先の日曜日 13日に、東京
狛江市の市民まつりに参加してきた。
いつものとおり川口のコシヒカリと、酒米などで関係ある蔵元の地酒を担っての出展である。
昨年は地震で参加できなかったのだが、その地震では交流の友好都市である狛江市から大きな支援を受けていたので、今回の参加はそのお礼の意味もこめてのこと。

川口からは物産出展だけでなく
、「あおり太鼓」の出演や、
消防団も交流に参加していた。
振る舞いに用意した500人分の「けんちん汁」には行列ができて、あっと言う間になくなってしまった。

町の農業振興公社と並んで、三郎次も物産テントでの販売であるが、高速道路の交通費や宿泊費を考えると、やはり採算は度外視となる。
もっとも友好交流に参加したのだから、こんなことを口にするのは礼を失することになるか。
三郎次の、この市民まつりの参加は、友好姉妹都市の当初からである。初年度の一回だけは、ある団体組織が出展したのだが、やはり採算がと言うことで翌年からは不参加としたのである。
三郎次はもう十数年来お世話になっているので、顔なじみの方も増えている。でもやはり年一回で市民の方の顔は覚えられない。

逆に私の顔を覚えてくださった市民の方から声をかけてくる。
「昨年はこれなかったので、さみしかったぞ、今年はよく来てくれたな」とか
「地震はどうだった、大丈夫だったか、昨年の市民まつりでは募金したんだよ」
と励まされる。
三郎次は、川口の米で醸した持参の地酒をふるまう。
狛江市は多摩川のほとり、明治の中期に2,000人台の人口が今日は78,000人とか。その2,000人から受け継いだ人たちに、わずかながら
今も農業者がいる。
昭和60年を最後に狛江から田んぼが消えたのだと言う。
それでも残った人たちの畑からの蔬菜が、市民まつりに出展されていた。
多摩川の沖積地には果樹があって、そこから離れた内陸では関東ロームの火山灰土で、水はけの良い軽い土。蔬菜がよく育つので、
都市の内部で野菜供給をになっているとか。
狛江の農地は約50数haで、蔬菜とか花卉園芸の生産が2億円強、10aまでの農家が170戸と、狛江の蔬菜出展場に私の手を引いて行き、こんな数字を述べた市民がいた。
とっさに私は反応できない。
川口の農地は約600ha、総生産高が12億とチョッと、こんなことかなと思い浮かべると、
土地生産性は川口の約2倍に近いとなる。
日本一の高値の魚沼コシヒカリの産出地であってもかなわない数値となる。
都市部を控えた蔬菜園芸なのだからこの効率なのか、あるいは小農だからの高率営農なのかと考えてしまう。
それにしても私の振る舞い酒に気を良くして、こんな数字を口にする農家はどんな方かなと思う。川口ではあまり聞けない世間話である。
狛江との交流で、三郎次の儲け (
これは禁句かな ) は、集まってきた市民の皆さんとの世間話の楽しさで、毎年参加しているのです。

狛江市は
多摩川源流を売りにしている山梨県小菅村と、ほかに
福島県田島町とも交流関係を持っている。小菅村は川口町の1/5くらい、田島町は倍くらいの町村である。こんなところとも、町村民レベルの世間話ができると楽しいかな、と三郎次の思案である。
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