2014/7/31

大好きな太鼓に・・・  
 中学校の学校祭で2年生達が『太鼓を打ちたい!相談にのってくれ。』と言ってきた。それに感化されたのか1年生達も『やりたい!』と言いだした。時間制限や他チームのメンバーも入ったりと悩みながら取り組んでいる。これはチーム外での活動だが自主練習のなかで自由に練習をさせている。
 チームが彼らを束縛することもある。しかしそれは少ない時間である。出演依頼が来ても今は調整をする程度で済んでいる。農業祭は一年の練習の集大成である。一年間で蓄えた彼らの成長の発表の場である。コンクール出場はメンバー達の意思である。彼らが目標として挑戦しようとしているのである。我々は彼らをサポートし指導していくことになる。しかし実際は我々も学び勉強をし努力していかなければならないのである。挑戦する気持ちは彼らと同じなのである。
 事業遂行の為の練習はきわめて短時間で済む。それは残りの時間を自分の為に使えるのである。ソロ曲を創作したり習熟させたり、或は学校祭の練習をしたりと彼らは自分の思う様にその時間を使えるのである。
 こういうやり方は早くからやっていた。(初心者は別である。)始めた頃はみんなどうしていいのか解らなかった。・・・それまでは全てが指示されて行動してきたからである。『何をすればいいのか解らない?』と尋ねてきた。そういう子には具体的なことを伝えた。それでも何もしないでおしゃべりしていたり遊んでいた子もいる。それでもじっと我慢して見てきた。・・・今では何もしない奴はいる場所が無い位になった。
 本当に太鼓が大好きならば願っても無いはずである。『練習を休みたくない!』『練習に行きたい!』…そういう気持ちになる様な練習にしなければならない。そしてそれが上達して成長に繋がる様にである。
 チームの活動の大半は練習なのである。これが充実しなければ優れた活動とは言えないのである。どんなに優れた演奏をしようともである。地道な一回一回の練習が楽しくなければ、本当に大好きな太鼓にはならない。
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2014/7/30

チームの進化・・・  
 農業祭までのスケジュール、演奏会について説明した。まだスケジュール表も演奏会のプログラムも決めていない。ただ、演奏会では各自のソロ演奏を入れること。盆踊りでは最後の10分は全太鼓を栗沢太鼓のメンバーで行うこと。ソロの演奏と花太鼓7番を習得すること・・・この二つをやってほしいと伝えた。その後の練習は各自が持っている課題に取り組むようにと指示した。
 リーダー・サブリーダーが中心になってソロ演奏の練習を始めた。10台余りの太鼓を輪にして休むことなくソロ曲の連打である。延々と数十分を続けた。見事な練習である。ギブアップする子も少し休んでは復帰である。私は演奏のチェックで手助けをする。これは強いプレーヤーが育つ。・・・キャンビー世代の時の練習を思い出した。あの時は私が中心だった。しかし今はジュニアリーダーが中心にいるのである。チームが進化しているのである。・・・このたくましさを待っていた。
 我が強かったり、素直に聞く耳を持たない子には直接のアドバイスをしないことにしている。反抗心丸出しだった子が変わりだした。みんなの中に入って頑張りだした。その様子を見て始めて彼を呼びつけた。『うまくなりたい。変わりたい。』という欲が生まれたのである。彼に伝えたのは打ち込む腕の使い方と運動の出来るスタンスである。彼のキャリアーからすれば『いまさら』と言える。長い道のりだったが我慢して待ったかいがある。これから彼は化けていくと確信する。
 チームが変わっていくのはメンバー達が変わっていくからである。それは良くも悪くもである。今のチームはいい方に大きく舵を取ったのである。与えるのではなく自らの意思でそれをやりだした。・・・そういうチームを望んでいた。
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2014/7/29

