金本位制の景気変動その1,その2の補足です。
(注1:イングランド銀行及び現英国統治形態の成立)
英国(イングランド)では、王室から特許を授与された民間銀行であるイングランド銀行に発券機能が集約された。
イングランド銀行が生まれたのは、清教徒革命と名誉革命を経た後である。
利子の取得は当然だと主張したカルヴァンの流れを汲む清教徒の革命を経ることで、金融家はさらに大きな利益の機会を得ることができるようになった。
清教徒革命を成功させたクロムウェルは、革命呼称のイメージとは異なり、アイルランドを植民地とした。
まさに、『十字軍』である。しかし、不勉強だったのか、非金融家商人の圧力に負けたのか、クロムウェルは、共和政はいいとしても、オランダ商船を閉め出す航海条例まで発布し、オランダとの間で戦争を引き起こした。
このため、反クロムウェルの名誉革命を起こされ、オランダからウィリアムがやってきてウィリアム三世となった。
イングランド銀行は、このウィリアム三世によって特許されたのである。
イングランドは、その後まもなく1707年にスコットランドも併合した。
この時期に、サックス・コーブルク・ゴータ家から国王が呼ばれハノーヴァー(後にウィンザー)朝が始まるとともに、国王は統治権限を失い、政党政治と責任内閣制という現在の統治形態ができあがった。
この過程は、英国が、まさに国際金融家ネットワークに乗っ取られていく過程である。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。

0