昨日十六日のこと、近くの知り合いのお母さんが家に寄られた。
「 今日はカーガラの日で、白和え(
しらあえ )を作って分家のところにも届けてきた 」 とのこと。
「 この日は、白和えの膳を外に出すのだけど、カーガラのことをあんまり良く、婆ちゃんから聞かないでしまった 」 と云うのです。
近くに居合わせた三郎次の叔母(80歳代)が、「 屋根の雪の上に供えて、カラスに上げたんだよ 」 と説明。ここで三郎次が口を挟むと、ややこしいことになるので、聞き役のつもり。よそのお母さんの話はつづく。
「 わたしが、林の近くの畑にゆくとカラスがいる。播きものをしているとカラスが寄ってくる、それで、わたしは忙しいのだから、悪さをしないでよね 」 と、言葉を掛けると種播きしても、それを掘るようなことをしない。カラスは悧巧で、わたしの言葉がわかるんだね。と、楽しい話になっていた。
カラスは一般に悪者、憎まれ役になっている。それが、小正月十六日だけは特別で、カラスにご馳走を供えたり、寄ってきて食べるのを待つような気持ちになっている。この十六日のご馳走が、白和えで代表される精進料理である。
白和えを供える日だから、カラスの話も、楽しくなっている。
わが家のカラスのお膳
三郎次は無精者で、料理の話はできない。先の方の左の皿はキンピラ風か。右の小鉢が白和え、豆腐と胡麻と胡桃を擂って、人参や青菜などの野菜と、蒟蒻なども一緒にして和え物にしたようである。真ん中の皿は、春のわらびを塩漬けにしたものの調理。手前の左は赤飯であるが、小豆ではない。三郎次の赤米を混ぜて炊いて、きれいなピンク色に仕上げている。これも ときばいろ ≠フイメージにつながっていたかと想像です。右のお椀はけんちん汁、家ごとに少しずつ様子が違っているかもしれない。家内の手づくりは、実家の習わしと、わが家伝来の習わしの習合である。
「 じゅうろくにち 」 と、沖縄の知人が話していたことを思い出した。沖縄でも一月十六日は特別の日のようで、グソー (
あの世・後世 ) のお正月と云って、一族が墓前に集まり、先祖祭祀をおこなって ご馳走を食べていたと言う。佛教のあまり広まらなかった沖縄のことである。
白和えの精進料理で、十六日は仏の正月と云うのだけれど、お盆のように、お寺様のかかわる仏事との印象はない。
新しい分家で、しばらく仏壇や仏さまのなかったわが家でも、十六日の精進祀りと、カラスの白和え膳は調えていたのである。佛教以前の遠くから、日本人の感覚が引きついで来た祖先祭祀かと思い浮かぶことになる。
この日のカーガラ・烏の役割は何であろうか。祖霊のいます他界、遠い山のかなたに供えた白和えの料理は、カラスに託されたのであろうか、三郎次の夢想です。
遠い山の彼方は「 妣が国 」です。
「
妣が国 」の夢想は、三郎次だけなのかどうかわからないが、ブログページにこの日の異変があった。
ふだん、アクセスの少ないブログなのだが、16・17の両日、「
妣が国 」のキーワードで、アクセス数が上がっていたのである。偶然かもしれないが。
★ えちご魚沼、川口町です、三郎次。
魚沼産コシヒカリ < 三郎次の米 >
魚沼産コシヒカリ < 減農薬・特別栽培米 > 新潟県認証

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