7月2日、相川勝氏より携帯に連絡あり。
中村信治氏が死去したとこ、彼は、かけがえのない親友でもあり、そしてギターリストの真の奏者であった。
プレイヤー音楽家として本当に毎回良い演奏をしてくれた。
「ジャズの勉強会」…と称して、石川県内灘町の道の駅でストリートに付き合ってくれた仲だった…。
このブログでも彼は頻繁に書き込みをしてくれた。
彼は「命を粗末にする人は許せませんね」
内灘町のストリートでも、よく口にしてた。
彼は片足が義足だった。
東京の病院まで月に一度行っていた。
彼はストリートでも内灘道の駅のオーナーから認められるほどのプレーをしてくれた。
私自身、彼から学ぶことがたくさんあった…。
そして、抜群のプレー道の駅でストリートは人だかりができたものだった。
思い起こせば…、カントリーさえ演奏できたならユニットを組みたかった。
中村信治氏、葬祭センターでの、君のオリジナルサウンドが、最初で最後のオリジナルサウンドを聞く機会だったとはなんという皮肉か!
私達は音楽を通しての親友だった。
私が事情があってストリートする事が出来なくなったことを許して欲しい。
往時には10時間連続でストリートをやって いたのに…。
君はライブでもストリートする事でも私を助けてくれた。
そして夢を語り合ったね。
本当にありがとう。
合掌。

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