昨日の昼過ぎ、東京都葛飾区にある金町浄水場の水から放射性ヨウ素が検出され、乳幼児には水道水の摂取を控えるようにとの報道がされた。
たちまち都内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、金町浄水場から近い亀有の大型スーパーなどはまさに
「水騒動」の様相だったという。
その後、テレビのニュースなどでは「大人が摂取する分には影響がない数値」だとしきりに解説していたが、もはや後の祭り。
今は街中の飲料自販機に入っている500ミリや300ミリ前後の小さいペットボトルまでもが軒並み売り切れとなっている。
福島原発の事故発生以来、日本全体が放射能汚染に怯えている。
その理由のひとつは、多くの国民が
「政府や関係各所が情報を隠蔽している」と疑っているためだ。
水道水や空気に混じってしまう放射性物質は目に見えないし、自分の意思ではどうにも避けられないことが余計に恐怖感を煽る。
そして、例え本当に「安全な数値」が公表されていたとしても、何しろ今までの
「行い」が悪いから到底信用できず、どうしてもネガティブな方にばかり考えてしまう。
もうひとつの理由は、
ピカドンの記憶。
戦後60年以上経っても、日本で生まれ育っていれば、広島、長崎の原爆投下という歴史的事実を知らない人はいない(ネグレクトで小学校も行けてないような子は別としても)
ある朝、たった今まで平和に暮らしていた人々を一瞬のうちに消し去ってしまった原爆。
私たち日本で生まれ育った人間には「原爆=放射能=死」という公式が最早
DNAレベルで刷り込まれてしまっている。
もちろんそれが悪いとは決して思わない。
兵器としての核は根絶すべきだと考えるし、憲法第9条は死守すべきものだとも思う。
けれど、ただ感情的に恐れるだけではなく、放射能は自然界にも存在するし、微量な放射性物質は人間の身体からも出ているという「科学的事実」もきちんと受け止め、冷静に考え判断することが必要だろう。
ただ冷静に考えるためには正確な情報が必要なのだが、その「正確な情報」を出す先が信用ならないために、冷静な判断もできなくなっているという堂々巡りな現実。
いくら政府が「冷静な行動を」と呼びかけても、これからもDNAに導かれるまま「安全な水」を求めて彷徨う人が大量発生するのだろうな。

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