。』・・・会場中央でコーチ達と合流する。
 太鼓がグランドに持ち込まれた。いい場所を確保しなければ・・・中央の最前列に座り込んだ。子供達が先生に支持をして太鼓がセッティングされた。その後方に5〜6年生達がよさこいの法被を着て整列している。いよいよ開始だ。
 海○の会場中に伝わる『礼!』の大きな声で演奏が始まった。ちょっと距離があって彼らの表情は見られなかったが仕草を見る限り落ち着いているようだ。あの声の大きさはあっぱれである。
 曲の構成は6年生二人の七五三、そして男子二人・女子二人の胴太鼓のソロ、そして海○の締太鼓でのソロが続き最後の締めのリズムで終わる。
 堂々としたものだった。失敗を恐れない思い切りのいい見事な演奏だった。多少のチョンボは覚悟していたが・・・それは彼らに失礼だった。練習以上の完璧な演奏だった。お・み・ご・と・・・である。
 家族達も誇らしかったと思う。誉めてやってほしい。・・・さすが我がメンバー達である。
 今日の練習は小学生は休むと思っていたが海○と章○の二人が顔を出した。日焼けした顔である。『格好良かった!素晴らしかった!』と彼らを誉めた。小さな声で『ありがとうございます。』と・・・自分でも『やった!』という達成感があったのである。そして誉めてほしかったのである。
 真剣になって練習をした。そしてそれをやり遂げたのである。・・・うれしかった。

 
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2014/5/30

誇りとなる存在に・・・  
 夕方、小学校の体育館に太鼓を持って行く。グラウンドで準備をしていた男の先生が駆け付けてくれて太鼓の移動を手伝ってくれた。体育館の扉を開けるとバレー部が練習をしていた。『こんにちは』と大きな声で挨拶をしてくれた。『こんにちは!』と答える。中にいた女の先生も手伝ってくれる。海○がバチに傷があると不安がっていた。同じバチの在庫があったので彼の名前を入れてビニールテープを巻いて用意した。その女の先生に預けた。そして組み立ての胴太鼓の台をセットしておいた。先生たちに『子供達が段取りが解っていますのよろしくお願いします。』とお願いする。明日の天気のことや、去年の演奏が見れなかったことなどの雑談をして帰宅しまた仕事に戻った。明日は彼らの本番を見たいと思うが仕事も遅れていてコーチ達と連絡を取ってギリギリに駆けつけようと思っている。運動会が終わった後は太鼓の回収もしなければならない。・・・そして夜は練習である。
 こういう慌しさは以外に好きなのである。それでなかったらこんなことはやれないのかもしれない。イベントがあるごとにメンバーに連絡をし練習をし段取りをする。メンバー達が恥をかかない様にそのシュミレーションと準備を怠らない様にしている。
 プレーヤーはどんなに小さなイベントでも神経質になるのである。その不安を少しでも無くしてやらなければならない。そしてそのイベントを成功させなければならないのである。それは運動会でも海外公演でも同じなのである。小さなイベントだからといって手を抜くことはチームの信頼を無くすのである。その期待に応えてこそチームの存在感があるといえるのである。
 我々が協力しなければ成り立たないイベントがある。そういう当てにされるイベントこそ最大の協力をしなければと思うのである。それがチームの存在意義となり信頼となるのである。それはプレーヤー達の誇りともなると思うのである。
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2014/5/29

