本日は両親と一緒に奥飛騨平湯の「ぬくもりの里」なる温泉へ、思えば…私が生まれてから、両親とはいろんな場所に一緒に行った。私は大切に育てられたことに涙ぐみそうになる、…が、父親の天の邪鬼な発言にそれはすぐにかき消された、今日は楽器を持って出る。生まれて初めて、両親に私から日ごろの演奏を聞かせてあげるつもりで、出かけた。気恥ずかしくずっと思ってたが、ここらで聞いておいてもらおうと思ったのと、母親が「どこかで演奏するとき聞かせて。」と言ったこともある。一路平湯へ、…だが…、高速道路に乗る乗らないで、父親とはや一悶着!…しかし、かつてのように父親に逆らう元気も無し、一般道路、随分遅れて平湯到着。本日降雪、どこか公園でストリートがてら両親に聞かそうと思ったが、あきらめる。温泉に入るも両親はカラスの行水、ゆっくり入っていられない。沢山ある露天風呂もほとんど入れず、私は「…。」だが、両親のペースはしかたなし!…。せっかく遠くに来たのに、あんまり楽しんでいかないのは相変わらずか、これじゃ運送屋だ、帰り道、神岡市にふとよりたくなり、町をただ見て過ぎる。すると、いいかんじの旧家から、ひじ
ょうに頻繁に、人の出入りがある、「何だろう?」と覗いてみると、神岡市の職員さんが土地の旧家を利用したギャラリーとのこと、(築70年の遊廓跡の建物だという。)職員さん達と話すうちに、デモンストレーション演奏を申しでたら、普段、紙芝居や絵本の読み聞かせなどしている場所でそれは始まった。当然両親にも、全部で十数名、だんだん、ご近所の人が増えて来る。田舎町は我が小矢部も同じだが…、旧家、しかも遊廓跡を文化施設に、という発想力は素晴らしい。二階建てで、急な階段、映画に出てきそうな部屋、この造りは明らかに遊廓だ、当時このあたりは花街、ここで遊んだら当時どんなだったろうか、売春が合法的だった時代の、山のなかのこんな遊廓に来てみたかった。話を元に戻して、「週末には…」で神岡の人達にはバカウケだが…、我が両親の感想は「もっとわかりやすいのやって。」っていうことで、優しいカントリーソングを…。と「ホーボーズララバイ」神岡市の人達はうるうるしてくれている。…にもかかわらず特に我が父親は、(父親は音楽センスのかけらも無い人)「古っしい日本の曲やれまな!」と、やはり始まって、(演歌やれま、と言
わないだけましだ!)「蘇州夜曲」をやる、(父親は嬉しそうだが、側の若い女の子に「知っとっか?」とさかんにマナーの悪いことをしてくれている。(ハズカシー。もう!)母親は喜んでくれた。(母親は読書家で、センスがあり、娘時代には「ビバップアルーラ」や「ジェリソミーナ」をリアルタイムで聞いている。)あとは「絵日記」「国道8号線」「雪の降る日に」をやり、母親が役所は5時まで、を指摘して終わる、神岡市の人達には大変反応が良かった、ありがとうございます。その神岡市の人達に楽器説明会、可愛い感じの小6の女の子に弾いてもらう。神岡市の人達は大変受けたみたいでいつか呼んでもらえそうな感じ。神岡市の人達に何度も御礼を言い神岡市を後にしたが、我が父親はいち早く車の中でマイペースなのはまいった、帰り道の車中で評論家のように、「もっとわかりやすい曲やれまな!」に反論しながら家路を急いだ。これもきっと後で涙する思い出にいつかなるんだろうと思う。………が、この様子じゃ大分先だなぁ。(笑)

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