ダイナミックな活動  
 青年時代、この時期に2泊3日のキャンプを行っていた。その面白い思い出がいっぱいある。30名位の大イベントである。
 1か月前に担当の役員が会場を探しに出かける。会場が決まるとその準備である。テントは農業ハウスの骨材を使う。そこに防水テントを張り床は使い古しのジュータンやシートで敷き詰める。およそ20畳ぐらいの大きなスペースとなる。移動は4トントラックとマイクロバス、遅れて来る者は乗用車で駆けつけてくる。
 担当役員はスケジュールを作り役員分担をする。キャンプファイヤーの材料も調達する。キャンプファイアーは丸太や古材の枕木を組んだどでかいものだった。時に、地元の消防が来たこともあった。今では想像もできないことだった。
 数班の班分けをして班長を中心にして食事の準備や宴会の出し物も準備する。毎夜宴が行われた。テントが広いので宴会場と寝室に分かれていて酔いつぶれた人から寝床へというぐあいである。酒はビールは高いので2〜3ケースであとは日本酒が10本・・・2日分と思ったその量が一晩で消えてしまうこともあった。
 忙しい時期だったが仕事を掘ったからしてそれに参加した。それは楽しかった。参加メンバーは一つになってそして楽しんだ。
 農業祭の大仮装盆踊り大会も、キャンビーへ行ったのも・・・このダイナミックさ、そのパワーが源だったかもしれない。大イベントはメンバー達を一つにしてくれるのである。準備も実践も全員が夢中になってやるのである。そこには不安な気持ちの中で新たな発想が生まれるのである。そして互いが助け合うという心の絆が育つのである。
 消化するイベントは何も得られないのである。新しい発想を少しでも取り入れる。それは新たな目標となり新たな取り組みになる。人が成長していく為には冒険をしなければならない。その冒険はしっかりサポートしていく。
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2014/7/28

拠点・・・  
 収穫が始まるのを見越してか常連さんが顔を出す。まだ収穫量が少なく初日の分は次の日に消えてしまった。その翌日分も頼まれていたが地方発送ということで一日遅らした分で用意をすることにした。夕方、市場に少量だったが初出荷をした。収穫したメロンは習熟させて出荷する。地方発送の場合は輸送中に習熟するのでそれを見越して梱包している。
 昨日までの雨で午後からようやく畑に入れた。案の定、ヒビが入ったメロンが半分も出てしまった。これは市場には出荷できない。しかし、これを目当てにしているお客さんがいる。見た目は悪いが味は変わらない。キロ単位で買っていく。こちらも有難いがお客さんも喜んでいる。
 市場からの帰り農業祭の実行委員会に出席する。会場の配置図や準備のスケジュール、ポスターのゲラ刷りが出来上がっていた。やぐら資材も確保できそうだ。そろそろ我々も動き始めるか。
 資材はほとんど揃っている。3軒の納屋に収まっている。前日にやぐらを建ててそれらを集合させる。それが一番人手が必要になる。しかしロートル達や父兄達が応援に来てくれて瞬く間に大やぐらは建ちあがる。紅白幕を張ったり提灯を飾るのはその後に集まった子供達との作業である。部活と重なる子が大半だが集まった子だけでもみんなで一緒にこの祭りをやるという意識を持たせたいのである。
 チームの控えテントを用意している。ここはメンバー達のたまり場である。我が家の焼肉セットを持って行っていつも焼いて食べれる様になっている。大量の肉類も用意してある。しかし子供達は荷物を預けてすぐに祭り会場に消えていく。
 拠点・起点となるものが有ると無しでは活動は大きく変わる。活動の拠点は文化センターであり、祭りの拠点はこのテントである。集まれる場所、安心できる場所は必要なのである。不安も心配もなければこのテントには顔を出さない。しかし何か心配事があれば側に寄ってくるものなのである。会場の中に私や先輩達がそこにいる。そういう場所を持つことは大切だと思う。
 