上達を楽しんで・・・  
 練習場は7:00から借りている。練習開始は7:30である。早く来る者は7:00前から練習場に来て7:30まではフリータイムである。しかしゲームだけは禁止である。ドッジボールだったり、バスケットボールやバレーボール・バトミントン・・・時には縄跳びやフラフープ・・・練習場は学校の昼休みの様な賑やかさである。
 7:30きっかりに太鼓を保管庫から出す。途端にその遊びをやめてその太鼓を並び始める。準備は2〜3分で完了してすぐに基本練習が始まる。このパターンを始めた頃はダラダラしていた子がいたが今はそんな子はいない。そのけじめはしっかり出来ている。私が血圧を上げるような怒鳴り声を出した記憶が・・・いつからないだろうかと考える位である。決して厳しくやっている訳ではないのである。
 基本練習の後に全員でのミィーティングを行う。連絡そしてこの日の練習メニューを伝えて本練習に入る。そのカリキュラムはコーチ達からの指示である。コーチ達の休みの時は自主練習が大半である。リーダーを中心にして課題を作って練習をしている。何もしないで遊んでる子は見受けない。
 練習終了は8:30と9:00である。それも各自の自由である。最近は9:00までの子が多くなった。早上りは太鼓を片付けて帰宅する。9;00終了の者は後の太鼓を片付けモップ掛けをして終了となる。
 そのモップ掛けも当番を決めている訳ではない。時々は名指しすることもあるが最近は先頭だってやる子が増えてきた。名指ししていやいややる子も少なくなった。
 好きなことをやりたいメンバー達なのである。それを束縛してやっては楽しくはない。しかし自由とわがままを勘違いされてはならないのである。マナーとルールを自分で気がついて自然に学んでいってほしいのである。
 強制して全員で挨拶をする。チームにはそんなルールもない。顔を合わせればこちらから『こんばんは…』という。それがいつの間にかメンバー達から言ってくるようになる。強制した挨拶など心など入っていない。元気な顔を見て、元気な声が聞こえる。彼らへの挨拶の返答は『おお』か『オス』・・・こちらの挨拶がいい加減である。しかしその会話が本当の挨拶だと思っている。
 和気あいあいで大好きな太鼓を楽しんでやる。それは遊んでいる訳ではない。上達する為の努力を自分で楽しんでやっているのである。それが大切なのである。そういう環境がようやく出来てきたと思う。
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2014/5/28

目標を持てる場・・・  
 運動会に向かっての最後の練習を終えた。5人とも一生懸命に取り組んでくれた。6年生は小学校最後の運動会である。いい思い出を残すはずである。晴れ晴れとそして堂々と・・・。
 6月15日にキタオンで連盟の演奏会がある。その出演連絡表を配布した。すでに参加することは事務局次長のお姉さんを通じて連盟には伝えている。しかし何人が参加出来るかは毎回ぎりぎりでないと解らないのである。部活優先主義はそういう苦しいことがあるのである。一人でも多く参加させたいという思いがある。それゆえにぎりぎりまで返事を待つ。そして団体演奏も午後にしてもらっているのである。連盟には悪いが、こういうわがままは許してほしい。合同曲に参加するメンバーの太鼓には迷惑をかけない。必要な台数は持って行きたいと思う。
 連絡表を配布したせいか練習にも熱が入っていた。時間が許してくれるならば一人でも多くソロデビューをさせたいと思う。ほろ苦いデビューは覚悟である。緊張する経験を積んで一人前のプレーヤーに育てたい。
 農業祭の実行委員会の連絡が来る。農業祭には、今年も去年と同じ様に一人一人の演奏を入れたい。出来れば新人も含めて全員がソロ演奏をしてほしいと思っている。
 チームとしての目標と一人のプレーヤーとしての目標、その両方を持ってほしいのである。人数が多いからとその陰に隠れては困るのである。全員がチームの中にしっかりとした存在感がなければならないのである。
 運動会の演奏は小学生達の大きな目標である。そして農業祭でのソロ演奏はメンバー達全員の晴れの舞台にしたいのである。
 連盟の演奏会や依頼されるイベントは目標というよりも消化するという意味合いがある。それはメンバー達のはっきりとした目標が無く自分の演奏を披露する場にしかならないのである。そこで喝采を浴びてもそれだけなのである。ただ『よかった』という気持ちにしかならないのである。それでは本当の満足感とはならないのである。目標を持って練習をしそして喝采を浴びたならどれだけの達成感と満足感が得られるだろうか。そういうシュチュエーションを作ってやることが大切なのである。
 メンバー達は上手になりたいと強い思いを持った練習をしている。それだけにその披露する場を持つことは必要なのである。
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2014/5/26

