「社会の指導者が変われば世界が変わる」は、その通りだと認める。
そして、社会の指導者が変わる必要、それも緊要に変わる必要があるとも思っている。
しかし、「社会の指導者が変われば世界が変わる」ということは、現在のような世界をつくった(世界にした)のも変わるべき指導者(エリート)だということでもある。
であるならば、指導者(エリート)は、どうして現在のような世界をつくったのか、どうして現在のような世界をそのままにしているのかと、庶民は問わなければならない。
そして、変わる必要がある指導者が、どうして変わらない(変わろうとしない)のかも解き明かす必要があるはずだ。
それらを不問に伏したまま、社会の指導者(エリート)に変化を求めるのはアホの極みである。
なぜそのように言うかと言えば、指導者(エリート)は、指導者(エリート)であり続けるためであれば、過去の言説や政策を恥じることなくゴミ箱に捨て、新しい言説や政策を振り撒くものだからである。
対中国戦争や「大東亜戦争」を指導した連中の恥知らずな生き様を今一度思い起こしたり、バブル形成とバブル崩壊に関わった政府・国会議員・官僚・日銀・企業経営者の無責任ぶりと庶民への責任転嫁ぶりを考えれば、苦もなくわかることである。
(今日本で進んでいるのは、私欲と地位にしがみつく恥知らずで無能な指導者(エリート)が積み上げたこの20年のツケを庶民に回す政策なのである)
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