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2014/7/27

誤魔化してはならない。  
 去年の農業祭の目標は全員のソロ演奏の披露だった。しかし新人や低学年は小締太鼓の集団での演奏がやっとだった。今年は全員が(新人の裕○は?)ソロ演奏をする。そして今年の新たな取り組みは盆踊りの最後をうちのメンバー全員で埋める。そして7番を連打していく。農業祭には毎年新たな演出を入れている。それはメンバー達の成長を披露する場にしたい。そして自慢の彼らのいいところを見せたいのである。
 1年生から付き合っていた子が何十人もいる・・・あんなにおとなしかった子が?、或はあんなに積極的だった子が?・・・その成長で人は変わっていくのである。
 今のリーダーなんぞは『お前大丈夫か?』と思えるほどか弱かった。親も子も太鼓命見たいな子がいつの間にかよそ道にそれていった。今ではコーチとなって仕切っているが、学生時代の姿は今の子供達には見せられない。やる気があるのかないのか、そんな子が学校祭で演奏すると言い出した。続けていけるかと心配していた指しゃぶりをしていたヘタレは運動会で見事な演奏をした。・・・『三つ子の魂、百までも』というがそれはウソである。人は変わっていけるのである。
 人は出会える人間で変わっていくのである。特に子供達にはその影響はとても大きいのである。大人よりもメンバー達との付き合いの方がすごくシビアになっている。そして決して子供扱いはしない。目線を一緒にして彼らと向き合うようにしている。
 見本となる大人がだらしの無いことをすればそれは真似られる。ズルをすればズルをする。嘘をつけば嘘をつく。見栄を張れば見栄を張る。子供達はそういう影響を受けるのである。
 導く者の考えや行動はとてつもない影響を子供達に与えるのである。これだけは誤魔化してはならないのである・・・。
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2014/7/26

祭りは中止されたが・・・  
 午後から雨となり幸○町会の夏祭りはあっさりと中止となった。『順延しないの?』・・・ここの町会は会長の任期は2年なのである。去年から今の会長である。実はこの人は幼稚園の園長だった。過去には幼稚園の昼休みに演奏を行っていた。行き始めた頃の園長は歓迎してくれた。礼など一つも当てにしていないこっちからの押しかけであった。しかし園長が交代するとその対応は一変した。歓迎どころか迷惑な顔を去れたのである。その翌年からこの事業は中止した。
 町会の会長はその園長だった。なるほど…順延してでもやりきる…そんな気も無いか…その後、幼稚園の園児は急速に減っていったのである。この男ではそうなってしまうのは当然である。こんな男を園長に指名したのはどなたか・・・公務員を信用していないのは(すべてではない)こんなところを見せられるからである。
 祭りが中止になり会場も空いていたので通常の練習日に変更した。これは正解だった。何人かは休んだが集まったメンバーの練習は盛り上がっていた。ジュニアリーダーが中心になってソロ演奏に、あっちでは花太鼓の習得に、そして青年組は久しぶりに顔を出した一○と大締太鼓や絶世・四季を楽しんでいた。
 一見すれば統一感の無い練習風景である。どこかしこで違うことをやっているのである。知らない人が見たならば不思議に思うかもしれない。コンクールの様な演奏がこんな練習で生まれるのかと思うかもしれない。しかし彼らは楽しんでそして求めている目標を練習をするのである。各自がやりたいことがやれるのがこのチームなのである。無理やりに強制することはしないのである。…いや、それが嫌いなのが私なのかもしれない。
 『学校祭で太鼓をやりたい!』そしてその相談をコーチ達とやっている。与えられてやってきたことが、いつの間にか自分達からという積極性が生まれた。そしてそれを気軽に相談できる先輩達がいる。そういう環境が作られてきている。
 チームの仲間達はまるで兄弟の様になってきた。・・・オヤジの役目の出る場面が毎年少なくなっていく・・・ちょっと寂しくもありである。
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2014/7/25