心の葛藤・・・  
 週間予報だと土曜日の運動会はいい天気になりそうだ。最高気温は25℃の予報である。雨対策はなくてもよさそうだ。
 6年生の海○が張り切っている。彼がこれだけ真剣に取り組む姿は初めてである。運動会で演奏する思いは相当持っていたのである。この前向きな気持ち・・・大好きである。上手・下手ではない。真剣に取り組むことが大切なのである。この姿勢が強い気持ちを養いそして能力も増していくのである。・・・きっと成功する。
 挑戦する前向きな気持ちを持った演奏は、たとえぎごち無くても魅力のあるものである。どこかのチームの格好ばかりを気にする様な演奏は大嫌いである。『失敗してもいいから思いっきりやれ!』それがチームの方針である。そしてそれがパフォーマンスに繋がるのである。
 リズム感がいい、物覚えが早い・・・それがプレーヤーの素質ではない。リズム感は練習をすれば身に付く。覚えが悪ければ何度も練習を繰り返せばいい。格好など気にしていたなら思いっきりのいい演奏など出来る訳がない。そんな演奏など一つも魅力などないのである。上手さを見せるなど考えない。がむしゃらにそして真剣にやる。そういうプレーヤーが魅力的なプレーヤーに進化するのである。
 物怖じせず演奏する心は簡単に養うことは出来ない。技術を教えるよりもこの心を養うのが一番厄介なのである。どんなにアドバイスをしようと本人次第なのである。我々はその切っ掛けを作ってやることだけである。それは我慢なのである。
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2014/5/25

殻を破れ・・・  
 昨日の練習はお兄さん・お姉さん達はそれぞれに用事があって欠席。修学旅行から帰った雅○は旅疲れで休んだが、弟の隼○がお土産を預かってきてくれた。今の中学校の修学旅行は東京なのか・・・。
 練習は自主練習とした。小学生達は運動会、中・高校生達はリーダーを中心にして曲の練習やソロの練習を行っていた。練習も休み時間も明るくいい雰囲気である。
 先日アドバイスした玲○のソロ演奏がガラッと変わった。『大きくダイナミックに打て!』と一つ一つの動きを大きくさせた。やっとパフォーマンスが出てきた。これが実践で披露しそして自信がついたならもっともっとよくなるだろう。・・・その変わり様に他のメンバー達は驚いていた。
 彼の変化は大きな刺激となったはずである。それは『自分も!』という気持ちをみんな持つ。『恥ずかしい』なんて言ってられないのである。冷やかすなどもっての外である。それから抜けきれない奴は置いていかれるのである。
 同じ技術を練習して人よりも上手でも、それは同じ土俵の中での評価である。・・・そういう次元で満足してはならないのである。人と違うことをする。人が出来ないことをする。独創的な表現力を創造していくのである。それは新たな技術も開拓していくことになるのである。
 独奏のレベルが上がることはチーム全体の演奏も絶対的に上がるのである。今が大きな転換期である。欲を出して自分の殻を破り飛躍してほしい。
 
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2014/5/23

成長していく為に・・・  
 去年の運動会で演奏を見に行った。例年の時間に合わせて11時に会場に出かけたが進行がスムーズすぎたのかもう終わった後だった。今年は何とか・・・あのヘタレだった海○がどんな演奏をするのか・・・楽しみ半分、心配半分である。頑張ってほしい。
 運動会の構成と指導はお兄さんコーチに頼んだ。『お前は6年生で最後の演奏なのだから大締太鼓はお前一人で打て!』と・・本人は5年生の章○と二人でという希望だったらしいがそれを突っぱねた。いい判断だったと思う。そのやり取りで本人も納得して腹をくくることになった。そして担任の先生にお願いに行った。先生は『意欲的です。』と・・・それを聞いて安心している。
 人が成長するには変われる切っ掛けが必要なのである。時には背中を押さなければならない。彼は6年生で最後の運動会だという逃げられない状況になった。それはプレッシャーを押しのける強い思いが生まれたはずだ。そしてそれを超えたならば・・・きっと強い人に成長すると思う。いや願う。
 進学や進級するごとに彼らとの付き合い方を変えている。それは彼らが成長していることを認めることなのである。それをすることが更に彼らが成長することになるのである。
 『誉めて育てる』というが、彼らを誉めることは誉めれる時にしかしていない。何でも誉めればいいというものではない。彼らが自分で自信と感じた時にそれがいい演奏だったならば・・・その時こそ誉めてやるのである。『誉めて育てる』というのは『批判して育てない』ということである。
 『ここが駄目だ…』ではなく『こうした方がいい』という導き方である。・・・それは知識も判断力も更に養っていかなければならないということである。
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2014/5/21

