「神道」は戦後は「しんとう」と読むようになりましたが、戦前は「しんどう」と読み、さらに明治以前は「神祇」と書いて「しんぎ」と呼んでいました。
もともと神道は宗教ではなく、日本民族固有の伝統的なまつりごとと、それを支えている生活態度および理念であり、縄文時代の土器などに見られる自然崇拝や精霊信仰や呪術などから発し、次第に祖先神・氏神・祖国神の崇拝を中心とするものになり、日本民族の精神生活の基本概念となり、他方では、大和朝廷によって天照大神を天皇の祖神とする国家的崇拝として制度化され、歴代の天皇に受け継がれてきたものです。
「神道(しんとう)」ということばは、この日本の伝統的土着宗教を形成する概念を表現することばとして、外来信仰である仏教の概念から峻別するために創られたもので、別に、「かんながら(惟神)の道」とも言います。
その後、仏教や儒教などの影響を受けながら、両部神道・唯一神道・伊勢神道・垂加神道・復古神道など多くの神道理論が生まれました。そうした神道理論や概念を援用して明治維新の精神的支柱とする国家神道が形成され、明治以後、神社は伊勢神宮を頂点とする国家管理のもとに置かれ、祭祀は国家が中心となって行われました。
神道が様々な宗教とは全く異なる所以は、教祖、開祖がいないということです。また、教義・経典が無く、戒律もありません。
ただ、そうした神社神道(国家神道)に対して、近年発生した神道理論や祭祀に基づき教祖・教理・教会・教師などの宗教的組織をもち、信仰団体として活動したのが、「教派神道」です。明治以降、神道十三派として公認されていたのが、神道大教・黒住教・神道修正派・出雲大社教・扶桑教・実行教・大成教・神習教・御岳教・禊教・神理教・金光教・天理教です。これらは本来の神道とは全く異なった存在で、仏教や陽明学、陰陽道、キリスト教などの影響を受けた宗教と言えます。
日本古来の真の神道は、縄文時代に行われていた磐座(いわくら)祭祀または磐境(いわさか)祭祀にさかのぼります。
これは神殿を設けない典型的な上古のヒモロギ式の祭祀です。
このような祭式を行うことを敢えて古神道と呼んでいます。
現在でも地鎮祭、上棟祭など出張祭典で四方を斎竹(いみだけ)で囲い、注連縄を張り巡らせ、案上(あんじょう)にヒモロギを御奉斎し、祭祀を行っていますが、これは古神道の名残と言えます。
神々は高い山や海の彼方から、人々が祀りを行う神聖なヒモロギに降臨され、祀りが終わるとヒモロギから離れて帰られました。
ヒモロギとは、神がそこに降りる聖なる木のことを言います。
現在では「神籬」と書きますが、これは漢字の宛て字で、本来はヒ=霊・アモル=天下る・キ=木と言うことです。
つまり神霊がそこに降臨する木のことを言います。
現在でも三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社では、拝殿はあっても本殿の無い、磐座祭祀が続いています。
現在の社殿のある神社の形は、7世紀頃に始まったものであり、当時仏教が伝来して仏教寺院が建てられ始めたことから、神道においても神殿を建立しはじめ、今日に至っています。
お寺には仏像が必ず安置されていますが、神社には基本的に神の姿を表す像はありません。
皆さんは日本の「カミ」の姿を想像なさったことがあるでしょうか?
日本における神とは、その実体を目で見ることの出来るような存在ではないのです。
日本人は古来から自然そのもの、山、海、木々などを神として崇め、姿無き神は、見るものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接響き合う存在であり、感じる存在だったのです。
平安末期から鎌倉初頭に生きた歌人・西行 が、伊勢神宮を参拝した折に「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」 と詠んでいるのは有名な話です。
このような目に見えない存在を、畏敬の念を持って「感じる」というような感情は日本人以外には中々理解し難いものではないでしょうか。
日本人の心性の基層にある自然との共生、大地の恵みへの感謝、自然との調和と言った感情に気付かされる時、皆さんの心の中にあるのは、紛れも無く古神道の精神であることは間違いないのです。
現在、神道は戦後GHQの神道令によって、一宗教法人とされてしまいましたが、元来、教祖、開祖、教義、経典を持たない神道は、宗教とは言えない存在なのです。


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