今朝は8:00に目覚める。
食前血糖値はコレを書き上げた後に、朝食前に測ります。
連日報道されている『ネパール大地震の映像』を見るたたび、本日は『ネパールの思い出』について書きたくなったので、御容赦ください。
先ずは『ネパールに行くことになった経緯』2004スカイメールに『イシュワル グルン』という『武蔵野はらっぱまつり』にてメルアドを渡した人物から、スカイメールにて「出演依頼のメールが届いた!」
最後になる『シバラートリー音楽祭』である。2004 1.18〜1.19の両日「カトマンズ市」と「ポカラ市」にて『ベダルスチール弾き語り』をするものであった。
飛行機は沈む太陽を追いかけて飛ぶわけだから、空港につくまで陽はなかなか落ちなかった。
イシュワルと再会し、先ずはカトマンズ市のステージは夜中…心配だったが、盛上り大変良い気分だった。
「音楽は人との言葉を超えて和を結ぶ力がある。」 実感したものだった。
多くの祝福、良い評価をもらい、翌日のポカラ市は日中!大勢の観客の中には『ラマ僧』の子供たちの集団もいる…何日か歩いて聴きにきたという。
なんと富山県の人達にも7人ほど会い、のち何人かと再会できた。
ホテルは3階から4階建物で、「手すり」薄い鉄筋コンクリート製で、揺するとグラグラして「地震でも来たらアブナイな…」とは当時から思っていたこと。
清涼飲料水『ポカリスェット』は、ポカラの街から命名したと聞く。
ポカラは良い街で、人は皆親切…昔のしょうわ40年代の日本に似た町並みや商店。『マチャプチュレ』という山が、剣を逆さまにしたように、そびえて立ってる…空気も良いし、だが建設中のビルは鉄筋こそ多いものの、コンクリは手練りで信じられない程ウスイ!「地震でも来たら、どうするんだ!?」とは当時から思っていたこと、現実になるのは10年経った今だが、ネパールでは土木作業でも重機は圧倒的に足りない。日本では、何処にでもあるバックホウは日本の援助で、0.7のコマツを見た。国が貧しいと、重機やインフラも整わない現実を初めて見たが、重機や機材の無いネパールでは、救出活動も困難を極めているに違いない。
安全な救出と、復興を祈ります。
コメント欄にて、今日の食事、行動所作をつけます。イシュワル達は無事だろうか…。

2