爆発の春は一気に駆けてゆく。あんな雪が、ようよう消えたと思ったら、トラクターが一斉に動き出して一面に鏡のごとき代田が現れている。
ふと気づくと、川口の大滝≠ェ消えていた。やはりまぼろし≠セったのか。
中山の大堰≠ヘどうかと のぞいてみると、ここは前にもまして水量が増えている。
いよいよ田んぼの時期になったので、川口浦の裏山の出水は中山・竹田の田んぼに引かれたのである。

消えた大滝≠ヘどのあたりから落ちているのかと、川口裏山に上ってみた。この丘陵地はは中山地内である。子供のころから出入りして、見知っている場所なのだが、ここ数年もう足を運んでいない。過っての中山とはあまりにも様変わりしてしまったからだ。
ホテル・サンローラと川口温泉の前を過ぎてさらに行くと、杉木立の中にオートキャンプ場の広まりがある。
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かってこの辺りには、雑木林と杉林の広がりがあったと覚えている。この林の中を馬を引いて通って田んぼに向かった記憶である。周辺にはその記憶の杉林が残っていた。

オートキャンプ場の奥には、おぼろな記憶の田んぼの跡地がみえてくる。林を抜けて、深い沢に下りた田んぼだったと思っていたのだが、今こうしてきてみると印象はだいぶ変わっている。

沢の湧水だけを頼りにしていた山の狭田だったので、今のご時世、普通なら耕作放棄が当たり前となっているのだが、人に託して養鯉池の様子である。
その水源の湧水だけは、融けたばかりの雪水が滲みて、まだ豊富に流れている。
気が付くと土手には土のうが積まれている。土手の崩れたのは、中越地震の時の被害だったのか。あるいは豪雨の時などには、オートキャンプ場の降雨が一気にこの沢に集中して流れ込む気配だから、その被害だったのか
?。
往時、田んぼの土手は畔抜けを懸念して、ずいぶんと太くしていた記憶である。


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