先の大戦の日本全国の戦没者を慰霊するために、全国戦没者追悼式が8月15日、
天皇皇后両陛下の御臨席のもと日本武道館で行われます。
式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれ、式は日本政府主催で、
無宗教の形で行われる追悼式です。
昭和57年の閣議決定によって「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、
『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を設け」て、その期日を8月15日とし、この日に政府は
「昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を引き続き実施する」ものとしています。
つまり8月15日を無宗教で全く意味の無い「戦没者之慰霊」と言うことだけでなく、
「平和を祈念する日」と言う名目で、反戦を表明する日としてしまったのです。
そこに天皇皇后両陛下のご臨席を賜る事により、両陛下に二重の楔を打つような日にしてしまいました。
このような反日左翼的な「反戦決意表明の日」に
どうやって戦没者之慰霊祭を行えると言うのでしょうか。
戦没者の御霊は死して尚、鞭打たれている想いではないでしょうか。
日本政府と言う隠れ蓑を着た反日左翼主義者主宰による無宗教で名ばかりの戦没者慰霊祭に
天皇皇后両陛下のご臨席を賜りながら、
同日に執り行われる「英霊にこたえる会」主宰の靖國神社に於ける真の戦没者慰霊大祭には、
天皇皇后両陛下の御親拝も頂く事が適わずにいます。
また首相や大臣が参拝しようものなら、隣国に内政干渉され、
彼らは「公式参拝」だの「私的参拝」だのと右往左往しているのです。
このような日本の政治家や反日左翼を見る時、
ただ戦争で亡くなったことは悲劇だったのだとしか思われていないならば、
戦没者の御霊はさぞ口惜しく思われていることでしょう。
このような慰霊祭と称する反戦のための決意表明は、原爆投下された広島や長崎では顕著です。
靖國神社の慰霊祭よりも、日本武道館に於ける「エセ慰霊祭」の方が
より盛大に行われていると言う事は、まさに現在の日本は反日左翼が跋扈していると言えるのです。
千鳥が淵や広島、長崎、各地で行なわれる戦没者慰霊祭は、御霊の慰霊とは名ばかりで、
先の大戦はすべて日本軍による侵略戦争の犠牲であると言うような、
祖国の為に戦って斃れた英霊やアメリカ軍によって無差別爆撃を受けて斃れた民間人の戦没者の御霊に対して、無駄死にであるかのように貶めるための式典でしかありません。
このような式典には「苦しみ」「死」と言う言葉に共鳴して集まってくる、
今もなお彷徨い続けている多くの悪霊や魑魅魍魎が集まる場となり、
おびただしい「穢れ」が充満しています。
そのような場所に天皇皇后両陛下の御臨席を賜ると言う事は、
最も穢れを避けねばならない両陛下に、穢れをなすり付けるという事に他ならないのです。
天皇を穢れさせると言う事は、国運を衰退させる事につながります。
東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は「靖國神社と日本人(PHP新書)」の中で、
次のように述べています。
「・・・それが招魂の祠であって、〈元の天〉に帰った霊魂は子孫の招きによってここに降りて祭を受ける。〈もし偽りを以て祭らば神是を請けんや〉であって、
この祭り方は神祭の礼式に則った正しいものでなくてはならない。〈神は非礼を享けたまはず〉である。」つまり、御霊をお祀りする時には神式の作法に則った恭しいものでなければならないと言う事です。
反日左翼による穢れを撒き散らす慰霊祭を中止し、真に戦没者の御霊を慰霊する事が出来る、
靖國神社の慰霊祭を国家で行う祭祀にするべきではないでしょうか。
そして天皇皇后両陛下の御親拝を仰ぎ、首相はじめすべての閣僚が公式参拝し、
国民挙げて慰霊する事が、真の戦没者慰霊祭となるのです。
ほとんど知られていませんが、靖國神社の境内には「鎮霊社」と言う御社があり、
明治以降の靖國神社本殿に祀られていない方々の御霊と
世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の御霊が祀られています。
つまり先の大戦で亡くなった非戦闘員の方々も、すべて招魂されて、
靖國神社にお祀りされているということなのです。
ですから毎年8月15日に靖國神社で斎行される戦没者慰霊大祭こそが、真の慰霊祭と言えるのです。
ところで陰陽道では人間は魂(こん)と魄(はく)との二つから成るとされています。
そして魂は陽の気で精神を司るもの、魄は陰の気で肉体と五感を司るものとされ、
人が死ぬと魂は天に帰り、魄(肉体・骨)は地に帰るのです。
ですから神社でお祀りするのは魂であり、お墓でお祭するのは魄と言う事になります。
靖國神社をお墓のように考えている人が希にいますが、
そこにお祀りしているのは「英霊」と言う魂であり、
魄の方はご遺族がそれぞれ先祖代々のお墓でお祭りされています。
そして魂は天に帰るのですから、「神」としてお祀りすることができるのです。

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