2006/8/2
安倍晴明公の逸話の中に、呪詛返しについて次のような話があります。
晴明が通りかかった公家の一人をじっと見つめていると、その行列を突然呼び止めて、「貴方は呪詛(じゅそ)されている。このままでは命が無い。」と言っった。するとその公家は「何とか助けてくれ。」と晴明に頼み、公家を呪詛している人間を突き止め、呪詛返しの方術を行って助けた。
現代においてもネットなどで「呪詛します」とか「恨み晴らします」などといって、わら人形のセットなどを売っている商売があるようですが、「呪詛」を代行する商売はいつの時代にもあるようです。
呪詛は本当に存在するのでしょうか?
確かに、呪詛によって事故や病気、死に至らしめられることも実際にあります。
大祓(おおはらひ)の祝詞(のりと)の詞に、「蠱物為罪(まじものせるつみ)」とあるのは、呪詛をした罪、ということです。
呪詛には2つあります。
一つは詛事(とごひごと・・・呪いの言葉、呪文など)を念じること。
一つは心の中で恨み呪うこと。これを怨念と言い、死者の怨念を怨霊と言います。
この怨念の霊的波動に感染して、呪詛された人は悩まされるわけです。
古くは古事記に出てくる、海幸彦、山幸彦の時代に、呪いの話が出てきます。
厄介なのは、呪詛することは比較的簡単に出来ますが、呪詛された側が、その呪詛を解くことは、大変難しいということです。
また呪詛されているかどうかを見極めることも、なかなか困難でしょう。
晴明公の卓越した方術によって、「呪詛返し」を行って、公家は命拾いをしたわけですが、能力も無いのに、下手に「呪詛返し」などと言って関われば、取り返しのつかないことになるでしょう。
私は何度か呪詛返しを修しましたが、一歩間違えば、こちらがやられてしまうのですから、「命懸け」と言っても過言ではありません。
「人を呪わば穴二つ」と言う諺がありますが、まさにその通り!
呪詛した本人は、「蠱物為罪(まじものせるつみ)」によって、必ず自らに戻ってくることは明らかです。


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