テントには大勢の皆さんが立ち寄ってくださる。
新潟県出身の方は、よく声をかけてくださる。「 竜光 」 の出だとか、そこは隣りの魚沼市、つい話が弾むことになる。
あまりメジャーではない地酒の「天神囃子」に手を伸ばすお客さまには、三郎次が声掛けをする。すると十日町市の関係者だったりする。信濃川対岸の「松乃井」の酒が話題になったりする。出京している人たちに、ふるさとの魚沼はなつかしいのである。
三郎次は、お酒の試飲をすすめている。お酒を介すると雰囲気に和みがうまれる。そんななかで声を掛けてきたお客様がいた。
「 魚沼の米は、昔は 鳥またぎ米 ≠ニ聞いていたが、それはどういうことかね 」とのことである。 鳥またぎ米 は、鳥でさえも啄ばまない不味い米とのことらしい。現代に生きている三郎次は、魚沼の米が 鳥またぎ米 ≠ナあることを知らない。
だが考えてみると、雪でおそい春、また早く訪れる雪の季節、これでは稲作の期間が短い。今日よりも晩稲品種が主だった昔では、十分な生育(
登熟)のできない稲実では、よい米にはなれなかったはずである。
稲刈りも、こんにちよりも晩い10月であった。その天日自然乾燥では、米を翌年まで持ち越す保存には、水分調整が不十分で、かっての大阪や江戸の蔵前では、良い評価にならなかったであろうことは、十分に推察できる。とした三郎次の答弁になる。
それでは今日の魚沼産コシヒカリではどんなことかとなると、難しい話になる。単純なオラとこの米自慢は三郎次の本意ではないからだ。
米自慢でよく聞くことばに、産地のアピールで、豊かな自然、肥沃な大地とか言われる。だが、魚沼の場合はそのような言葉は当てはまらないのが三郎次の理解である。だから 鳥またぎ米 ≠セったのかと、一瞬頭によぎることになる。
深い雪の冬の季節。酷暑の夏。これは厳しい自然である。越後平野の肥沃に比べれば山手の地味は痩せている。この厳しい自然環境、痩せた地味にも耐える稲品種との出会いが、我われの稲を変えたのである。コシヒカリ、魚沼に適する稲を発見したのである。肥沃な大地では、美味しいコシヒカリにならないと、三郎次が弁じたとき、問いかけてきた人の手が伸びてきた。握手を求めてきたのであった。
その方は、山梨県ぶどう農家の出身とのことであった。山腹のぶどう畑と平野のぶどう畑では、美味しいぶどうには、地味のやや痩せた山腹のぶどうが勝っているとのこと。
三郎次は、ぶどうのことは全く知らない。ただ肥えただけの土地からは、美味しい農産物は穫れないのだ。厳しさに耐え、闘った作物が美味しい実をつけるのだとの、ぶどう農家の主張と、三郎次の魚沼コシヒカリ論が一致したのであった。自らの人生観をかさねて、農作を語った方は、三郎次よりはずっと大先輩の、元気な八十歳であった。
狛江市のテントで、思わぬ稲作談議に時がすぎたのである。
三郎次のところでワンカップ酒を買われた方、となりの川口やな場の カジカの塩焼を手にしてご満足の様子である。奥さんは佐渡のご出身で、島の銘酒 天領盃 ≠フ蔵元関係と伺ったので、こんどは酒のことに話題がひろがる。
お許しをいただいてカメラを向けた。

カジカの塩焼きを手にするとき、やな場の若い衆から 大きい方にしますか、小さいのにしますか ≠ニ声がかかった。すかさず 小さいほう ≠フ返事。
おおきなカジカよりも、小さなカジカのほうが、身がしまっておいしいとのこと。魚野川のカジカと、信濃川のカジカでは、太りも味わいも違うと、簗の若い衆の弁。なにやら肥えただけの土地よりも、痩せた土地で、しっかり根を張った作物が美味しいのと同じことになるのかと、三郎次には聞こえていた。
小さいカジカを択ばれたご主人は、このことを知っておられたのであろうか。
先年、多摩川のカジカのことをうかがったことがある。年輩の方のお話で、昭和20年代のことらしかった。その後の多摩川の環境でカジカはどうなったか、三郎次は知っていない。この日のご主人は、多摩川でカジカのことをご存知だったのであろうか。
多摩川の変遷からも、魚野川にかかわる私らが学ばねばならない大切なことは、多いのであろう。狛江市との交流の意味がみえてきそうである。
この日は、10.23地震被災で倒壊したムラの鎮守さまの復旧で、ご遷座の日にあたっていた。
ご遷座のことは息子に託して、三郎次は狛江の皆さんとの交わりの意味を確かめたいと、出かけていたのである。
でも、ふるさとの山腹の鎮守さまのことは絶えず気持ちのなかにあった。
魚沼産コシヒカリ < 三郎次の米 >
魚沼産コシヒカリ < 減農薬・特別栽培米 > 新潟県認証
魚沼の銘酒 < 八海山 >

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