一番大切なこと・・・  
 練習前に小学校の先生が会場に来てくれた。太鼓の移動はこちらに任せてもらった。6年生の二人が『運動会で太鼓をやらせてください。』と来てくれました。『二人とも意欲的でした。』と・・・『先生にお願いしに行けよ!』と言っておいたのである。それもしっかりやってくれたようだ。
 自分でお願いし自分達で練習をする。命令されて仕方なくやるのではなく自分達でその場を築いていく。そんな前向きな行動が出来るようになる。それは大きな成長である。我々は彼らが出来ない演奏の構成や太鼓の運搬をサポートしてやるのである。
 運動会の演奏は彼らに押し付けてやらしている訳ではない。彼らが望んでやっていることである。我々は彼らの後押しをしているにすぎないのである。メンバー達が望むことがチームの向かっていく方向なのである。主役はあくまでもメンバー達である。生き生きとした活動は彼らの気持ちそのものが出来ることなのである。そういう環境にしていくのが我々の役目なのである。
 太鼓をやりたい連中が集まったこのチームは、その彼らの望んでいることを実現させる。それが組織である。しかしこれまで、その一番の大切なことが出来なかったのである。それは翻弄されることが余りにも多くあったからである。太鼓界には様々な組織が混在している。それがいい例である。それだけ様々な考えや成り立ちがあるのである。
 それぞれのチームにはそれぞれの考えがある。それは認めるがそれを他のチームや組織に当てはめてもらっては大きな迷惑である。そういう考えを持ったやからがまだいるのである。そんな連中を相手にしていてはならないのである。どんなに世話になっていても常識外れな圧力には対抗しなければならないのである。それをしなければチームもメンバーも失うことになるのである。
 ・・・和気あいあいにやっているメンバーを見る度に、この環境を守っていきたいと思う。
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2014/5/20

続けること・・・  
 運動会が近づいた。来週の土曜日である。6年生は男女各一人で、二人では心もとないと思い5年生の3人を加えた5人でやるように指示した。5・6年生の『よさこい踊り』の開始前の演奏でもある。
 毎年、よさこいの法被を着て太鼓を演奏し、そして5・6年生達が登場して踊りにつなげる演出である。太鼓はグランドの中央にセットされ、会場中の目は演奏する彼らに向けられる。最高のシュチュエーションである。運動会最後になる6年生の晴の舞台である。
 6年生となった二人は1年生の時にチームにやってきた。共通していたのは大事に育てられていたのか甘えっ子であった。自分の思う様にならないと駄々をこねる位だった。『わがままを言うならもう来なくていい!』と叱りつけたこともあった。6年生まで続けたが、それでもまだまだ幼いところがある。彼ら二人で挑戦させようかとも思ったが、彼らの負担と来年のことも考えて5・6年生でやるようにした。
 現在、小学生の層が薄いのである。6年生が2人、5年生が3人そして3年生が1人の小学生は6人しかいないのである。来年は3人が6年生となるがその後が続かなくなる。出来ればその後も継続していけるメンバーが入ってきてほしいと望んでいるのである。・・・来年は場合によっては4年生となる晃○も入れてやるか。
 中3で部活を引退してからチームに入ってきた子がいる。『なぜ太鼓がやりたくなった?』と尋ねた。その答えは『運動会の演奏を見て!』だった。
 最近中学生が増えてきている。その子達は親に嘆願して入ってきているのである。総会の新年の抱負でその中の一人が『早くソロ演奏をしたい!』と言った。
 これまでチームに入ってくる新人は親に連れられてくる小学生が大半だった。しかし近年は自分の意思で入ってくる中学生が多いのである。連れらてくる小学生と自分の意思で入ってくる中学生では、同じ新人でも全く違うのである。意識と意欲を持っている中学生の進歩はこれまでの新人とはまるで違うのである。・・・しかしその気持ちを持たせたのは幼い頃から太鼓をやっていた親に連れらて来た子達なのである。
 幼い時から育ててようやくモノになった・・・しかし去っていった。苦労して育てたのにと残念に思った・・・しかし育てたことが実は次に繋がっていたのである。それは今までの我々のやっていたことは間違ってはいなかったのである。去っていった子は置き土産を残していったのである。
 育て続けることが次の世代に繋がると思う。それを強制してはならない。我々がやっているのは所詮は趣味なのである。
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2014/5/17

