今日、8月27日は、明治天皇さまがご即位なさられて日です。
明治天皇さまの誕生日は11月3日ではないかと思う方も多いと思うのですが、それ
は太陽暦での話。このシリーズは基本的にその当時の暦で書く方針を取って
おりますので、それでいくと嘉永5年9月22日未下刻(14時半頃)ということに
なります。はじめ祐宮(さちのみや)と名付けられました。
明治天皇さまの御生母は中山慶子権典侍(権大納言中山忠能の次女,のち従三位・
大典侍)です。良家の娘ばかりの当時の後宮において、身分も低く田舎育ち
であったものの、孝明天皇さまは逆にそれが新鮮な魅力にうつって御子誕生と
いうことになったとも言われています。時代的背景もあり、宮中で純粋培養
するよりも自然に育てた方が良いとの方針で8歳になるまで中山家で養育され
万延元年(1860)9月28日親王宣下、睦仁(むつひと)の名を賜ります。
そして慶応2年(1866)12月25日孝明天皇さまが急死すると年明けの同3年1月9日
弱冠15歳で践祚。天皇となりました(即位は翌4年8月27日)。なお睦仁親王の
上には3人の皇子がいましたがいづれも夭折しており、孝明天皇の子で大きく
育ったのは結局明治天皇だけでした。(准后九条夙子も内親王を一人産んで
いるがやはり夭折している。当時の天皇家の血統は危機的状況であった。
これは五摂家の娘でなければ女御になれない当時のしきたりに問題があった
ともいわれている)
世が世であれば天皇は学問や文芸だけをしていれば良かったのですが時代は
そのようなことを許してはくれませんでした。
まだ即位式もあげていない慶応3年10月14日、将軍徳川慶喜が大政奉還を請い
24日には将軍職の辞職を建白。これをうけて朝廷では12月9日王政復古の号令
を発して将軍職を廃止しました。明治維新です。
明けて慶応4年3月14日には五箇条の御誓文が発表され、4月11日江戸城開城。
7月17日江戸を東京と改名、8月27日に即位式をあげると9月8日明治改元、
同20日には日本の分裂を避けるため天皇は京都を発って東京に向かい10月13
日江戸城に入って東京城と改名しました。

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