中身のある活動に・・・  
 明日の天気は午後から雨の予報である。明後日も雨である。明日は幸○町会の夏祭り、明後日はNPOのスポーツ大会である。夏祭りはステージを使えば雨はしのげる。スポーツ大会は屋外のスポーツは順延となりそうだ。
 昨日からメロンの収穫が始まった。これが始まると一日いっぱい休むということは出来ない。メロンの収穫だけは毎日である。そして湿度がある高温の日は朝晩二度見て回る。1回で1〜2時間はかかってしまう。そして洗い・選別・箱詰・出荷である。
 出荷は市場が三分の2位であとは地元や常連のお客さんが買いに来る。市場の価格は上下するが比較的に安定している。自宅で販売する時は市場の一番高い値段で設定して販売している。変形や傷物などの2級品も出てくる。2割位安くしてキロ単位で販売している。これを目当てにする人もいるのである。宣伝は一つもしていないがお盆まではほとんどその日の在庫は無くなってしまう。
 今のメロンを作りだして30年以上が経つ。地元市場にはうちの品物しか出てこない。価格もそれだけ安定はしているのである。しかしJAストアーには同じ市内の北○産が並ぶのである。それもうちの市場価格よりも安く販売するのである。品物を見ただけでその差は歴然である。味も違うはずだ。それだけの経験をして栽培しているのである。同じ品種だからと値段を比べられては困るのである。市場が価格のバロメーターである。人気のある商品は同じ品種でも作る人によって変わるのである。
 今日、最初にテスト収穫し仏さんにあげたメロンを味見した。まだ習熟が足りなかったが糖分は十分にのっていた。最近の温度差で糖度は更に上がるはずだ。お客さんの満足のいく製品になったと思う。
 種蒔きをしない前から予約をしてくる人がいる。わざわざ地方から買いに来る人もいる。大儲けできる様なことにはならないが、そんな人達がいることが続けていく気力である。
 メロンと人を比較するのは失礼だが、同じ太鼓をするならば人から慕われ愛されるプレーヤーに育てなければならない。それはプレーヤーを育てるのではなく人を育てることだと思うのである。全員が一級品のプレーヤーになれないかもしれない。しかしそれになれなくても人は育てられるのである。
 みんなでやぐらの上を独占して7番の花太鼓を繋げよう!・・・小学生達が習得に頑張る。上級生達がそれをそっとアシストしている。そんな事を自然にやっている。・・・外ずらじゃない中身のある活動である。
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2014/7/24

公私混同せず・・・  
 お盆の15日に地域の祭りをやりたいので応援してくれないか。それも父兄を介しての依頼である。お断りをした。
 15日は親戚が墓参りに何人も訪れる。家主がいない訳にはいかないのである。そしてメンバー達の家族も予定があるはずだ。打診も無く突然に頼まれても・・・それも主催者ではないのである。失礼である。
 今週の幸○町会の夏祭りは2か月も前に担当者から依頼を受けている。その後にまた確認の連絡を貰っている。立ち上げこそ町内会のメンバーを当てにしていたが2年目からはチームに依頼がきている。それは個人では責任が持てないのである。チームが頼まれれば我々が持っている様々なノウハウを提供できるのである。責任が持てる機材とスタッフ・メンバーがそろっているのである。
 イベントは計画が全てである。たとえ地域の小さな祭りでもである。盆踊りをやる。太鼓も必要だな。俺の友達の子供がやっているから頼むか・・・。頼まれた者は今度はチームに太鼓を借りなければならない。これじゃ誰が責任を持つのか。そんな祭りには協力は出来ない。
 チームが動けばそれだけの費用も掛かるのである。メンバーには飲み食いをさせなければならない。移動には燃料代も必要なのである。町内の祭りでも最低でもこれだけのことを賄って貰はなければならない。我々の持っているノウハウの分はボランティアである。しかしメンバー達が得られることはきっとあるはずだ。それらが彼らのお駄賃と考えたい。
 メンバー達を一人前のプレーヤーに育てる。やぐらの上で盆踊りをコントロールできる技術を伝える。それを親の安請け合いで使われては迷惑である。公私を混同しないでやってもらいたい。我が子であっても彼らは組織の配下のメンバーなのである。チームが動けば保険も適用されるのである。そして代表者がその責任を持つのである。それが個人で動くとその責任は全て持てないのである。
 過去にはそういうことがいくつもあった。責任が持てなくなってその尻拭いである。今回もそうである。これからは全てお断りする。協力を頼みたいのならばそれだけの順序を踏んでもらいたい。それでなければこの大所帯を簡単には動かさない。
 
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2014/7/23

夢物語が・・・  
 久しぶりの雨で畑が生き返った。そしてようやくTシャツを印刷した。
 メンバー達の成長で大人サイズのTシャツの在庫が無くなった。消費税が上がる前にS・M・L各5枚、計15枚のTシャツを買っておいた。雨でも降って仕事にならない時に印刷をしようと思っていた。しかしその雨がなかなか降らなかった。何とか今週の出演に間に合った。
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 今日の練習でサイズが合わなくなったメンバーに手渡した。

