今日は秋晴れの気持ちよい日となっている。午後から魚野川のカヌー下りがあるとの耳情報が入ったので、デジカメを抱えて、いつもの和南津橋で待ちかまえていた。
しかし、なかなかカヌーは現れない。目はどうしてもこの夏の水害で荒れた田んぼに向いてしまう。
石河原となった田んぼ。刈り場になったようなきれい
ときばいろ(
黄金色)、しかし現場に入ってみると、とても刈り取れる稲ではないのである。

さて待つことややあって、川上に赤い舟影が現れる。ひとつ、ふたつ、・・四隻である。

魚野川が八郎場の曲流を抜けたところ、JR上越線と新幹線がダブル並走する複雑な橋脚の間をぬって四隻のカヌーが近づいてくる。

舟が和南津橋をくぐるとき、橋うえから見下ろすと、オヤ知った顔もと発見するのであるが、秋晴れの空の下、皆ごきげんそうな顔ぶりである。

橋の下を通り過ぎて、

舟影は西陽の中に小さくなって、男山のふもとに流れてゆく。

舟影が消えた後、やはり目に付くのは、橋下に広がる田んぼの風景である。いつもなら、刈跡の稲株の田原が広がっているはずなのに、石河原と刈り取ることの適わない稲が、秋の日差しの下にとり残されている。

七月下旬の大洪水はまさに魚野川大変であった。古老の誰もが未だかって経験のない出水と語るのであるが、三郎次には祖母の語りに聞いていた魚野川大変の状況と重なることで、およそ100年昔の再現かと想い起こすのである。

水が退けたあとの石河原田んぼには、出穂まえのコシヒカリの無念無惨がさらされていたのである。 (
写真:再掲)

さて、今日の秋晴れの魚野川下りの到着予定地は、川口やな場と聞いていた。
簗場・男山漁場はいつもならこのように素朴ななかに豪快なたたずまいを見せているはずなのに、今はその姿がない。

魚野川大変のとき、三郎次が目にしたのは激流にさらされているやな場≠ナあった。

川口やな場は、三郎次ふるさと自慢の一つであった。現地で触れる豪快な雰囲気と離れた山上から見下ろす景観の美しさは、しばしばこのネットの上にも披露していた。
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さて今日の川下りのことは、如何ような人たちグループが、どんな目論みの計画だったのか三郎次は知っていない。
聞くところでは今日の川下りには魚沼市の人たちに、川口地域の人たちもかかわっての参加であり、県外関東圏からも参加者がいるとのこと。いったい川下りの舟の中で何を見て感じて楽しんだのかなと思うことになる。
三郎次の川は目の前の川である。それも日常的に意識することのない当たり前が景観となって、魚野川大変のときだけあわてて考えるばかりの川であった。
川は流れである。対岸がある。上流下流がある。つまりは流域として川にかかわらねばならない。キット今日の舟下りの人たちは流域≠ニしての川を見ていたに違いあるまい。魚沼市と川口、上流と下流の人たちが同じ舟の中で川の流域≠感じとってくれるなら、魚野川大変で壊れた川の環境を考えるのに、深い意味をもつことになるのではないかと、今日の川下りの人たちに期待することが大きくなるのである。

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