毎年8月6日、9日が来るたびに、私達日本人はアメリカによって広島、長崎に投下された原爆について様々なニュースを目にします。
太平洋戦争(第2次世界大戦)のさなか、各国は原爆開発に躍起になっていました。
広島、長崎に落とされた原爆は、アメリカ製ではなくドイツ製だったことが明らかになってきました。
終戦間近、ドイツ製の原爆が2個完成し、当初ヒトラーはロンドン、リバプールに投下する予定でしたが、余りの破壊力の大きさを考え、これ以上死人を出したくないと言って、原爆の使用を止めたのでした。
ところが、ヒトラー側近の裏切りによって、この2個の原爆がアメリカのアイゼンハワー大統領の手に渡る、と言うことが発覚し、それを阻止するためにヒトラーはこの原爆の処置を命じましたが時既に遅く、アメリカに奪われてしまったのでした。
そしてこの2個の原爆は、アメリカが主張するような「早期戦争終結」の為ではなく、単に「原爆の実験」として広島、長崎に投下されたのです。
日本においても、原子爆弾の開発が急がれていました。起死回生をもたらす決定打として、この「新兵器」の開発は軍部によって密かに進められていました。この開発には三笠宮、高松宮が関わっていたとも言われています。
原爆開発に躍起になっていた杉山陸相は、日本軍が原爆を完成すれば、最初ハワイに落としてその威力を示し、戦況を有利に導く計画でした。
ところがこのことを知った昭和天皇は、東條首相と杉山参謀総長を強くいさめ、次のように開発中止を促されました。
「数カ国が新兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に完成し、使用すれば、他国も全力を傾注し完成させ、使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか。またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地民とともに苦労し、今日を築き上げたところである。そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる。」
当時世界では、最初に原爆を完成した国が世界を制覇できると考えられており、各国ともその開発には血眼になっていました。これに反対する者など誰一人いなかったのです。
昭和天皇は「原爆」が人類滅亡のきっかけになることを深い洞察力を持ってお考えになられ、開発中止を命じられたことを日本国民はもっと知らされるべきではないでしょうか。
日本に原爆が投下されたことで、これ以上戦争を続ければ人類滅亡に至ることを危惧されて、昭和天皇は「終戦」と断定されたのです。
昭和天皇の「英断」によって、私達は戦後の平和を得ることが出来たのだと考えます。
1952年(昭和27年)11月、広島を訪れた国連国際法委員会委員で、元東京裁判判事のラダビノッド・パール博士世界連邦亜細亜会議で次の様に述べました。
「広島、長崎に原爆を投下した時、どのような口実がなされたか。日本として 投下される何の理由があったか。当時既に日本はソ連を通じて降伏の用意をし ていた。連合軍は日本の敗北を知っていた。それにも関わらず、この残虐な兵 器を日本に投下した。しかも実験として広島と長崎に投下したのである。この惨劇についていろいろ考えなければならないが、しかし彼らの口から懺悔の言葉を聞いた事はない。彼らは口実として、もし広島に原爆を投下せねば多数の連合軍の兵隊が死ぬ事を強調した。原爆投下は日本の男女の別、戦闘員、非戦闘員の区別なく無差別に殺す事である。一体、白人の兵隊の生命を助ける為に数十万の非戦闘員が虐殺される事はどういう事なのか。彼らが尤らしい口実を作るのは、このような説明で満足する人々があるからである。」(加藤典洋著「アメリカの影」)
東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成し、アジアの平和確立に寄与した功績で国連ハマーショルド賞を受賞したマレーシアのタンスリー・ガザリー・シャフェー元外務大臣も平成5年(1993)11月に来日した際、この広島の原爆慰霊碑について次のように語っています。
「以前、広島を訪れた時、小学校の先生が原爆慰霊碑の前で子供達に『日本は昔、悪い事をした。これはその記念碑だ』と教えていたのを見ました。それで広島市長に『原爆慰霊碑と原爆資料館は日本人が見るべきではありません。ワシントンに持っていき、アメリカ人に見せて、アメリカ人に反省させるべきではないでしょうか。原爆資料館がここにあるのは不適切だと思います』と言った所、広島市長達は真っ青になってしまったが、やがて彼らも私の意見に賛同してくれました。それにしても日本人はなぜアメリカに対して異様なほど怯えているのか。敗戦国心理から早く脱却するべきではないだろうか」(『祖国と青年』平成6年1月号)
太平洋戦争終結後60年以上を経て、私達の記憶から戦争は次第に影が薄くなってきています。
また、昭和天皇は戦争責任者だ、天皇イコール軍国主義だ、と声高に叫ぶ人々もいます。
けれども、昭和天皇御一人だけが、たとえ戦争のさなかにあっても、敵と戦っていても、人類の未来をお考えになられていたのであり、自国の勝利だけを考える欧米列強の侵略者とは全く違っていたのです。
欧米列強の侵略者には、このような天皇の大御心を決して理解することは出来ないでしょう。


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