初雪が降って、積もって、消えて、12月です。
今日の稲って?

いまどき、こんな稲の田んぼがあるわけないのにと言われそうです。
偽りなく、今日の12月2日三郎次の、十坪足らずの小さな三角田のことです。
雪前までは立っていた稲も、雪のあとには全部倒れています。

起こしてみると、立派な稲姿。でも穂の様子がちがうので、コシヒカリでないことはすぐ分かります。

品種名も何もわからない、昔の稲だということで験している稲です。

←(写真クリックで拡大)
三角田は一般の稲作習俗では忌み田として嫌われます。おそらく谷津田が開かれるとき、一番水源地に近いところが三角地形となる場合が多いので、水霊神・田の神か宿れる忌み地、あるいは斎地として、特別視された記憶をひいたのかと思います。
三郎次のこの三角田には特別の意味はなく、整理の都合の残地です。耕作放棄だったのが、いくつかの種類の稲種で様子を見たいと、復田したところです。でもやはり水頭の清水かかりです。
この稲は赤もみの赤米です。新形質米と云われる現代の改良種の赤米でなく、在来種と云うことで験したわけ。
田植は中苗で、5月20日植え、今年の出穂はややおくれて9月上旬、不ぞろいでした。コシヒカリより1ヶ月近くも遅い出穂になりました。出穂後の気温が下がったのか、穂重タイプ稲のせいか、
11月半ばにはまだまだ青みが残って、収穫期とは言えそうもなかった。
ここまでの晩生種であると、北国には難しく、暖地の稲だったに違いない。
二年つづけた無肥料・無農薬の栽培である。前年に比べたら稈長は短くなっている。それでも慣行のコシヒカリよりも大分長い。稈は太くしっかりしているから、初雪では完全倒伏とはならないで、弓撓いであるから、株もとに空間が残っていた。
茎や葉が生きている。出穂からの積算気温は約1,500℃、それでも穂軸が青いのである。

コシヒカリの刈取期は、出穂後の積算気温1,000℃程度と聞いているが、大きく超えてなお若い稲体は、低温登熟だからであろうか、晩生種のせいだろうか。それとも古いとされる稲の野生に近い素性によるのであろうか。
暖地での生育素質をもつ稲が、北国に定着するには早稲化の性質獲得は必須であった。稲が北上する日本の稲作の歴史は、この早稲化の性質獲得の歴史であったと、魚沼の稲を見ているとそう
考えてしまうことになる。
だが、単純な早生稲志向だけが北国の稲作ではなかった。
江戸時代の稲には100年以上もの長期間、品種の更新がなくつづいたものが多い。それ以前の中世になるともっと長期にわたる栽培が引きつがれていた気配がある。新しい品種の将来される機会の乏しい昔のことであれば、当然のことになる。だがそれだけではない。
あらたな早生稲に接しても、古い晩生稲のもつ力強さを捨てきれなかったのである。江戸時代の村の古文書から稲を追ってゆくと、そのことを感じることができる。
三郎次が田んぼに入る昭和30年代になっても、それを感じていた。魚沼の早い秋冷のなかで、「やちこがね」とか「千秋楽」の晩生品種に苦労して取組んだのであって、改良された早生の新品種だけに、安易に飛びついてはいなかったのである。
この写真は、晩生赤稲と並べて、早生の赤米稲(
白もみ)である。出穂は1ヶ月早く8月上旬、9月下旬の刈取り期には、早い稈あがりと穂いもち病で全滅していた。いもち耐病性の違いなのか、あるいは登熟期の気温の違いによるのか、研究者でない三郎次には判断できない。しかし、結果として早生稲のもろさを見た気がする。
かって蒲原平野の稲作は、沼地の稲作で田んぼの中に舟が浮かんだと聞いていた。土地改良された今日では、想像のできないことであろう。
その当時の様子の記録を読んだことがある。晩い秋の冷たい泥水の中の稲刈りで苦労することになっても、晩生稲を作ったというのである。早生稲は、夏水の冠水のあと、腐れ稲となってしまうのだが、晩生稲なら回復する力を持っていたので、収穫ができたというのであった。
似たような記憶が三郎次にもある。コシヒカリが新潟県の品種として広められ始めたころ、いもち病に弱いから、寒さに弱いから、魚沼の山間地には無理と聞いたのであった。
作ってみると確かにいもち病にかかりやすい。だが病気に強そうな早生稲は、それでも発病してしまうともう回復することができないまま出穂となって、大きなダメージを受けるのである。当時のコシヒカリは中晩生種で出穂が10日ほど晩かったから、発病しても出穂までの期間に回復する力を持っていた。収穫に大きなダメージにはならなかったのである。結果としてコシヒカリは、いもち病に強い稲が三郎次の認識となっていた。
多くの稲品種の経験がないのに、単純な思い込みになっているかもしれないが「やちこがね」とか「千秋楽」の晩生稲は稈上がりしない丈夫な稲であった。コシヒカリもそれに類する稲である。
雪に遭った今日の稲株を抜いてみる。力いっぱい踏ん張って抜いたから、根は切れている。それでもこの根の量の多さ、この根が稲稈の若さを支えていたのであろう。

晩生稲が備えている、稲本来の力なのであろうか。コシヒカリも根の強い稲である。
エコ稲作、自然環境に馴染んだ稲作を志向する時、晩生種の逞しさと向き合う必要があるのではないかと、思い浮かぶことになる。江戸時代の稲作が、秋冷のなかの苦労を厭わずに、晩生種を捨てきれなかった事情をふり返ってみたいと、初雪に遭った稲との対話になるのです。
★ えちご魚沼、川口町です、三郎次。
魚沼産コシヒカリ < 三郎次の米 >
魚沼産コシヒカリ < 減農薬・特別栽培米 > 新潟県認証

0