本日はまことに感激だらけの日、高校時代から数年間憧れた、「センチメンタルシテイロマンス」の中野督夫氏、「めんたんぴん」の池田洋一郎氏、佐々木忠平氏、そして「Tバード」の田島康文氏、佐々木克彦氏との共演である!これを感激と言わずして…だ!本日も歌えないが…北陸的には超豪華版の出演者なので出演者としてステージに立てる(座る…実際は…)だけでもよしとせねば!現場一番のり、「加佐の岬倶楽部」のどこかにアンプを下ろして、公園で車中仮眠するつもりが……PAセッティングを手伝うハメになり、大汗をかく、(まあ、いいけど…)PAセッティングはこの間からの懸案だが…実際は大変なものだ、そして今日はチョウコウ機まであり、大変だ…実際!そうこうするうちに、私がかかわれる範囲のセッティングは終わり「Tバード」の田島ヘッケル、康文氏、佐々木越中、克彦氏現る、田島康文氏には3月に「ビッグピンク」にて聴いて頂いたことがあり、その時の御礼を述べた、3人でコーヒーをとりながら、ファンだった私は当時の思い出話をさせてもらい、佐々木克彦氏にはコーヒーまでご馳走になってしまった。田島康文氏は現在はボイストレー
ナーとのことでそのうちお世話になるかも…携帯番号を交換し、スチールを組み立てて、庭にあったハンモックにて体を横にする、大変気持ちよい、しばしの至福の一時、洋一郎氏は遅くなるとのことで、まどろむ間もなく、中野督夫氏到着、「今日ペダルスチールを弾いてくれる?」に快諾、「もちろん!」リハーサルはドラムとベースの若い方と(すいません、お名前忘れました)田島氏、佐々木氏、が督夫さんのバックコーラスに入るラインナップ、やってみるとやっぱりさすが、コーラスワークはTバードの二人は絶妙だ!私も入り、「うちわもめ→カモンベイブ」でレスリースピーカー効果のハモンドオルガントーンで決める、「あの子の家の町明かり」では、久し振りにペダルスチールの王道のノーマルE9th(もとい、微妙にB6th、これはこのところのソロパフォーマンスの影響でもはや、E9thだの、B6thだのは関係無くなってきた感じがする。)で督夫さんが「それ、いい、いい」と言って頂き嬉しい、2曲の予定が何曲か追加、正直言うと、ライブだのなんだのより、ずうっとこうして、音を出していたい!これも至福のひとときである、ソロ
パフォーマンスに比べれば、バンドはかなり余裕しゃくしゃくである、(というか、洋一郎氏とのデュオに比べれば…そのくらいのじつは綱渡りである)洋一郎氏とのリハーサルも済ませ、持ち物整理していると…洋一郎氏が「おーい!早く来ないと、無くなっちゃうぞー」私「ハーイ!」と、控え室ではなんと!「カニだー!!!」もう山盛りのカニに感激!このところの小食で胃袋が縮まってるのが恨めしい、寿司つき、カニを喰うときはみんな無口になるっていうが本当だなぁ…食い終えて満腹の人が…「今日はこれで大満足で、ライブなんかもう、どうでもいいって感じだなぁー、」に皆さん方爆笑!私は皆さん方が去ってもカニと対峙している…いかん本番はじまっちゃったー慌てて、カニクサい手を洗い、客席へ、奥能登輪島の中宮さんが来ている、それからへいちゃんも、有り難いサポーターです。特に中宮氏は能登の御意見番、毎回クリアーすれば必ず道が見えるはず、しかし相変わらず厳しい方である、オープニングはベースとボーカルのギターデュオ、なかなかどうしていい味だしてる、セッションのリズムセクションを任されてるだけあるなあ、中宮氏は「これは最低
限のことやわいね」とやはり辛口だが…地元民の女性ボーカルはカラオケでステージだが…オリジナルはともかく、体に歌とシンクロナイズするリズムが無い、これは致命的、ステージに上がったら恥も味にしなければ!「女」を感じさせる曲だっただけに、体にリズムさえあればカラオケも味になるはず、ご一考を!そしてTバードのお二人、さっき、お茶を飲みながら話た時は謙遜しておられたがコーラスワークは往時に勝るとも劣らない秀逸さであった。欲を言えば、カバー曲でなく「Tバード」のオリジナルでステージを構成して欲しかったが、お二人が今現在歌いたい歌を歌うと言う姿勢は尊重されるべきである、もしかしたらプロミュージシャンとしてやってた時代より、イイ感じなのかもしれない。「心だけ少年」は正に秀逸、そして…私も同じ心境、それともう一つ、アイボリーコーストに出ておられる関係上、「お客様の聞きたい歌曲」を演奏される姿勢に不服はありませんが…小編成ならば特に、「今の考え、今の世界観を盛り込んだオリジナル」を聞きたいのが本音ですが…絶対に営業ライクになって欲しくい…、これは私、いやTバードファンの殆どの人の願いであ
