今年の産米検査はほぼ終焉、お陰さまで一等米の多い年となった。
風土自然に解け合っての稲作は、年々の作毛の良し悪しには変動がある。
人為の外からおよぶ力の中で、よい成果があれば、それはお陰さまと思うのは引き継いできた我われの感覚である。
稲刈りが仕舞いになるころ、ゲストの
スベルベさんのブログに、山栗の記事があったので、写真を拝借しました。

9月28日の記事でしたから、毎年稲刈りが終わった後はこんな様子なので、今年は稲の出穂がおくれたので、栗の実も晩くなったかと感じていました。
先日の7日、三郎次の地区では里山に登って、ムラを見下ろし、山頂に遊ぶ催しがあった。空は限りなく高く、子どもたちは楽しんでいた。
藪の中でも子どもたちは発見の連続。
そして、栗の木の下の憩いも楽しいことになっていた。
木の上を見あげると、まだ落ち栗にならない、青いが栗も目についたのである。
スベルベさんの栗から10日ほども経ているのに、ここはまだ青い栗かと思いながら、フト思い出したこと。稲刈りが終われば、いつも山栗も終わっていたのに、今年は様子が少しおかしい、おくれているなと。
林のなかにもぐってみても、いつもの茸が見つからない。お天気つづきのせいか、遅れていることなのか。
今年の稲は、7月までの茎を育てる栄養成長期には、やや低温で生育が遅れていた。8月からの穂つくりの時期は好天の中で生育がすすんだ。一等米が多くなったのは、このような天候・自然条件に恵まれてのことと思い返したのである。
この里山に登って栗の実のを見たとき、稲とは少し様子が異なるようだと感じた。秋に向って暖かい日がつづくと、栗の実の色着くのは遅れるようである。
紅葉だってキット晩くなるだろうと思うのであった。
だからと、ここでまた思いつくことがあった。
スベルベさんが作っていた沖縄野菜のエンッアイ(空芯菜)に花が咲いたのである。
三郎次も20年ほどの昔、沖縄の知人から届いた南国野菜を育てたことがあった。沖縄では冬を迎えると白い花を着けると聞いたのに、魚沼での南国野菜エンツァイは花のないまま枯れていた。
何としても花を見たいと、秋にトンネルを掛けた年には、二つ三つの可憐な花を確かめたのであった。
今年の陽気は、トンネル無しでも、スベルベさんの沖縄野菜エンッアイは花を着けたのである。
今年のスベルベさんの畑では、エンッアイだけでなく、
さつま芋 も花が咲いた。

沖縄ではあたりまえと聞いていたさつま芋の花は、魚沼ではめったに見れないのである。それだけ今年の秋陽気は暖かいのかな。
そう云えばまだある。前に載せた稲刈り前の稲の写真。

再掲 ⇒ クリックで拡大
穂軸が何時までも青いのが不思議に思ったのだが、これも栗の色つきが遅れたり、エンッアイやさつま芋に花の咲く自然の中での現象と気づくのです。
こんなことをあげていたらキリのない事かもしれないが、三郎次が共感をもって見ている
ブログに 「
本年は異常気象により9月の気温が高く、その影響から海水温も高くなっており、そのため鮭の遡上が例年より遅れ、非常に少ない状況になっております 」 の記事があった。
海にも、山にも、野にも、自然の中の同じ現象が起きているのであった。
同じ自然の中に在ることは、私らは逃れるべくすべもない。つまり一連托生に気づかねばならない。
子どもたちと栗の木の下に遊んだとき、おもいうかんだこと。

ゲストにお願いしている
すばる さんのページから拝借しました。
コメントは、
“「 栗の匙 」10月6日
栗の実にしいながあったので、楊枝を刺して匙を作ってみた。
子どもの頃ままごとで作っていたし、昔、飛騨高山の資料館で「塩匙」と説明がついた栗の匙を見たことがある。”
三郎次には、「 栗の匙 」の記憶はないが、実が入らないで、ひしゃげたままの栗を「シャッペ」とか「シャッケ」と云っていたことを思い出した。それは匙杓子のことであった。お遊びか、実用だったのかわからないが、なるほどそうだったのかと、やっとおもい当たることに気づきます。
自然のなかの一蓮托生の暮らし、忘れかけていたものを呼び覚ました、栗の木の下のあそびと、栗の匙 のことでした。
今日は埒もないことを書き連ねてしまった。
もうひとつ、ここで書き伝えておかねばならないことがあります。
⇒ スベルベさんのページをご覧なって下さい。
10日 夜 8〜8:30 まで、NHK教育TVの放映のことです。
堀之内からベトナムに移ったお婆さんのこと、認知症についての福祉番組のようです。
自然と解け合う生活感覚を引き継いできた人たちの社会には、人のかかわりに、一蓮托生の気持ちも濃く残って、認知症のお婆さんにも人間的な落ち着きをとり戻せる優しい環境なのかな、とTV放送を見る前に勝手な想像です。
魚沼産コシヒカリ < 三郎次の米 >
魚沼産コシヒカリ < 減農薬・特別栽培米 > 新潟県認証

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