 今日の練習は3班に分けて1班が盆太鼓、2班に盆踊りをさせた。それをローテーションさせた。盆太鼓奏者が盆踊りも出来ない、盆歌も唄えないでは一流奏者にはなれない。メンバー達には『一流の盆太鼓奏者になってください。それには踊りを踊れなければ、歌も唄えなければなれません。栗沢太鼓は盆踊りを主催しているのです。そして生歌の盆踊りなのです。そんな恵まれたチームは無いのです。あなた達には一流の盆太鼓奏者になってもらいます…。』
 太鼓には『身体を使って全身で打ちなさい。』踊りには『太鼓に合わせて足を運びなさい。』・・・それを何度も伝えた。そしてみんなを集め『やぐらの上には20数台の太鼓が並びます。終わりに近い頃、全太鼓を栗沢太鼓のメンバーにしましょう。そして私が7番を始めます。そしてそれを次々に全員で回していきましょう。これだけのメンバーが揃ったのですからみんな頑張って7番をマスターしてください。』・・・みんなやる気の顔となった。苦戦していた海○も何とか覚えたようだ。
 大やぐらの上には20数台の太鼓が並ぶ。うちのメンバーだけでこの台数をこなすことは出来ない。毎年、兄弟チームに応援に来てもらっているのである。いつかは栗沢太鼓のメンバーだけで全太鼓を埋めたものだ・・・それは夢物語だと思っていた。最後の数分になるかもしれないが、それが実現できそうだ。
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2014/7/22

スズキのバイク・・・  
 某ビールパーティーの出演依頼が来る。去年と同じく北○の演奏会と同じ日となった。一曲演奏してとんぼ返りしてもらうか?或は二班でこなすか?・・・。
 やっと雨が降り出した。ちょっと遅かったが喉から手が出る位にほしかった雨である。まとまって降ってほしいが…。
 夕方から運営委員会がありその前に更新した免許証を警察署まで取りに行ってきた。免許の写真は自分でデジカメで撮った。ぼさぼさ頭で顔が真黒に焼けていた。これから5年はこの免許証である。誰にも見せたくないが日本ではID代わりである。その前の免許証は5年間おまわりさんには一度も見せたことがない。しかし銀行の窓口など身分保障に使う方が大半だった。何だか可笑しいですね。
 初めて免許証を取ったのは高校1年生である。隣の一期上の奴が自動車学校へ行ったが学科試験が合格せず夏休みに札幌の試験場に行くということで一緒に行って受けてみた。・・・自動二輪免許を一発合格した。1,600円だった。今でも大型自動二輪の免許所有者である。クラスで最初の合格者となった。その頃は自動二輪通学が出来た時代である。自動車学校の授業料は1万円位だった。高3で普通免許を取ったが授業料は4万円位だったと思う。その2〜3年後に大型特殊を取っている。7万円だった。
 地方試験を一発で合格するのはその時代でも極めて珍しかった。それにはちょっとした理由があった。叔父がスズキのバイクを乗っていてそれを乗り回していたのである。・・・といっても自宅周りとか河川敷とかである。いざ試験に行くと排気量は違ったが試験車はスズキのバイクであった。まるで我が愛車感覚で乗り回せたのである。しかし失敗をしていたのである。発進のウインカーを消し忘れていたのである。おそらくは試験官がそれを見落としたと思う。自分では落ちたと思っていた。しかし・・・見事合格だった。家に帰ってオヤジに報告すると『俺はあんなに苦労して免許を取ったのに…』とあきれていた。
 同級生達は学校の許可を取って自動車学校へ通って免許を取っていた。私はその許可も取らず夏休み中にやってしまったのである。1年生の時は全寮制だった。誰も免許を取ろうとは思っていなかったのである。2年生になって自宅からの通学となりみんな免許を取りだした。しかし事故が相次いで起こった。同期生が無くなる事故も起こった。それ以後、自動二輪での通学は禁止されてしまったのである。
 せっかく持っている大型自動二輪の免許である。ハーレーでも乗り回したいが・・・しかし爽快なのは天気次第なのである。そんな時は一時しかないのである。雨は最悪である。顔に当たると痛いのである。寒さは耐えられない。スロットルレバーを握り続けるのも大変である。・・・やっぱり屋根があってエアコンがある車が今の私には一番いい。
 若さとは冒険である。CB350が愛車だった。何キロ出るかと試したことがある。時速16○まで出した。早朝の直線路である。カタログは18○だった。それも燃料タンクにべったりと身体を引っ付けて出した記録である。バカである・・・。
 免許証を取りに行って若かりし頃を思い出した。親も知らないやんちゃなことをやった。我々はそれが出来た時代である。今のメンバー達がそんな世代になっている。しかし我々の世代と違い今の子供達はしっかりと親や世間が見守っている。冒険もやんちゃもなかなか出来ないのかもしれない。それは果たして子供達に良いことなのかとも思う。安心安全で育てる。それだけでは足りないのではないか。冒険する、やんちゃなことも・・・海外公演はそれだったのかもしれない。
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2014/7/21

