2017年3月31日撮影(福島県浪江町請戸)
昨年訪れたここは、やっと「何もかもがなくなった」状態で、
水平線を見晴るかすこの高台は、墓園になっていました。
2011年3月11日のあの日、海岸から700メートルと離れていないところに建つ請戸小学校の生徒、職員がそこから2キロ近く内陸のこの高台まで避難して、全員が助かったという場所です。
5年近く手付かずで、あちこちに船や瓦礫があって。
今は。
町の有志が作った慰霊碑に代わり、高台には立派な慰霊碑が建立されていました。
15メートル近くの大津波が町を襲ったこと。
原発事故により、救助と捜索を打ち切って避難しなければならなかったこと。
200人近い尊い命が奪われたこと。
残された人たちの無念さと、後世に伝えたいという思いが、慰霊碑の文面から伝わってきます。
被災したこの辺りに、家を建てることはできません。
かつての町並みは失われ、帰ることもできない。
昨年のこの光景が、1年経った今年、大きく変わることはあまりないような気がします。
7年。
7年前、生まれた子どもは今年、小学生に。
7年という歳月が新しい生活を始めるのに充分な年月なのか。
まだ。
まだ、7年しか経っていないのに。
「被災地」と呼ばれる場所の
こうした風景を見ていると。
決して忘れてはいけないと、少なくとも自分は
命が果てる時まで決して忘れないと、心を引き締めなくてはと思うのです。
「誰もが明日は必ず来ると思っていたけれど、
明日が必ず来るとは限らないことを知りました」
この数日、震災のことを取り上げるテレビやラジオのいずれかから、頭に飛び込んできた言葉です。
今日、命があることに感謝して、自分以外の誰かの幸福を祈る。
生きている人が一人ひとりそうすることで、
少しはマシな「今」が続くのではないか。
逝ってしまったすべての魂が安らかでありますように。
今を生きる私たちが、覚悟を持ってよりよく生きることができますように。