指導者の役目・・・  
 今日の練習は20人全員が揃った。基本練習では何人も太鼓が足りない状態となった。その後の練習は運動会班、新人養成班、そして中・高校生達はリーダーを中心にして自主練習を・・・『賑わい』や『雄飛』を組織的に練習を行っていた。後半に残った連中はそれぞれに課題に向かっていた。
 気になる子にはその都度アドバイスをしている。素直に聞き入る子は間違いなく変わる。それに気がついてきたようである。
 アドバイスは運動理論から伝えている。これはスキーの指導員時代に養ったものである。一本の滑りで理に適っていないところを見ぬきその矯正方法を伝えるのである。それは顔の向きから足の先にまで全てである。その中で修正する順位を決めてアドバイスをするのである。
 一つの修正で全てが完成する訳ではない。一つを修正しそして次にまた修正する箇所を指摘する。それは限りが無いのである。それはいつの間にか高○学校と言われて指導員の後輩達が集まってきていた。自分の滑りを確認し上達したい連中だった。指導員であってもそれはライセンスに過ぎないのである。絶えず研究をし修正をしなければ優秀な指導員とはならないのである。進化し続けて一人前の指導員となるのである。それを鼻にかけて努力をしなかった連中は見る間に落ちこぼれの指導員となるのである。
 メンバーには自分のオリジナルなソロ曲を作りなさいといっている。それは先輩の作ったベース曲をアレンジしても構わないのである。自分の持ち味をどこかに入れてそして自分独自のオリジナルを創る。それをメンバー達への課題にしているのである。中・高校生のメンバーはその段階にようやく入っているのである。考えたその彼らの曲を演奏技術で更に光らせるのである。
 お姉さん・お兄さん達の持ち曲は、彼らがアイデアを創造しそして技術をアドバイスして創り上げたのである。それは僅か一分余りの曲だが、間違いなく彼らのオリジナル曲である。それを全てのメンバーが持ってほしいと思う。
 新しいことをすることは冷やかしや自分との葛藤も起こる。それを拭い去る気持ちがなかったならそれはモノにはならない。それが出来たなら彼らの成長は計り知れないのである。そういう気持ちを持ってほしいと思う。それを後押しするのが我々の役割だと思う。
 指導者は思い通りに導くことではないのである。メンバー達の能力を引き出しそしてそれを光らせるのである。それが本当の指導者といえると思うのである・・・。
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2014/5/16

素敵なチームに・・・  
 今年になって雨らしい雨がやっと降った。4月の雪の後、雨は1〜2mmの小雨程度しか降らなかった。農作業は順調に進んでいるが異常な乾燥状態で玉ねぎなどの畑作が大変な状態となっていた。この雨で一安心である。しかし気温が一気に下がりストーブを焚いた。
 ちなみに・・・やっと車のタイヤ交換が出来た。
 昨日の夜、NPOの10周年記念誌の編集委員会が催された。大まかな紙面が集まって紙面構成を話し合った。提出した我がチームの紹介紙面が好評である。しかし3ページに収めたはずの原稿だったが4ページとなって印刷されていた。文字数や字体の関係でこうなった様である。これから構成して調整するようだ。
 記念誌の配布は式典に出た人と各団体に数部ということらしい。出演したメンバー達もほしがるかなあ?・・・各家庭に一部を配布できないか交渉しようか。それが無理だったら私の作った紹介文位はコピーをして配布してもいい。栗沢太鼓の歴史が記録されているのである。
 15周年頃、福○村の職員がメンバーにいた頃である。発足からの歴史を要覧という形で福○村で格安で作ってもらった。それにはそれまでの全ての出演記録が載せてあった。それがベースとなってホームページのプロフィール面が出来ている。そして今回の紹介文もそれを引用している。しかし30年以上の歴史である。その全てを掲載するだけで一冊となってしまう位である。年度毎の記録は一行程度に収めた。その年の代表的な活動に絞った。ほとんどの活動には関与しているはずだが、年数が年数だけに思い出せないこともあった。要覧を作って置いたことがよかったと思っている。
 実行委員会時代から事務局長をやりチームの中心をやってきた。チームにとってそれがよかったかどうかは解らない。ただ…その時点での最良の道を模索し判断したつもりである。それは間違っていたかもしれない。しかし決断をしなければ前には進まないのである。
 流派だとか、根性だとか、権力だとか・・・それは過去の遺物である。我々が目指すものは平等で、合理的で、常識的な活動である。誰からも理解され愛される活動である。それを肩に力を入れずにやるのである。余計なストレスを持たずに大好きな太鼓をやれる環境にしていくのである。それはみんな笑って上達していくはずである。素敵なチームにしたい。
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2014/5/15