恩返し・・・  
 昨日はビールパーティーがあっておいしいビールを沢山飲んだ。そして同じ町内の人と二次会へ・・・飲み過ぎた。久しぶりに見る顔が何人もいた。みんな老けたなア・・・そういう我が身もそう見られているか。
 街の人達と顔を合わす場所が次々に地元から消えていく。飲食店はシャッターが下りスタンドも無くなった。辛うじてJAのストアーは存続したが買い物客は年配者が多い。車を使える若者は大型のショッピングセンターへ向かう。確かに品揃えも豊富だし価格も安い。しかし車が無い老人は買い物や病院へはバスやJRを使うのである。インターネットやホームセンター・ショッピングモールでの買い物・・・便利な世の中と思うのはそういう環境に合わせられる人達なのである。
 昨日のビールパーティーでは私はまだ若い方の参加者だった。2次会のスナックでは殆どが年金受給者だった。昼間も夜も老人の世界である。あと数年で我が身もその仲間入りなのか・・・何とも寂しい思いである。
 週二回の練習場は子供達の笑い声であふれている。それが私の世界なのである。彼ら達と付き合うと自分の年齢を忘れてしまうのである。彼らから『高○さん歳いくつ?』と聞かれることがある。それはいつも誤魔化している。腰が痛かったりして動けない時もあるが、まだまだ技術に衰え?はない。ただ、息が切れ、後遺症を気にする程度である。(これが老体の症状である・・・)
 この高齢化した街にとって子供達が中心の太鼓チームは特別な存在なのである。子供達のパワーがこの街の人達に元気を与えているのである。そしてその活躍に期待しているのである。しかしそれは副産物である。あくまでも今のメンバー達が大好きな太鼓をエンジョイすることである。それが我々のチームである。誰の為に太鼓をやるのではなく自分がやりたいからやるのである。束縛されるのはチームを乱さないことでしかない。上手になりたいという意欲がメンバーの資格である。へたれでも才能が無くても構わないのである。意欲という気持ちがあるならば彼らは間違いなく成長していく。そういうメンバーの集まりが今のチームである。
 声援してくれ街の人達に元気を与えているのはチームの存在ではない。彼らの成長の過程なのである。真剣に打つ姿、元気な気合、見事な演奏に振り、統一されたリズム・・・それよりも大切なのは明るく元気で笑顔のある活動なのである。これが一番大切なのである。それがチームの一番の魅力なのである。・・・それを求めてきたのである。
 人の顔を見て我々の活動はしない。メンバー達がやりたいことをやる。我々はそれをサポートする。そしてその技術を伝える。・・・その結果が地域への恩返しとなると思っている。
 
