農家むけの月刊誌 『家の光』 の最近号(5月号)に、こんな川柳が載っていた。
櫱(
ひこばえ)を
白鳥家族食べに来る
新潟市に住む人の投稿句であった。積雪のない新潟平野の冬の田んぼには、刈取り跡の稲のひこばえを貪る白鳥を見るのは日常なのであろうか。ヒカラビお父さんからは魚沼地域でも見かける白鳥を紹介していただいたが、雪の積もる地域ではやはり希な風景となるのであろう。
コシヒカリをタイトルに据えたこのブログだから、稲のひこばえのことも三郎次には大きな興味です。いつかこの櫱を話題として、稲作のことにも触れたいのですが、今日は宿題に仕舞っておき、
白鳥乙女の物語を追うことにします。
40年ほど前のこと、はじめて佐渡を訪れた。山育ちの三郎次だから、海は珍しいので、海峡を渡る船の甲板に立ちつづけていた。となり合わせでデッキに寄りかかっていた方とも自然と言葉を交わしていた。その人は滋賀県の方と言う。滋賀県のことは琵琶湖ぐらいしか知らない。訊ねると琵琶湖の北端につながる余呉の方であった。
日本の各地に白鳥乙女や羽衣天女の物語は残されて、余呉の湖も、その伝承地として書物に読んだばかりだったので訊ねたところ、その羽衣天女の子孫である桐畑大夫の末裔と名乗られたので、びっくりしたのであった。
余呉の白鳥天女は 『近江国風土記』 に伝えられていた物語りである。白鳥となって天降りし、余呉の湖に水浴していた八乙女天女の一人が、羽衣を失って天に帰れなくなって地上に留まるとしたのであった。類話は 『丹後国風土記』 にも見えて、これも真名井の沼に天女が降りて水浴していると、和奈佐翁・媼に羽衣を隠されて、天に戻れなくなる物語であった。このような物語は、沖縄から東北まで広く伝えられる故地がある。そしてこのようにして地上に留まることとなった天女の子孫が、特別の家柄として伝承されるのであった。沖縄ではこの天女の子が按司(
国王)となる物語りも伝えている。
このような物語伝承は、太古のアニミズムの世界の記憶を引きついだものであろうか、白鳥が単なる鳥類ではなかったことを窺がわせることになる。そこには神(
天界)からの使わしめとか、神霊とのかかわりの古代信仰の世界を想起させるものがある。天の羽衣が、ただの伝承物語に語られるだけでなく、朝廷などでの重要儀式のおりにもちいられる大切な神具としても伝えられていた。奄美諸島の喜界ヶ島に伝わる
天女の遺品は、祭祀を司る神女(
ノロ)の祭祀呪具であり、神衣と考えられている。
白鳥を天から降りてくる神女とする古代信仰の世界では、余呉の和奈佐翁・媼のように、天女の羽衣を隠して、帰れなくすることは、白鳥の神聖を侵すことなのか、白鳥を捉まえるとおなじになる。それは古代からの信仰の衰えなのか、変化なのか、あるいは天神を地上に迎える古代信仰の儀式の形であったのか、考究すべきことは残るのである。神聖視した白鳥に、みだりに近づきあるいは捉えるとしたことには、何らかのタブーがともなうこに理解されよう。
魚野川のドウの洲の書込みが、古代信仰などと云う迷路にはまってしまった。如何にここから脱するか思案です。
櫱(ひこばえ)を 白鳥家族食べに来る
この現代の句は、もう新潟平野の白鳥に古代信仰のおもかげを見ることはないのか。
パソコン不調で、更新が途絶えていました。まだ不調から脱していません。
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