やりがいのあるチームになった  
 昨日の練習は中2組が宿泊研修で欠席しさみしい練習風景となった。なんたってこのクラスには7人がいるのである。その他に3人が欠席し半分の10人の人数となった。それでも過去にはこの人数さえいなかった頃があった。
 いつも飲み物を買うコンビニの店長が『太鼓のメンバーはどうですか。減っていませんか・・?』と心配顔で尋ねてきた。『いや〜、どういう訳か増えているんだ。』・・『それはいいですね!。』と我が事の様に喜んでいた。
 この少子化の中でメンバーが増えているという有難い現象である。何がそうさせているのか・・・それははっきりとした方針だと思っている。『勉強や部活を優先する。』『会費以外の経費は徴収しない。』・・子供達は部活との板挟みが無い。父兄には計算された出費しかしない。そういう安心した環境が作れたのではないかと思っている。それでいて演奏技術が上がっているのである。夢が可能性となって膨らんでいるのである。
 この方針をはっきりと打ち出したのはそう何年も経っていない。それまではうやむやな中で活動をしていたのである。子供中心という環境にもなっていなかったこともあるが、太鼓を優先してほしいという思いもあったのである。
 今は全くブレないしっかりとした方針である。そして都合のつくメンバーで充分対応できる状況にもなった。依頼に関してはこちらの希望を言って受け入れられなければお断りをする。上から目線かもしれないが今の環境を守っていく。頭はいくらでも下げる。
 しかし・・・部活や勉強以上に得られると思ったことがあったならば少し強引になることがあるかもしれない。その時は準備はしっかりやる。方針をついて臨機応変で活動していく。・・・やりがいのあるチームになった。
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2014/5/13

組織の矛盾・・・  
 太鼓界に全国を網羅する新たな団体が立ち上がった。日本太鼓連盟である。まだ十数年の若い団体である。道内は広域で東・西・南・北・中央の5つの支部に分かれて加入している。私は過去に全○本スキー連盟の指導員をやっていた。その組織の成り立ちはほとんど同じ様な形態である。ただ違うところは北海道で一つになっていないところである。道内に支部が5つも存在して加盟しているのである。それだけ層が薄いのである。
 指導員制度や検定制度などもスキー連盟と同じ様に存在する。ちなみに私は地区連の級別テストの責任者を10年以上担当した。その時は一生懸命だった。しかし考えれば矛盾なところがいくつもあった。特にお金の問題である。合格する為に講習を受けそして受検する。半端な料金でなかった。真剣な人はそれを合格するまで繰り返すのである。シーズンに5回前後の検定を全て受け続ける人もいた。それを何年もである。人である・・・温情というものが絡んでくるのである。講習も検定もお金である。それはその人の目標であり生きがいとなっているのかもしれないが、指導者という立場では複雑だった。
 検定を行うには各級別に3人の検定員が必要である。検定員には日当が支払われる。費用は受検料で賄わなければならない。それだけの受検者がいないと事業として成り立たなくなるのである。私が担当した頃はスキーブームの頃だった。受検者は山の様にやってきた。それを消化する運営に没頭した。そういう時代ならお金の心配は余りなかった。しかし今のスキー界は大変だと思う。
 太鼓界にもその状況が加わった。おそらく本部からはテストや講習の強制がきていると思う。会場費や検定員の日当に交通費などテストを開催するだけで大変な費用がかかる。それを捻出するにはそれだけの受検者が必要になるのである。それはどこかに力が加わってしまうのである。
 この組織が出来てコンクールという目標が生まれた。それはチームにとってはありがたい目標となった。しかしそれ以上を強制されたならばそれは別である。テストで得られるステータスは太鼓には無いと思っている。1級という試験に合格したからそれが素晴らしいプレーヤーという証とはならない。・・・人を感動させるのは技術だけではないのである。点数で評価はできない・・・。
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2014/5/12

