越後の春日山林泉寺山門に【
第一義 】の額がかかげられている。
その拓本が、米沢の林泉寺にもかかげられていたのだが、撮影禁止は残念であった。(
写真は越後高田の林泉寺 )
【 第一義 】の額は各地の禅宗寺院にしばしばかかげられて、米沢林泉寺でも案内の者が熱心に説明していた。上杉謙信は年少の時代に禅の修養を深く積んだのであるから、いわゆる上杉の 義 ≠ニ、禅の【 第一義 】は深いかかわりがあるのだと話していたようだが、団体駆け足の参観ではよく聞きとることはできなかった。
中山・林興庵にも【
第一義 】があって、三郎次菩提寺参詣のおりにはいつも拝していたのである。これは宗門の一番大事と伺ったことがあるがそれ以上に理解のおよぶことではなかった

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ここからは6月10日の書込み )
このページは書きとめてから一週間がすぎた。 第一義 ≠掲げてしまったから、この先が難儀になったのである。
ご縁をいただいた朝日寺の永井孝道ご老師さまから、第一義は宗門の一番の大事とお聞きしたことがあるが、その意をうけとめるのは、もとより難儀なことであった。先に訪れた米沢・春日山林泉寺では、案内の方が禅の宗祖達磨大師の故事をひきあいに説いていたのだが、納得の心得はむずかしい。
今日の世情で 第一義 ≠ノ関心が向くのは、上杉家の菩提寺とされる越後と米沢の二つの林泉寺のどちらにも、 第一義 ≠ェ大切にされているからである。若い日の謙信が越後の春日山林泉寺に学んだとのことから、上杉の義≠ノ 第一義 ≠フかかわりを想定してのことであろう。だが、永井ご老師さまのお話からも、米沢・林泉寺での案内にも、天地人ドラマで気をひくような義≠ノ得心がおよばないのは、三郎次の理解がまだまだのことになろうか。
先日(
7日)のNHK 天地人 ≠ノは、ドラマの象徴的意味合いを込めて、義 の旗印と愛≠フ兜が登場した。謙信・景勝・兼続の 物語 ≠ノはこの二つの象徴は必須のことになるらしい。だがその意味は作者の思惟によるか、視聴者の感受にたよらねばならない。
今日に感じている義≠竍愛≠、400年以上も昔の戦国時代にそのまま当てはめてよいのか、それも戸惑いである。義・愛が儒学の思想からなのか、仏教的感覚なのかによっても意味は異なりそうである。果たして謙信・景勝・兼続が何を抱えて掲げた義と愛なのかは不分明なのである。ドラマでは筋目を重んじて自己利を追わない義≠ニか、人民を慈しむ愛≠フようなことに捉えている。それは今日に生きるわれわれが受け入れやすい感覚であろうから、ドラマに仕立てられているのではあるまいか。
ドラマの時代は戦国乱世である。謙信は仏教に深く帰依し、生死をかけた出陣に望んでは、各地の寺社に祈願をよせている。宗教的な帰依の義と愛であっても、不思議でない世情がそこにあったと指摘もできよう。謙信は越中出兵を前にした元亀元年には、愛宕勝軍地蔵とか愛染(明王)に、戦捷を祈る「看経ノ次第」を遺していた。
第一義≠ェ大河ドラマにどうかかわったか、これ上の詮索の手立ては三郎次にない。
それでも中山・林興庵の第一義≠ヘ気がかりに残る。禅宗寺院の様式のことであって、ドラマの義≠ニはかかわりないとは思うのであるが。
その林興庵に大切に伝えられた古文書があ。
長岡たばこ組合 米沢

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