陰陽師の重要な仕事に相地(そうち)があります。
相地とは遷都などの大事業にあたっては、まず陰陽師らによって下検分が徹底して行われました。
その際最も重視されたのが「四神相応の地」という条件でした。
天皇が政(まつりごと)を行うために、宮城を構え、新たに都となる土地は、交通や気候、規模など地理的に体制を維持できるにふさわしいものであるのかということはもちろん重要でしたが、このような条件に加えて霊的にその土地が天子や民衆に吉祥をもたらす土地であるかと言う点が問題となったのです。
陰陽師は様々な占術を駆使して理想の都を見出そうとしました。この統合的な吉地選びを「相地」と言います。
第43代元明(げんめい)天皇の「平城遷都の詔(みことのり)」には次のように記されています。
「新たに皇都(おうと)として決定した平城の地は、昔から皇都の瑞祥(ずいしょう)とされる四禽(しきん)が東西南北に正しく当てはまる四神(しじん)相応の土地で、また畝傍(うねび)・耳成(みみなし)・香具(かぐ)の三山が都の周囲にそびえ、皇都の鎮護をなすような要害堅固の土地だ」と。
四禽が東西南北に正しく当てはまる四神相応の土地と言うのは、陰陽道で理想の土地を差します。すなわちあらゆるエネルギーが充填された中心の土地を守護するように、その四方を四体の神獣に擬された山々が座していると言うのです。
言うまでもなく中央の最もパワーが蓄積された場所に宮城を建造します。この場所を穴(けつ)と呼びます。
さらに周辺の山々〈龍脈)から穴に流れ込み蓄積されたパワーを漏らさないように取り囲んだ山並みを砂(さ)と呼びます。
砂は東西南北の四方にあるのが理想とされていますが、実際にこれだけの条件が揃うのは希なことです。
四方を囲む砂は「四神砂(しじんさ)」と呼ばれ、四禽を指します。せっかくエネルギーが蓄えられた穴があっても、それを取り囲むようにガードする砂が無ければ、穴のパワーは次々に漏れ出てしまいます。
理想的な土地には穴を四方からガードする砂がどうしても必要になります。
四神砂とは東の青龍(せいりゅう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)の4つの神獣のことを言います。
平安京で言えば、貴船(きぶね)山から船岡山に至る山容が玄武にあたります。
青龍とは主山が北側にある場合、穴の東側の山並みです。
白虎とは西方守護の山並み、朱雀とは南側に位置する山並み、と言うことになりますが、朱雀に関しては山の代わりに河川や池などがあてられることもあり、これを通常の山朱雀に対して特に水朱雀と呼びます。
東から鴨川、西から桂川が流れ込み、南方で淀川に合流する平安京は、まさにこの水朱雀によって守護される四神相応の理想の吉地なのです。
詔では平城京、つまり現在の奈良こそこの希な条件を満たす理想の土地としていますが、実際にはそれぞれの砂である山々の勢いが乏しく、穴にパワーを送るべき山(これを玄武(げんぶ)と言います)もあいまいなことから理想の地と言うには程遠いと言う説もあります。
天皇の居住する都が真の意味で四神相応の地、と呼べるような皇都となったのは桓武(かんむ)天皇によって造営された現在の京都、平安京からと言っていいでしょう。何故なら同一の体制で最も長い四百年もの間、平安時代は続いたからです。
同様に約四百年続いた体制と言えば・・・。そうです、徳川幕府です。
徳川家康は現在の東京、つまり江戸に幕府を開き、天海(てんかい)僧正に命じて江戸を完全に「四神相応の地」としたのでした。
そして、現代に至って「江戸」が「東京」と変化しても、太平洋戦争に敗戦した後も、今だに繁栄を続けています。
陰陽道の呪術とは凄まじいものです!
単に人間の力だけで物事が動いているわけではないのです。特に国家規模のこととなれば尚更です。
都は四神相応の地を選ぶことで、治世を安泰にすることが可能ですが、個人の家を四神相応の地に建てることはほとんど不可能です。
土地を選ぶことは困難あるいは不可能ですが、どんな土地でも四神相応の地にすることを可能にするものがあります。
神社などでは四神旗(しじんき)を配したり、御富岐玉(みほぎだま)を部屋あるいは家の四隅に配することで、四獣によってその場所を守護することが可能になるのです。
御富岐玉で貴方の家や部屋を四神相応の場所になさっては如何でしょうか。
《神社にある四神旗》
《御富岐玉》
御富岐玉についてはこちらまで・・・
http://www2.tba.t-com.ne.jp./onmyoukai/newpage36.html

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