日本の原子力行政の構造的欠陥(徳山勝)投稿者 判官びいき 日時 2011 年 5 月 28 日 から転載します。
東電が原発への海水注入を一時中断したとの発表を訂正したことを巡り枝野官房長官は「結果的に政府が把握して報告した事項が事実と異なっているのは遺憾だ」と表明した。続いて「得られた情報で一定の確度があるものは公開するのが(政府の)責任であり、裏付けが取れないから出さないということでは、逆に情報を隠すことになってしまう」とも述べた。
政府としては、東電側の報告を信じて事実関係を発表せざるを得ないとの立場を強調したつもりだろう。だが、これは原発に関する政府(=経産省・原子力安全委員会)と東電との技術力の差を示している。それは、東電による技術的な措置について、その是非を判断する能力が、政府には無いと言うことである。具体的に言えば、原発の保安・安全操業について、政府よりは電力業界や原発機器メーカーの技術者の方が、遥かに豊富な技術的経験や知見を有していると云うことである。
原発を自動車に例えて見れば分かる。自動車が暴走した時、それを制御するのは運転手(=電力会社)であり、メカの問題点を見つけるのはメーカーの技術者である。自動車の型式を審査する経産省の役人は、審査基準に合致しているかを、立会検査と書類の上で判断するだけだ。原発でも、その点は全く変わらない。経産省の役人は原発の運転・保守そして事故に関しての知見は、民間企業に比べはるかに劣るのである。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。応援よろしくお願いします。

83