新潟中越大地震の10月23日は 忘れることのできない日であるが、同時にまた 想いおこすことの辛く、悲しい日である。
昨日の23日は、三郎次には 静かなつつしみの日であった。
10.23、天変地異に斃れ 帰らぬ人となった義弟と孫娘への追憶のことば。
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定夫さん、千秋さん、追憶のことばを捧げます。
二年前のあの秋、里山の稲が近年になくよい稔りで、きれいなコシヒカリが穫れたと、気持よくむかえていた穏やかな晩秋の日であったのに、一瞬のできごとがほんとに痛恨の極みとなった。あの山の田んぼの土手に立って話し込んだ かっての日が、思い出によみがえるばかりです。
幾年の生きた年月、互いの思いを交わすに、特別のえにしにあったことは確かです。昭和三十年、学校を卆えたばかりで、何も知らない二人で、見よう見まねの稲つくりの仕事をはじめたのがこの春です。はじめての苗代つくりで、雪融けの水がとても冷たかったと覚えていただろう。
あの山の田んぼが君のフィールドになったとき、魚沼にコシヒカリの栽培が始まったのは丁度そのころからです。ふり返ると農業者としての君の生きさまは魚沼コシヒカリの歴史と重なっていたのです。
孫の千秋さんが生まれて、いい名前をつけたな、どんな気持を込めていたのかなと思っていた。
刈り取り前のコシヒカリは
ときばいろ になる。黄金色などでない、きれいな
ときばいろ なのです。この
とき とは稔りの
秋のこと、
千秋とは豊かな秋を百も千も重ねること、つまり日本人にとっては永遠、悠久のときの流れのことです。
千秋長五百秋瑞穂の国への想いが込められているに違いないと感じていました。
里山が動く、この天変地異のとき、あなたと千秋さんは一緒に、われ等のところから去った。心ならずも断腸の離別です。あの日の後、想いの重なる山の田んぼに立ってみると、小さな蝶々が舞っていた。晩い秋のこの時節にと思って見つめると、二匹で舞っていた。定夫と千秋に違いない。
今年の秋にも、二匹の蝶々は やはり舞たわむれている。
日本人の伝統的感性のなかで、蝶々は遠くはなれてしまった人の魂なのです。定夫と千秋の魂が遊んでいる。崩れ落ちたムラの里山を守るように舞っている。あなたが守ってくれるなら、あの田んぼには、あなたが丹精していたと同じように、毎年毎年
ときばいろのコシヒカリ が稔るに違いない。千秋長五百秋瑞穂の豊かな里であり続けることを信じました。
のこされた遺族、息子にも孫にも、その顔面に気力がみえています。どうか蝶々になって、心安らかに遊び舞ってください。残されたものを見守る舞姿で逢いにきてください。われ等は、さよならとは申していなかったのです。
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写真は2年前、あなたが丹精していた最後の夏の山田です。
今は崩れた土手の修復は終えましたが、山田の水利が思うにまかせず、今年の仕付けはできなかったのですが、来年の夏にこそはと、
ときばいろの田面に、あなたがたの蝶々の舞姿を迎えることができるようにと 気張っています。

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