 
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2014/7/19

頭を使え・・・  
 メンバー達には一流の盆太鼓奏者になってほしい。その為に持っているノウハウを伝えていく。今日もテープでの太鼓、生歌での太鼓の役目を…そして基本のリズムがいかに大切かを伝えた。
 花太鼓を覚えたらそれは使いたくなる。未熟な連中にそれを覚えさせて盆踊りを壊されるのではないか?・・・それは違う。花太鼓を覚えて基本リズムの大切さを知っていくのである。みんな真剣に覚えようとしている。そしていざ使ってみると自信がない。手打ちになって破たんするのである。それは上達への道程なのである。しかし知識で伝えておけばその道筋は短縮していくのである。それが伝えていく大切さなのである。技術は知識があって上達していくのである。正しい知識が彼らを飛躍させていくのである。
 今は覚える楽しさと習熟していく努力の時間である。これを繰り返して頭で考えて打つ太鼓から身体でリズムを刻む段階にステップアップしていく。ここまできたら盆太鼓が楽しくてしょうがなくなる。あとは本番のやぐらの上である。・・・『誰にも交代したくない・・・打ち続けたい。』と思ったなら本物である。
 私だってコーチ達だってみんなと同じ様に初心者から始まったのである。それまでの過程はほとんど変わらないのである。しかし我々は得た知識と技術を惜しみなく後輩達に提供しているのである。それが今のチームの力である。
 プレーの見本を師範できる、そして解説して伝えることができる。ただがむしゃらに練習をするのではなく頭で理解して練習をする。それは頭でシュミレーションする。イメージを持ってトレーニングできることになるのである。チームの練習時間はとても短い。しかしイメージトレーニングはその短い練習時間を補えるのである。これをもっと使いたい。
 ス○ーの検定や選手権にはこのトレーニングをよくやった。『突然変わる滑りになる…あなたは面白い。』と言われたものである。それはイメージトレーニングで実践の滑りにも活用できたのである。
 技術は頭の使い方でも変わるのである。知識とイメージ…そしてアイデアで無限な世界が広がるのではないだろうか。若者達には我々を超える無限の可能性があるのである。
 自分のオリジナルを創りなさい!・・・彼らの頭を活用しなければ・・・。
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2014/7/17

大人は見本とならなければ・・・  
 夕方からNPOのスポーツ大会の会議があった。今年から監事となった佐久○事務局長も出席した。昨日の練習の後、佐久○さんに預けてあった半纏を持ってきてもらった。小3の晃○が身体に合わなくなったと昨日の練習に衣装を戻してきた。小3にして子供用は用をなさなくなったのである。三役に預けた半纏を回収しないと間に合わなくなる状態になったのである。あと予備は私と三○会計用の2着である。
 帰り際、佐久○さんから先日の小樽のひき逃げ事故の犠牲者が彼の長女の同期生と聞かされる。クラスは違うが顔は知っていたかもしれない。私の母校の後輩である。マスコミから取材の電話が来たという。市内の同級生4人組とは聞いていたが・・・胸が痛い。
 
 私もコーチ達も何のライセンスも無い。持っているのは持論のことでしかない。ライセンスを持たない指導者なのである。しかし一流の指導者の集まりだと思っている。それは私がス○ーの指導員の経験があってその世界を知っているからである。そして私自身がその世界では認められる存在だったということである。
 しかしその世界は私の求めているものではなかった。そこには曲がった権力があった。メーカーとの癒着や利権もあった。理○長はメーカーから新しいウェアーや板が来たと露骨に言った。そして決定は全て彼の判断だった。公私が混同する世界だった。
 太鼓の世界もそれになっていた。実力ではなく権力でねじ伏せる。あの男はそれをやった。それは絶対に許されないのである。この管内の太鼓界で権力を持って好き勝手にやることには徹底して戦っていく。
 『子供達に言い訳をしなければならない。』そんな活動には絶対にしない。権力で言い訳をするのは醜いものである・・・。
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2014/7/16

