ユダヤ教・正統キリスト教・イスラムといった啓示宗教と比較して、「日本には宗教の規範がほとんどない」と判断されるのは錯誤です。
超越神啓示宗教ではないかたちの規範意識で歴史を築いたことこそ、日本の好ましい特質として見直すべきだと思っています。
宗教は、世界観や人々の関係性(社会の在り方)についての価値観などを包括的に提示したものです。
日本では神道や仏教という自然との関わり方や自己の存在についての宗教的考えは根付きましたが、人々の関係性(社会の在り方)はミニマムの規制しか必要とせず、ほとんどが日本的共同体のなかで形成される自律的な規範意識(自覚的にというより自然で当然のこととして持たれた)で済んだのです。
前近代の日本人の多くは、絶対的な神の“脅迫”として人々を律しなくても、生まれ生活していくなかで醸成される価値観で自分の振る舞いを律することができたのです。
教育勅語現代語訳の
「子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」
は、国家があれこれ説明しなくても、日本の共同体のなかで生まれ育った人の多くは、それが自分のためにもいいことだと思いやってきたことです。
そして、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕」は、その直接的な役割を武士という職業階層に委ね、その活動を支えるために年貢などを負担したのです。
逆に言えば、このような当たり前のことまで国家が言わなければならないことが「近代日本」の奇妙な変容を示唆してます。
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