る、言い切るけど。ここで佐々木忠平氏登場!傍らには松田かおりチャンがいる、楽屋で佐々木忠平氏に挨拶した次には、「日本にロックなんて無いよ!」と言われ返す言葉が全く無く、しかし逆に言えばロマンチストってことか?と思い直した。忠平氏の演奏の後佐々木忠平氏と歓談したが話の内容は上手くかみあわなかった、かたや地方競馬愛好家かたや、富山競輪愛好家では上手くいくわけないと思った、ギャンブルでも異質なものだ、忠平氏は「競輪場はまるで刑務所のようだった。」この言葉に思わず頷いてしまった。競輪場はものの見事にオヤジの世界、若い女の子なんて存在しない。たまにいても、お水か、婆さん、足に蛇のモンチャンを入れて見せびらかしている女の子とかいたりする、(これはこれで面白いけど。)しかしなあ……刑務所か、松田かおりチャンは私は案外良くて、もう少し歌って欲しかったなあ……。しかしこの二人で日本の競馬場で営業をやればそこそこいけるのでは?それとももうやってるのかな?活躍期待してます。そして我々、洋一郎さんと私、トリ前である、例によって洋一郎さんはライブのテンションを高めんものと、「最初ねえー、Bマイ
ナーのブルースから始めるから。」洋一郎氏は毎回アーティスティックである!しかし今日は飲みすぎ、日中暑かったとはいえライブ前はセーブしなきゃあ!演奏の細かいところを抜きにすればたしかに熱い演奏で危ない感覚をはらんでいる、アンサンブル上というよりはプレイヤー同士のやり合い、パーカー&ガレスビー、いや待てよ!でも、モンクとマイルスと言ったら縁起でもないか…、後日談、「いやあ、昨日は自分の世界に入り過ぎてたよー。」まあ、今度はクールにいきましょう!我々二人はB型なのだった。気をつけましょう、お互いに…、(これは自分本位で突っ走ってしまって、周りが見えなくなって孤立したりする危険をはらんでいると言う意味である!しかもB型人間同士はそうなっても意固地にまだ突っ走ってしまおうとするから厄介である!)後から聞いてPAセッティングは最悪だったとのこと、PA卓の位置が悪かったこともあるが反省すべきは演奏にのぞむ体制だろう、お金を支払っているお客さんが存在しておられ、お客さんがまたリピーターになって貰わない限りは「プロミュージシャン」は存在できないのだから…絶対に。(いや、まあそんな単純な
問題ではないが…)最後メインアクトの督夫さんである、さっきからいろいろと気を使って頂き、恐縮でした。毎日の演奏活動を証明するかのようにライブは秀逸である!アコースティックはしかしさりげない魅力がある反面、数多くありすぎる点も否定できない、しかしそれだから多くのフオロワーがあり、共感できる人々が多く仕事になるってことか、我々ペダルスチールはそれが無い、北海道のPETA氏もアコースティックギターのフオロワーに支えられている、督夫さんのステージは進み、バンドバージョンに参加する。「アイシャルビーリリースト」で最後の曲その最中に主催者の楠澤氏が「ロストプラネットミュージックホールやって」と耳打ちされ、「アイシャルビー…」終了後「ロストプラネットミュージックホール」のリフを弾くが誰一人入って来ないので引っ込む。洋一郎氏が「A7」「A7」と繰り返し、佐々木忠平氏をボーカルに全員登場、忠平 氏「昔、国中の〜」と歌い「ツイストで夜を明かそう」をやる。楠澤氏に終了後迎えられ、「いやあ、スチールは素晴らしかった!」と激賞していただいた、ありがとうございます。楽屋にて「センチの曲を良
く知ってるよね〜何も言わないうちから、もう準備できてんだもん!」と督夫さん、「そりゃあ、かれはセンチの大ファンだもん」と洋一郎氏、(違います、と言えない状況だった、今はセンチの曲は好きだが…当時は聞いたことがなかった、ファンだったのはTバード、これも照れくさいから言えたもんじゃない、本人さん達の目の前で。)洋一郎氏、更に、昔、「少年マガジン」のLPの懸賞で 「めんたんぴんLIVE」が当たった経緯を話した。ちなみに、その中の「ロック野郎」は良く使わせてもらった、作曲本人洋一郎氏が今はあまり気に入って無いというのは意外だった、オリジナルとは案外そんなものかも知れない、本人さんはそれほどでもないが…周りの人々の心に残っているということ、多感な10代後半から世の中に戸惑う20代前半中盤まで私、千田佳生の心の憧れと支えであり続けてくれていたのだ、敢えて今、北陸と中部の音楽、ロックの先輩方に御礼というか、感謝を申し上げたい。時と人々の繋がりの末に、今日は、皆さん方と一緒に演奏活動ができたという「幸い」を得た、今回、何回も書くが、ありがとうございました。 それ
にしても、少年マガジンのあの懸賞で「めんたんぴんLIVE」でなく「アイドルワイルドサウス」が当たってたら今の幸せは無いのかも……あの時は数枚のハガキを出してもう一枚「安全バンド」のレコードが欲しいと思ったことは覚えている。後日談、督夫さんのセッションは福井県今立の「茶コール」の箕輪さんの助言もあってのことかも知れない、それと古くは、ウエットバックの谷口幸至郎さんライン、なにわともあれ撤収で皆さんで汗をかいた後、楠澤氏宅で打ち上げ、午前2時頃、督夫さんの感謝の包容を受けて、洋一郎さんと同時に家に帰ったのだった。

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