いかに気ままな書込みでも、「 おもろそうし 」「 国学 」では辛気くさかった。
気晴らしに先日の「 にいがた 酒の陣 」にでかけてきた。

スベルベさんが、もうとっくに楽しい報告を載せている。
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https://iiiro.jp/blog/yukigunimax/86780.html
→ A
https://iiiro.jp/blog/yukigunimax/86960.html
→ B
https://iiiro.jp/blog/yukigunimax/87013.html
また沖縄か となってしまうのだが、彼の地で恩人といわれる新潟県人は三人。田島利三郎に中村十作、坂口謹一郎である。
醸造学の坂口謹一郎は「 酒の神さま 」といわれた方だそうである。沖縄では泡盛の大恩人となっていた。沖縄の泡盛を銘酒として高く評価したばかのでなく、泡盛製造に欠くことのできない黒こうじ菌は沖縄戦で絶えたとぱかりに思われていたのに、坂口博士が戦前に沖縄の黒こうじ菌を採取保存し、大戦中には空襲を避けて郷里の新潟県にも疎開させていたことがわかった。
その保存の戦前のこうじ菌による
泡盛復活が成功したとのことである。
酒好きの三郎次は、40年まえの博士の著書『 日本の酒 』を読みかじったことがある。その書の冒頭は、日本の酒は日本人が古い大昔から育てあげてきた一大芸術的創作であるから、この古い伝統技術をつぶさに調べることで、日本人の科学する能力やその限界や特徴を、うかがい知ることができるであろう、と書き述べていた。
醸造学の権威は科学者であるばかりでなく、その見地から日本の伝統なり文化も見据えていたようである。タカジアスターゼの高峰譲吉博士の言葉をひいて、 日本人は、先ず日本固有の事物を研究の対象として取り上げなければならぬ ≠ニ書いていた。
高峰博士も、坂口博士も、その学問の分野ではノーベル賞級の世界的権威とされた方々であるのだが、ともに日本の国の事象に深い視線を注ごうとする研究姿勢ならば、その科学もまた、足下に泉を探るひとつの国学かと感じたのであった。
にいがた酒の陣では、とても感激な 酒 ≠ニの出会いがあった。

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