30日、大阪城公園教育塔で「第70回教育祭」が開かれ塩谷から三遺族が出席してきました。
教育祭
1934年9月21日、室戸台風が関西地方を襲い、多くの教職員や子どもたちの命を奪った。このような災害が二度と起こらないことを願い、亡くなった子どもたち、教職員、教育関係者を追悼し、その名を永くとどめるために教育塔は建てられました。第1回教育祭以降、今日に至るまで、学業半ばでその志ほ全うすることなく亡くなられた子どもたちや、惜しまれつつも尊い命を絶たれた教職員および教育関係者の方々が数多く教育塔に合葬されています。(日本教職員組合発行、「教育祭」栞より転載)
今回塩谷の三児童と、川口町の古田島千秋さんもこの教育塔に納めて頂きました。行きは29日、空港からホテルまでノブさんから、新大阪からは袖さん桑さんから車で迎えてもらいました。感謝!
30日は午前中セレモニィーで、午後からは袖さん、ノブさんから大阪を案内して貰い、新大阪に空港にと送って頂きました。
忙しい処お世話下さいまして、有り難うございました。

我が家が、新大阪からお迎えして頂きホテルに向かう車中。袖ドライバーと桑ナビゲーターです。23時こんな遅くにごめんなさい。

道頓堀でたこ焼き、たこセンを食べました。おいしかった〜、それにしても塩谷勢の一糸乱れぬ団体動作!お見事。袖さんご馳走様でした。

教育塔内部です、この名札の下に献花してきました。約27,000名の皆さんが眠っているそうです。

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