万葉集の有馬皇子の椎の葉は、神に奉げる飯を盛る器であったと解されている。

さなぶり祝い≠フホウの葉もまた、田の神に供える飯を盛る器であった。神に奉げる飯の器は木の葉でなければならなかったのかと、それは何故かと際限もない想いが湧くのである。
お正月の歳棚に供える飯の器もまたわれわれの尋常のそれではなかったと、子供のころの記憶がよみがえるのである。瀬戸焼物の皿や鉢・碗でなかったのはもちろんで、木の刳り椀でもなかった。古式を尊重する家では、その年の新藁で編んだ敷物や器に飯を盛るのが歳棚の作法のようであった。
二月の雪の中、魚沼の山ノ神≠ワつりにも、藁の工夫で器を編む初代三郎次(
祖父)の傍で、それを見つめていた幼い目(
自分)がいたことを思い起こすのである。雪の洞を作って供えるあづきご飯≠ヘ、その藁の器に盛っていたのである。
三月のお彼岸≠ヘまだ深い雪に覆われているのが魚沼の常である。やまのお墓でご先祖さまを迎えるのにも、雪の洞を作ってお団子などを供えるのだが、雪の上に杉の葉を敷いていた。お盆の仏様迎えには、すすきの葉を並べることに変っていたのである。
このような作法を怪訝に思いながら、家の外でのことだから普通の鉢・皿・椀に盛ることがなく、粗略にしていたのかと思った子供の日の記憶である。
日本の神の古跡なのか、あるいは高貴な仏僧の故事かは紛らわしいのであるが、弘法清水の伝承は各地に流布している。柳田國男がことに気にしていた弘法清水の一説話は(
『海南小記』)、諸国を巡る旅の僧が老婆に水を乞うたところ、手にした器の縁を欠いてから水を受けて差し出したとのことで、僧がそのわけを問うたところ、日常の器では畏れおおいのでと答えたと云うのである。
神に捧げる器は、我われの日常のそれであってはいけないとする気持ちを、古来の日本人は持ち伝えていたのであろうか。一回かぎりの木の葉に飯を盛り、あるいはその日のためだけに特別にしつらえた藁の器に盛るのが神への作法とする感性を、椀の縁を欠かねばならなかった弘法清水の老婆の気持ちと重ねて理解しようとする三郎次である。
諸国の隠れ里の
椀貸し伝説もまた自分の興味である。特別の日の膳椀の必要があって、池沼などの主(
ぬし)に祈願すると、それを借りることのできる物語である。幼いころにせがんで聞いた昔話に、二十村郷の塩谷の池の主に頼めば用意されていたと、祖母の語りにあった。
全国的なこの説話には、
民俗学などからの解釈説明があるが、大方は貸すほう(
提供者)の側の説明であって、借りる側の事情にはあまり触れていないようである。ふだんの食器のほかにも借りねばならなかった膳椀とは、一体どのような必要があってのことなのかと、これも三郎次の思案である。特別の日に訪れる神の饗応もてなしには、日常の食器であってはならず、そのときだけの特別の器の用意が、借り手りてのがわの事情であったかと思案することになる。
我われの祖先の心情では、日常ふだんの延長の中で神をもてなすことに畏れの意識を感じていたのである。特別の日、つまり民俗学のハレ≠フ日の特別は、ケ≠フ日常とは区別された感覚が必要であったのである。ふだんとは違った特別の膳椀の用意も、椎の葉やホウの葉に飯を盛ることも、神祀りのハレ≠フ場の作法であったに違いなく、粗略と思えた藁の器は、むしろ丁重な作法に適っていたとになるわけである。
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
家に居って笥に飯を盛るのは日常≠フことである。しかし旅は非日常≠ナあって、そこにはふだんとは異なる特別の所作が求められることになる。居る
笥 日常、 椎の葉 非日常、ハレ・ケ、 旅の非日常、 非日常の旅の対応:神 他所の地の神、 対象となる神とは
未完稿 下書き

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