盆棚にお迎えする祖霊
お盆は日本人には特別の折り目の日であろう。が、その受けとめ方は、世代とか立場でさまざまに違うことになろうと思える。
三郎次には、
前述の60余年前の記憶が甦るとともに、大切なことは家族とともに、家の祖霊を迎えることである。
同時にまた、縁者の家にもお盆参りにうかがうことである。
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盆だな
盆禮ご挨拶にうかがった縁家は旧家で、このような 盆棚 ≠ェ設けられていた。
お盆に家々で祖霊を迎えるのは、仏壇をそのまま用いるのではなく、このときだけの 盆棚 を設けて、そこにお迎いするのが古風のようであるが、新家のわが家には、大がかりな用意はなくて、普段の仏壇を整えてお迎えしていた。
お盆の感覚や、習俗は、仏教儀礼を装うてもいるが、それだけであろうか。盆花を飾ることなど、手近な庭先の花であったり、あるいは花店の花であったりするのだが、本は山の草花で、祖霊の依代であったと説かれている。盆棚 を飾る萩≠ニかすすき≠ノ、その古意が託されているのかと思えるのである。
ムラ の共同祭事、鎮守さま
お盆は、個々の家々の行事かと思いがちであるが、そればかりではないようである。
三郎次の墓所は、通例のムラの共同墓地である。お盆前の墓地の掃除は、ムラ共同の作業である。共同墓地ゆえの共同作業かと、これまで思っていたのだが、そればかりでない別の本意が見えて来そうである。
三郎次のムラの盆行事には、もう気配は伝わっていないが、民俗学が示す各地の事例では、盆竈とか盆飯と云って、ムラの子どもたちの共同飲食があったとのことである(
小正月、鳥追い小屋のような印象か )。盆踊りなどもムラ中参加の共同祭事である。
お盆の儀礼の背後には、個々家々の儀礼をこえて、ムラの集団祭事の様子が感じられるのである。
ムラの鎮守さまのお祭りは、奉る祭神によって、お祭りの日は凡そ定まっていたのだが、近現代の世情は、祭神にかかわりなく祭礼の日を、お盆休みの日に移す事例が目立っている。これはムラの人々の実生活の事情が求めた変移であった。
お盆の期間中に、近隣の村ムラなどをめぐると、村鎮守の祭礼をしめす旛幟を見かけるのであるが、元々のご祭神の祭り日であるかは疑わしいのである。
三郎次の村の鎮守さまも、お盆が祭日に当たっていた。これは、本来の祭礼の日を移していたのであった。 (
山麓の 中山神社 )

ムラの鎮守さまは、10.23地震に壊れていた。昨秋にようやく新に調えた神舎で、初めての例祭が今年のお盆の日に当たった。
新舎は、祭壇を設けるだけの小さな社である。祭神をお迎えする旛幟は、背後の山にむけて立てられている。
御祭神は十二大神と唱えているが、久々能智神も書き上げられている。古事記・日本書紀にみえる木の神さまである。十二大神は山の神、そして木の神であるから、日本古来の自然神で、ご神体は背後のムラの里山である。ご神霊は まつり の日だけ、ムラ人に迎えられて神舎にご降神され、ご祭礼をうけられるのである。
ムラの鎮守さまをこのように理解すると、それはお盆の日の祖霊迎えのかたちに、とても近いものに感じられるであろう。
お盆はたんに逝き去った人の供養の仏事でないと気づくのである。自然神崇拝の日本の古風が重なり、祖霊を慕う心情と、仏事が習合した民俗信仰の儀礼と知ることになる。
自然神崇尊の ムラ のこころ
中山のムラの鎮守の神庭に掲げられた旛幟には、「霊威鎮豊土」「神徳洽民心」と読めて、明治二十五年とある。少年の日から親しんでき鎮守さまの幟、この「霊威鎮豊土」の文字は、三郎次の気持ちに、強い印象として深くのこることになっていた。

↑( 中山・林興庵 )
他所の村々鎮守をうかがい見るに、明治・大正の古い旛幟には、時代の風潮を示すごとく、国威発揚と富国強兵を意味する言葉が掲げられていることが多いと感じていた。
明治維新はわが国の新たな建国として、欧米の列強に伍することが、明治政府の急務であった。廃仏毀釈の政策と呼応した神道思想は、そのような国家思想に乗じた言葉・文字を、村々の鎮守の社頭に掲げ、さらに一村一社の国家神道にすすむ気配であった。
三郎次の中山ムラが、かたくなに掲げつづけたムラの思想は、山野の土着神、鎮守の神霊の威厳が、あまねくムラの豊かさに及ぶとしての崇拝であり、国家神道の影を見ないのである。そこに見えるのは、父祖からの暮らしを受け継いできた郷土への愛着、土着の心である。
今年の正月元旦に、雪の鎮守さまに詣でたときに感じたことは、
中山・林興庵に掲げられている
「渓声長廣舌山色清浄身」の禅の言葉が、ムラの山野に思いを寄せる気持、
鎮守崇尊の思想に通底していたことである。
盆花 ≠ノ託して、山から祖霊を迎える心意。山の木の神を尊ぶムラの鎮守の思想、そして「山色清浄身」の佛語。神仏へだてのない信仰を培う心象情緒が、ムラに引き継がれながら、地域集団の共同行為の基となっていると感じたお盆の日であった。

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