今日稽古場のポストに・・

菊原光治先生から・・演奏会の感謝ですと
和紙に筆書きで長文お手紙を戴いた。昨今忘れていた作法の世界であった。
私は若いころ純邦楽・現代の素人の楽しみ稽古とは違う意味のシャキッとした邦楽界長唄や地歌・鳴り物の稽古・日本の和の芸の礼儀を日常茶飯事稽古で育った。親と師匠は絶対であった。
(代々の武士の格式で受け継がれ男尊女卑で口を開けて大笑いをするのはもっての他と言う・・陰気な家庭で、17歳までは育った・・18歳の時厳格な父が他界・嫌々通った稽古とは違い、呪文から解けて、何故か妙に魅力的な粋を好んで師匠のもとに通った。当時は毎日稽古で暗譜修行苦しいが楽しかった。
演奏会の後は必ず師匠の元に(このたびは舞台に立たせていただきさ有難うございました・今後も頑張らせてくださいと深々と 頭を下げる)お礼に伺うのが当たり前だった。
今まで生きて舞台演奏して満足は、たった1っ回だけ”小鍛冶”を姐さん方に交じって弾いた時だけ・哀しいですねェ
長唄”越後獅子”は暗譜で弾いたのに、指すりを右手にはめていいるのを、途中で気づき暗譜曲全部忘れた思い出・・何度もこの話は披露している。すでに時効だから
その舞台後怖くて お礼に行かなかったら、杵屋の師匠に常識が無いと、阿呆と大目玉をくらった。でも師匠は私を一番可愛がってくれた・当時18歳だった。21歳の
夫(エリナの父親)と結婚していた。
エリナはそんな中で育った割に、困ったァお母さんは礼儀ははちゃめちゃ過ぎると言う。母の生前いつも困った娘と叱られ・今は娘に叱られ・・まァえいかァです。
何十年ぶりかにヤッパリ礼儀の世界良い・・光治先生に教えられた。
プレゼントした胡蝶蘭は玄関に飾ってくださってると書かれてあった。

和光のポーチを和菓子と間違える柴乃さんを思い出して可笑しくなるそうな・・恥ずかしい

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