薄っぺらなチームではない  
 歴史があるから、実力があるから、主導権があるから・・・それが組織力と勘違いしてはならない。大切なのは常識力であり判断力である。
 町にあったよさこいチームが立ち上がった。ブームの様に人が集まり勢いがあった。その頃の我がチームは元気がない状況だった。それを盛り返そうともがいていた時期である。よさこいのリーダーは太鼓を入れたいと盛んにモーションを掛けてきた。それは丁重にお断りした。それはよさこいチームのやり方が傲慢であったからである。
 我々には我々の目的や目標を持っているのである。そこにずけずけと土足で入ってこられては困るのである。衰退していたチームを再構築する大切な時期だったのである。それを邪魔されてはたまらなかった。
 しかし奴らはとんでもないことをした。隣町のよさこいチームを立ち上げるのに踊りを教えに行く。その変わりにその街の太鼓チームが太鼓を提供する・・・そんな協約を結んだのである。その承諾を先生を介して求めてきた。常識を疑ったが先生の顔で了承した。それで町のよさこいチームとは今後一切の付き合いは出来ないと思った。・・・いや、逆に我々にとっては有難かった。余計な圧力がこれでなくなった。チームの再構築に専念出来ると思った。
 そのよさこいチームは内部分裂を起こした。そしてその両チームとも今は無い。
 組織が分裂を起こす様な状況は異常である。芸能という能力を求めることとチームをまとめるという二つのことを同時にやっていかなければならないのである。それを勢いだけでやっていたのである。それは何時かはつまずく・・時間の問題だと思っていた。栗沢太鼓の立ち上げもそうだった。それを堪えて今日になったのである。
 芸能の組織を育てるのは並大抵のことではない。まずはメンバー達の意識を一つにするということが優先するのである。そして能力を養っていく。長い長い道のりなのである。勢いがある立ち上げは人も思った以上に集まってくる。しかし能力を養うとなると勢いではなくなるのである。それこそ太鼓をやりたいと思うメンバーでなければ続けられなくなるのである。
 今は太鼓をやりたい、そして上手になりたいというメンバー達が集まっている。本来の目的を求めている集まりなのである。・・・薄っぺらなチームではない。
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2014/5/11

迷惑・・・  
 またあの爺が迷惑をかけている。今度は連盟である。困ったものだ。こんな病人は相手にしないことだ。話し合ってらちが明かないのである。自分の我しか選択できないのだからどうしようもない。集団行動が出来ないチームは出てって行ってもらっていいのである。
 和○連の時は私の方が我慢をしていた。それは組織の輪を乱したくなかったからである。過去に受けた恨みは今でも忘れてはいない。しかしあの男は恨みをかっているとは何もわかっていないだろう。それだけ常識を持った人間でないのである。チームが分裂をするのはあの男の無能さなのである。そんな男が和○連の会長だと・・・太鼓界の恥をさらけ出しているだけである。
 3人、4人?・・・のバカ爺達が和○連を立ち上げそしてダメにした。自分の見栄と無知と欲の塊がそうさせたのだ。その団体は今でもあるがそれは恥を続けている様なものである。欲と見栄はすでに去ったが無知が今だ残っている。この無知は強情だ。・・・私が一発かましてやれば轟沈するだろう。しかしそれをやれば私が仲間の信頼を失うことになるだろう。自沈するのをじっと静観する。それは時間の問題である。ただ、仲間達に迷惑が及ぶのがたまらない。
 裏と表があるような活動はしたくない。不信感だったり、批判だったり・・・そんな活動はごめんである。信頼も信用もできない連中でどうして組織が成り立つかである。我々は楽しんで太鼓をやっていく。その為にどうするかを考え変えていっているのである。それを邪魔されるのはうんざりである。
 なぜ仲間割れが起こったのか?・・・その原因を考える様でなかったならチームを導く人間ではない。そんなチームは孤立してやってもらいたい。・・・みんなの迷惑である。
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