日曜夜はテレビ、偶然テレビをつけたらジャズトリオとNHK交響楽団を指揮する小澤征爾の演奏、楽曲はガーシュイン作の「ピアノ協奏曲」それがあまりに素晴らしく、洋一郎氏にも見てほしくて電話する。(よけいなお世話だったかしら…?!)冗談ヌキ!小澤征爾はカッコイい!マエストロなのにピアノトリオのみの演奏の時はピアノにちょっと寄りかかって、さながらジャズを楽しみにきた日本人のニューヨーク観光客のようにふるまう。小澤征爾さんのパフォーマンスだけ見てても面白い。最高のエンターテイナーだ!ガーシュインの曲もピアノトリオもN協も素晴らしい。チャンネルを変えて、地元小矢部市のケーブルテレビ局では「ゆたんぽ」の山崎雄弘氏が出ていてなかなかの「あかね」を聞かせてくれたのだった、またチャンネルを変え「NHKアーカイブス」を見てみた。1992年オンエアの「宮沢賢治の音楽」という番組、宮沢賢治は童話作家の面で知られているが音楽の面にスポットを当てる番組とはまずビックリ、数こそ多くはないが宮沢賢治氏の楽曲は佳曲ぞろいである。「星めぐり」はやはり良い。「精神歌」はゲストのチェロ奏者の演奏でぐっとくるもの
があった。37歳という若さで昭和8年になくなったと知る。番組放映時には賢治の教え子が85歳という高齢ながら存命で賢治先生との思い出ばなしを語っていた、なかなか楽しい先生だったようだ。今度「星めぐり」を歌ってみよう。次、NNN05・ドキュメントでは、「昭和の歴史」などの本で見るよく見る写真の一つに、今飛びたとうとする特攻機に、女学生が桜の小枝をを振って見送っている写真(あまりにも絵なりすぎていて悲しい。)の特攻機に乗っていた穴澤利夫氏とその婚約者だったD智恵子さんのドキュメントだった、私の作曲にも「ノンノンとアキラ」「桜の丘」と似た題材を取り上げた作品があるのでこれも見てみる。ドキュメント登場のD智恵子さんは現在80歳ながら大変キレイなかたである、昭和16年から交際が始まってその時の写真はよくあるサークルの1場面で、幸せそうな写真だった、D智恵子さんは彼、A利夫さんに、交際を求められてから文通をへたのち、出征前の乾パンを出した「お茶会」で入隊を見送った話や、面会に行ってもお互いに思いを遂げなかった話(彼の上官が宿を取ってくれていたが婚約もしていないのに…ということ)、正
式に婚約者となった後、彼が「私が身につけていたものを…」とマフラーを智恵子が彼に渡し、しかも、出撃前の写真ににハッキリと彼女のマフラーが写っているのを見るに至ってはさすがに「ウッ」ときそうになった、当時まだ23歳という若者らしく、最後の手紙には、飾った言葉はなく、「智恵子、会いたい。逢って話がしたい。」と正直な胸の内を明かしている。彼はこの手紙を書いた時点で軍神あつかいだったそうだが、この手紙が検閲を受けたものかどうかは分からないが、若者らしい真実のみがもつ文体でつづられていた、九州まで赴いて今度こそ彼女は思いを遂げようとしたらしいが間に合わず、(本当はまだ天候待ちで出撃前だった)会えずじまいで終わっている。番組は靖国神社に納めてあった、A利夫さんの軍服に彼女が涙するシーンがあったり、少し不思議なことは…彼女、智恵子さんが、後に沖縄県、沖永良部島に彼女なりの推測か、防衛庁で調べたのかは分からないが、沖永良部島が現在アメリカ公文書館での4月12日のアメリカ駆逐艦の被害状況と一致していて、番組の最後は、智恵子さんがあの日、利夫さんを出征前のお茶会で乾パンを食べながら…と同
じシチュエーションで智恵子さんが乾パンを食べながら利夫さんの眠る沖永良部島の海に向かって座っているシーンで終わった。「NNN05ドキュメント」のスタッフに智恵子さんへの誘導とかシーンの指定がきっと無かったであろうことを信じている。そしておそらくは、これににたことが、自爆テロの実行犯とその周りでおきているのではないか!…とは容易に推察できるのだ、A利夫さんや他の戦没者の犠牲の上に現在の平和があることは否定できない。しかし、何よりも、A利夫さんの在りし日の遺影には心うたれた、23歳のまだ子供のような顔であったからだ。12月、ジョンレノンが死んでからもう随分になる、経済格差、貧困解消、国境を無くなることそして戦争が無くなるひがいつの日にか訪れますように。

3