田植後の稲は順調に育っているようだ。
「 陽気がいいからのう 」と言う人がいた。「 日和がよかったから 」と言う人もいた。
「 陽気 」と云う言葉はまだ口にも耳にもする。だが「 日和 」(
ひより)はもう滅多に聞かなくなっている。
作物とかかわるには、お天気とのかかわりも多い。陽気も日和も、お天気のことを言うようであるが、それぞれどんな意味、使い分けがあったのかと、そんな詮索ごころも湧くことがあるが、ここでは留めておきます。
陽気が良い、日和が良いは、通常は歓迎されるお天気の様子になるのだが、今年は水不足で田植が遅れてしまった。もっと雨が欲しいのにと言った言葉も聞いていた。
田植後一ヶ月になる。稲の生育が順調と言っても、茎数が・草丈が・葉令がと言うことではない。稲の姿がきれいになってきたからである。
例年、6月10日ころには、これまで色の濃さを増してきた稲に、色の落ち着きに気づくのがこのころである。今年も6月10日にそれを感じた。だから順調な生育と受け留めたのである。
今日は長岡に出てきた。車を走らせながら、やはり稲の色合いを気にかけてゆく。川口よりも田植が少し早めだけ、稲色の落ち着きも進んでいるようだ。
この稲の色具合は、お天気によっても感じが違う。陽気がよいものだから、落ち着きが出てきたのであって、雨になると、また若返った気配を感じさせる。
この稲の様子の微妙な変化を、三郎次はカメラでうまく表現できないもどかしさを思っている。
今日の長岡の田んぼで。

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田んぼで餌を漁っている鷺かな?。三郎次はあまり見かけたことがないので、カメラを向ける。
ドジョウがいるとも思えないので、どんな餌漁りなのかな?。
もう田んぼの溝切りが始まっていた。
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株が開いている。葉先が太陽に向かって伸びている。締まった形のよい稲姿になっている。
近年、稲の植え付け株数は疎になっている。田植機稲作の初期のころは、密植が勧められていたのだが、ここに来ての疎植とか、あるいはその推奨はどうした意味合いかなと思うのである。植え付け後の欠株補植もしなくなっている。今日の長岡でも、田んぼの中の、その欠株穴が目立っていた。
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田んぼが変わってきた、田んぼの土が変わってきた。稲をみているとそんな気がする。稲の色の出の様子、その後の変化の推移、昭和の頃とはどうも違うのである。疎植になっていることは、それと関連があると考えるのだが、これ以上は宿題。
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ところで昨日、宇賀地で見た稲。長岡並みの早い田植であったのだが、この繁茂と垂れ葉は大変である。伺ったところ、田植機の不調整で、肥料が倍くらい入ってしまったとのこと。これも大変な宿題です。
魚沼産コシヒカリ < 三郎次の米 >

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