魚野川べりの村は、おおむね「 船渡 」の村であった。
新道島(
旧村 )に隣して上流の下新田村と徳田村、『 堀之内町史 』ではこれらの村に慶長年間からの新しい村としての気配を見ている。
田植の済んだ6月、魚野川上流の六日町方面に遊んできたのだが、ここでも川辺に近い村が新田村と感じてきた。魚野川が魚沼丘陵を横断している堀之内・川口の地域では、丘陵麓と川辺が近接していて、六日町平野ほどに山麓と川辺の村を区分できないがのだが、それでも川べりに近世初頭の新田村を見ることになる。それが田戸村・徳田村・下新田村である。それで新道島村の場合は山麓であり、かつ川辺の村であるから、はたして
下新田村・徳田村とおなじ立場なのか、あるいは山麓の下島村に考えてよいのか結論は保留しながら、見くらべてみよう。
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( スベルべさんページ原画、引用加工 = 再掲 )
三郎次は古文書史料などを見れる立場でないので、地図や景観、ムラのお年寄りの伝え語りをたよりにすることになる。
元 図面の中心、+周辺が新道島旧村地 ← クリック拡大
Yahoo! 地図が重宝なので利用させていただきます。
地図をスクロールして、新道島旧村地の
+ポイントを魚野川対岸の現ムラ位置に当てると、現在、関越自動車道が通過する右岸には、新道島地籍の土地が大きく広がっていることが分かる。そしてやはり隣接して、下新田地籍の土地の広がりを並んで見ることになる。
新潟県北魚沼郡川口町 越後川口 えちご川口 川口町 歴史 地理 物語 風物 魚沼産コシヒカリ

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