陰 陽 道
陰陽道は、6〜7世紀に支那から朝鮮を経て日本に入ってきたと言われていますが、支那にも朝鮮にも陰陽道という言葉は存在しません。
陰陽道は日本にもともとあった古神道と、支那から伝来した陰陽五行思想とが融合し、より高度に発展させ醇化することで日本の文化に溶け込み現代の人生儀礼や季節の行事として民間にまで幅広く浸透しているものです。
陰陽道が発祥の現代に残る人生儀礼や季節の行事には次のようなものがあります。
人生儀礼としては帯祝い(安産祈願)、出産祝い、お七夜(命名式)、初宮参り、お食い初め、初節句(雛祭り・端午の節句)、七五三(三歳:髪置きの祝い、五歳:袴着の祝い、七歳:帯解きの祝い)、髪上祝い(十三参り)、元服(成人式)、厄年(厄祓い)、賛賀(還暦・古稀・喜寿・傘寿・半寿・米寿・卒寿・白寿・上寿・茶寿・皇寿)などがあります。
季節の行事としては、正月の屠蘇、七草粥、どんど焼き、追儺(節分)、雛祭り、端午の節句、名越の大祓(茅の輪行事)、七夕、八朔(中元の元)、重陽(菊の節句)、亥の子餅、七五三、師走の大祓などです。
民間には上記のような人生儀礼や季節の行事がありますが、宮中においても同じように陰陽道を起源とした行事が多々あります。
1月1日四方拝・歳旦祭、1月3日元始祭、1月4日奏事祭、2月17日祈年祭、6月30日節折(よおり)、大祓、10月17日神嘗祭、11月23日新嘗祭、12月31日節折、大祓などです。
このように陰陽道を起源とする我が国の伝統文化は数多く存在し、また仏教やキリスト教などの影響を受け、現代でも形を変えつつ、日本の伝統文化に溶け込んでいっています。
陰陽道が無ければ、日本の伝統文化は何も存在し無いと言っても過言ではないでしょう。
これらの陰陽道を起源とした様々な行事は、すべて罪や穢れを祓うための行事なのです。神道の根本である禊祓いは神道の専売特許のように思われていますが、これは陰陽道の方術による祓いの形が原型にあるものです。
陰陽寮は明治3年に明治天皇の意向により廃止されてしまったことで、元々陰陽師の仕事であった出張祭典やご祈願が神社の神職や寺の僧侶などに移行してしまいました。
そもそも神社の神職の仕事は、神社に鎮座している祭神を鄭重にお祀り申し上げ、ご奉仕することが仕事でありました。祭神に願い事を取り次いだりする御祈願や、場所を移動して神籬に神霊を招魂し、願い事を取り次いだりする、所謂地鎮祭や上棟祭などに代表される出張祭典の類は出来ませんでした。
ましてや基本的に葬儀を執り行うと言う「死」の「穢れ」にまみれた寺の僧侶が神事を執り行うなど、有り得ない事なのです。現代に於いては時代の流れで神職が神葬祭などを執行することもありますが、そもそも神道に於いて、「死」は最大の「穢れ」であり、祭神にご奉仕する立場の神職が「死」を扱う葬儀を執行するなどと言うことはあってはならないことだったので、「穢れ」という葬儀はすべて寺の僧侶が請け負っていたのです。
このことから考えても、「死」の「穢れ」を祓うことが出来るのは陰陽師だけであると言えるでしょう。陰陽道の祭祀によって死後の世界も動かす事ができるのであって、神職や僧侶などによって死後の世界に踏み込む事はできないのです。彼らはそのような能力や方術を持ち合わせていないのです。

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