2011/4/28

また1つ年をとりました  

わたくし、高橋紀子として高橋家に第2子で長女として誕生し、4月24日で41歳になりました。

小1の時と中3の時に肺炎で一か月ほど入院したぐらいで、それほど大きな病気もなく育ちました。両親には感謝いたします。

大人になり佐川家に嫁ぎ、佐川紀子になりました。子供にも恵まれ、あれよあれよと、2児の母となりました。

その子供たちも5・6年生になりました。
5年生の娘が意外に企画力があり、私のお誕生会をプロデュースしてくれました。

誕生日プレゼントに車のお掃除、観葉植物、夕飯はおとーさんがにぎるお寿司。
おかげさまでカウンターでお寿司屋さんごっこのようにお寿司を食べることができました。
とても美味しく楽しかったです。

おかーさんのために何かしてくれるってとっても嬉しかったです。




そして、今日・・何気に鏡を見てて白髪を発見!!!

1本でなく10本くらい・・・きゃー!私としたことが・・震災で悩んじゃったのかな?それとも、いやおうなしにやってくる『老化現象』かーーー!!!

しょうがないね。

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2011/4/20

大地震  

あの大地震の日から私たちの平和な生活が崩れてしまいました。
『東日本大震災』って名前だけでは片づけられません。

津波で家を流されたり、家族を奪われたり、命を落としたりということがこの近くで起きました。
今も余震は続いています。4月11日(月)の震度6弱の余震では電気も水道もとまりました。
断水は一週間続きました。

大きな地震が来るたび、学校は一週間くらい休校になり、成長が止められない子供たちはかわいそうです。

いわき市は広くて私たちが住んでいるところは原発から60kmぐらい離れていて、避難地域ではありませんが、未来を生きる子供たちが知らず知らずに放射能に侵されては大変なので心配です。

旦那の会社は津波で一階部分が流され営業できないので一旦解雇です。でも社長社員が一つになってがれきの撤去作業もし、復興に向けて頑張っています。
昨日、仮店舗でオープンできたそうです。
みんな明るく頑張っています。

私の仕事の児童クラブは、地震・断水で学校が休校の時は子供たちを預かることができなかったけど、大きな地震のあと一週間ずつ休んですぐ開始しました。

子供たちは、学校も行けない、お外でも遊べない、お友達にも会えない・・とかなりストレスがたまっているようでした。でも子供たちは、地震も放射能も去ってしまえばあまり影響はなく、無邪気な笑顔で以前と変わらなくパワフルに遊ぶのでした。

それを見て、大人も元気出して頑張らなくては・・・と思いました。




何が大変だったか・・・を話します。

大変だ大変だ!とは言いますが、私のことなので地震にも負けず、断水にも負けず、放射能にも負けず、陽気にやっていましたが・・・



断水で大変なこと・・・

・トイレが流せない(バケツで流す)
・手が洗えない(ウェットティッシュ)
・お風呂に入れない(何とかしのいでから友人宅で頂く)
・洗濯できない(何とかしのいでから友人宅で洗わせて頂く)
・キッチンが使えない(いつもはやりたくないのに水が出ないとやりたくなる)

地震で大変なこと・・・

・道路がでこぼこになって通行止め。もしくは渋滞。
・うちは大丈夫だったけど、建物・地面に亀裂がはいる。
・水槽の水がこぼれる。
・いつも職場で大地震が起きるから家族の安否がわからない。しかも預かっている子供を保 護者に返すまで自分が帰れない。

放射能汚染で大変なこと・・・

・風評被害で物資が届かなく、スーパー・コンビニから商品がなくなり、店が開かなくな  る。開いたと思ったら入場制限がかかり何時間も待ってやっと買い物ができる状態だっ 
 た。 
・ガソリンがなくなり、スタンドが開かない。開いても何時間も待って入れる状態だった。
・外で遊べない。校庭で体育ができない。
・サッカーなどのスポーツができない。練習グランドががれき置き場になっている。アリー ナ体育館が避難所になっている。




やっと最近、普通の生活に戻ってきたような気がします。あとは、放射能が早く落ち着いてほしいです。早く息子がサッカーをやる姿を見たいです。















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