肝心となる存在・・・  
 基本練習をカットして盆太鼓の練習を入れる。最初は子供盆太鼓そしてテープでの大人盆太鼓である。ミィーティングの後は花太鼓を取得している上級生達を先生にして後輩達に教えてもらった。ぎこちない教え方だがじっと我慢である。
 新しいことに挑戦しなければ成長はしていかないのである。教わる側だけでは片手落ちなのである。教える側となればどう教えるかと考える。その最初は緊張も起こる。模範の太鼓もしくじることもある。そんな経験が大切なのである。・・・任せた練習は彼らで工夫をしだした。それは物真似かもしれない。しかし考えるということが彼らを変えていくのである。
 彼らの力量で花太鼓を覚えても実践ではすぐには通用はしない。しかし、やぐらの上でそれを知っているか知らないかで太鼓を打つことはまるで違うのである。彼らに知識を持たせることはそれが使えなくても大きな自信となるのである。そして挑戦したい気持ちの葛藤と向き合うのである。
 我々の盆太鼓では強制して花太鼓を入れることはしない。個人で入れることは自由にしている。音を乱したなら速やかに中止させる。しかし、自信の無い連中は集団でやろうとする。そんな連中が集団でやってしまうと決まって音を乱してしまうのである。これはベテランが集まってもそうなってしまうのである。自分達で酔ってしまうのである。太鼓の音が盆踊りをリードしていくベースなのである。自分本位な太鼓を打ってそれを乱すことは許されないのである。
 農業祭の花太鼓は集団での演奏を禁止している。あくまでも個人レベルで入れてもらう。個人で回して打つことは構わないがそれを集団でやることは絶対に禁止である。それを怠るプレーヤーはやぐらから降りてもらう。
 生歌の盆踊りでリードしていける太鼓打ちは、この近隣ではうちのチームの数名しかいない。それもベテランの何人かである。ジュニアののメンバーには今は誰もいないのである。それを育てなければならないのである。そのノウハウをチームはしっかり持っているのである。
 盆太鼓は実力の世界である。格好だけで済むものではない。教わったことが即実践とはならないのである。農業祭の『大仮装盆踊り大会』が継続しているのは、その肝心となる太鼓プレーヤーがいるからである。それを無くしてこの祭りは存在できないのである。
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2014/7/15

お調子に乗っては・・・  
 旅猿のTVを見て、キャンビーへの旅を思い出した。本場メキシコのタコスは本当に旨いのか?、キャンビーのタコスはひどかった。口にあったのはデイビットが差し入れしてくれた蟹とビールとワインとコーヒー位だった。ハンバーガーも日本のものの方がよっぽど旨い。ステーキもただデカいだけ・・・醤油と味噌は我々には欠かせられない味覚と感じた。
 それはおじさん達だけかと思ったが若者達も同じだった。いや・・・あそこの国の連中の舌が味覚音痴なのではないだろうか。そして大食である。あの肥満は普通の食事で成りようがない。日本の太っているどころの感覚とは大違いである。
 彼らの日常は外食文化なのである。朝はハンバーガーやドーナッツで済ます。昼食はホットドッグやピザ・・・夕食はファミレスやステーキハウス、それが日常なのである。それは全ての家庭がとは思わないが、僅かの訪問で感じたことである。
 太鼓の演奏をしてあれだけのリアクションをする・・・それは日本では考えれないことである。食に関しては大雑把に見えるが感情の表し方は日本人とはまるで違うのである。しかし打ち合わせや現地のマナーにはすごいシビアであった。通訳の乃○江さんとは周到な打ち合わせを行っていた。今考えれば我々に恥をかかせたくなかったのだと思う。そういう思いやりだったのではないだろうか。
 『予算がないならば我が家の住宅やキャンピングカーで宿泊できる。また来てほしい…』『30周年に行きたい』という返答にはすぐに『イエス』という返事が来た。しかし実現できなかった。・・・考えればあの時点でGOだったら成功出来なかったかもしれない。チームにはその実力が無かった。
 あの時点で中止という結論を出したことは正解だったと思っている。中止した理由を金銭の問題としていたがそうではなかった。それだけのチームを育てていなかったのである。それはメンバー達の年齢的なことが大きかったのである。
 20周年のメンバー達は演奏も精神も大人だった。高校生が中心でそれだけの経験をしていた。しかし30周年のメンバーは子供だった。親をまだ当てにする甘ったれだった。しかしそれを可能性として判断し実行しようとしたのである。これは判断の誤りだった思っている。
 再訪問を希望したナンシーの要望は期待に応えられなかった。それをお金で解決しようとした。それは大バカなリーダーの失敗だったと思っている。それだけのチームを育てられなかった。それをお金のせいにしてしまった。これではどこからも助成など受けられるはずがないじゃないか。・・・世間は甘くはなかった。
 お調子に乗っていた自分がいた。過去の成果は今の実力ではないのである。それを忘れていてはのぶちゃんとは言えないのではないか・・・身の丈にあった実力を判断せねば・・。
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