今日はムラの子どもたちの 鳥追い ≠フ夜。
家のなかの三郎次の耳には、カチカチと拍子木の音が聞こえたが、子どもたちの鳥追い唄の声は聞こえなかった。やや荒れ気味の天候なので、小さな呟きの唄になっていたのだそうである。
昔ながらの鳥追い唄は無理としても、せめてものこと
とーり追いだ とり追いだ =@ と唄い始めて、途中は飛ばしてもよいから、
しまいの
ホーイ ホーイ =@ だけは元気に叫んでほしかったと思うのである。
この鳥追い唄、あるいは鳥追いまつりの所作での一番大事なところは何かな?、と思うとき、たぶん ホーイ ホーイ ≠フあの叫びではないかと思案してしまうのです。
日本の列島各地、北にも南にも、宮古島のパーントゥも、東北のナマハゲにしても、伝統の民俗神は ホーイ ホーイ ≠フ声をあげて顕われることが多いようである。ムラの民俗神は、ムラを護り言祝ぐ神・精霊であり、その原初の気配は異形の姿で、奇声を発していたのであった。
ホーイ ホーイ ≠ヘ、ムラを巡って新しい年を寿ぐ神・精霊の呪言ではなかったかと、気づくのです。ホンヤレ とか、ホンヤラの言葉も、もとはホーイと同じに、ムラの神の言祝ぎの呪言であったと、三郎次の思案です。
中世に成立した説経節『さんせう太夫』を素とした森鴎外の「 山椒大夫 」、
「 安寿恋しや、ほうやれほ
厨子王恋しや、ほうやれほ
鳥も生あるものなれば、
疾う疾う逃げよ、逐はずとも 」
人買いにだまされて佐渡に売られ、盲となった老婆の鳥追いの歌である。物語には創作があったとしても、鳥追い歌のホウヤレホの唱えには、疑いはなかろう。
秋田県での鳥追い唄
朝鳥ほいほい 夕とりほいほい
長者殿の囲地さ 鳥が一羽おりた
どうこの鳥だ 鎌倉の鳥だ
頭きってしほつけて 塩俵(しよだら)にぶちこんで
佐渡が島さへ ぼってやれ ぼってやれ
ここもホイホイが唄われている。
ホーイ ホーイ ≠ェ、原初からのムラの呪言ならば、鳥追いは言祝ぎの呪術だったに違いない。鳥を追うことが、ただに子どもの正月行事で、害ある鳥を追い払うだけの意味ではなく、もっと深いところで、ムラの生き様にかかわっていたに違いないと詮索することになる。
お正月すぎから、このブロクに「鳥追い唄」などのキーワードで、入って来る方がふえていた。
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今日は鳥追いの話のつもりではなかったのだが、寄り道になってしまった。
先日の晴れた日に、ドウの洲の宇賀地に出かけてきた。元もとの書きかけの宇賀地郷のことに戻らねばと思いながらのことであった。
魚野川にそって笹舟渡から新道島に向かう。開けた川の上手に白雪の山が神々しい。
竜光橋では、魚沼の山並みと青空を背に、農婦像が立っていた。
この眺めでは魚野川の上流は、下倉山と権現山の狭間から流れ出ている。
振り返って見る流れの下は、とび坂峠の丘陵と、笹舟渡の台地の狭間に失せている。
こうして眺めるドウの洲は、魚野川も上流と下流ともさえぎられた盆地なのである。
川に中州を気づくと、その先に小さな白い塊が見えた。雪の塊かと思ったが、この晴れた日、そんなわけがないと目を凝らす。
デジカメでアップすると、白い水鳥である。
鳥のことには知識がない。白鳥かなとしばらく見入ることになる。
晩秋のころ、とび坂峠の下で見かけた鳥とは様子が違う。こちらはよく見る鷺であろうに。
やっぱり白鳥か。三郎次には見慣れない珍鳥である。
羽ばたこうと羽を広げると、傾きかけた陽光が映えたのか、オレンジがかった色合いに、一瞬 朱鷺を思い浮かべた。朱鷺であるわけはないのに。
確かに大型の水鳥である。しばらくして気づいた近くの黒点は鴨か何かの水鳥であろうが、カメラのレンズを伸ばしてもこのくらいであるから。
やはり宇賀地の盆地は、魚野川の水鳥の洲だったのかと、
鶴白鳥の禁制の高札を思い出した。
新潟県北魚沼郡川口町 越後川口 えちご川口 川口町 歴史 地理 宇賀地 白鳥 ドウ どう 物語 風物 魚沼産コシヒカリ . . . . . . . .

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