興福寺創建千三百年記念「国宝 阿修羅展」が3月31日〜6月7日の期間、
東京国立博物館で開催されています。
奈良・興福寺の中金堂再建事業の一環として計画されたこの展覧会では、天平伽藍の復興を目指す興福寺の貴重な文化財の中から、阿修羅像(あしゅらぞう)をはじめとする八部衆像(国宝)、十大弟子像(国宝)、中金堂基壇から発見された千四百点をこえる鎮壇具(国宝)や、再建される中金堂に安置される薬王・薬上菩薩立像(重要文化財)、四天王立像(重要文化財)など、約七十件を展示いたします。特に、八部衆像(八体)と十大弟子像(現存六体)の全十四体が揃って寺外で公開されるのは、史上初めてのことです。阿修羅像は天平六年(七三四)、光明皇后(こうみょうこうごう)が母橘三千代(たちばなのみちよ))の一周忌供養の菩提を弔うために造像して以来、戦乱や大火など幾つもの災難を乗り越えてきました。千三百年の時を超えて大切に守り伝えられた、日本の文化といにしえの人々の心に触れる機会となれば幸いです。また、橘夫人(たちばなぶにん)の念持仏(ねんじぶつ)と伝えられる阿弥陀三尊像(国宝、奈良・法隆寺蔵)も特別出品いたします。(東京国立博物館HPより)
明治時代、岡倉天心によって、それまで「信仰の対象」であった仏像や仏画が「美術品」であるというような認識が広まり、定着して現代に至っています。
そもそも寺や仏像が作られた背景には、国家鎮護、人心の乱れ、病気平癒など、
国運を左右するほどネガティブな状況を封印することが目的で建立されたものが大半です。
人々に災厄をもたらす、目に見えない危うい悪霊を鎮める目的に作られたのですから、
必要な場所に必要な物を置いたわけです。
これらの霊的な問題を全く無視して、仏像を単に「美術品」として扱う事が、
どれほど恐ろしい事なのかを、私達は身をもって知らされることになるでしょう。
これはあるべき場所になければならないものが、その場所を動かした事で、封印が解かれ、
これらの仏像や絵画等に憑依している悪霊や付喪神(つくもがみ)などが動き出し、
祟り神、疫病神(えやみがみ)、流行神(はやりがみ)として日本中に穢れを撒き散らすことにより、
様々な災厄をもたらすことになるのです。
そもそも、寺や仏像、仏画など、仏教にまつわるものは、偶像崇拝によって悪霊の巣となっています。
これらのことを出来るだけ未然に防ぎ、災いを少しでも軽減する為に必要な事は、
これらの祟り神に同調しないよう、できるだけポジティブになることと、
少しでも波動を高く保てるようにすることしかありません。
昨年の日光月光菩薩像に引き続いて、「穢れ」がまた東京にやってきます。
この阿修羅像は日光月光菩薩像とは比べ物にならないほど強烈な穢れです。
そもそもこの「阿修羅」とはインドの鬼神です。
インド神話、仏教神話においては、阿修羅は人に害をなす凶悪な魔神です。
「修羅場」という言葉が、阿修羅王と帝釈天の戦いの場から来ているように、
争いを好み神々に戦いを挑む悪神でした。
阿修羅道とは、絶え間ない闘争の世界であり、絶えざる戦闘と殺戮、
そして敵襲の不安に一時も心休まらない世界を現しています。
仏教では天竜八部衆のひとつとして仏法の守護神とされる一方、人間以下の存在とされており、
絶えず闘争を好み地下や海底に棲むと言われています。
あまり知られていないことのようですが、阿修羅像の腕には無数の針や釘が打ち込まれていると言うことです(X線撮影で発見されたそうです)。
それらは修復過程や製作時に打ち込まれたものとは明らかに違うようで、
阿修羅が暴れないように誰かが呪(しゅ)を掛けたのかもしれません。
このような「穢れ」が首都東京にやって来れば、
当然東京のみならず、日本中が経済的、政治的に大混乱を来たし、
また人心が乱れて多くの猟奇的な事件が起きる可能性が増し、
更には天変地異によって甚大な被害を招く事になりかねません。
まさに「修羅場」となることでしょう。
日光月光菩薩像の「穢れ」が首都圏を取り巻いて広がっている状況で、
またしてもこのような巨大な「穢れ」がやって来るのは、大変危険な事であり、
美術品として喜び勇んで見学に行ったり、
怖い物見たさで出かける事は、
自らの身にも「穢れ」を憑けることになりかねません。

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