アメリカという国には、様々な歴史事実を上げておける巨大な棚があるようだ。
2019/4/29 0:11
こんにちは。たびたび失礼いたします。
春が深まり初夏が近づいてきて、いよいよ秋が待ち遠しくなっています。
自分、このくらいの時期から半年くらいが大嫌いなんです。
暑いし、頭の熱排気が悪くなるし、体の調子も悪くなるし、いいことが何もないんです。
体が動かなくなり、内蔵が煮えているのではないかという感覚になったこともあります。
動かない体を無理に動かし、内蔵に火が通っているのではないかと思いながら暮らしています。
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何だか、数年後に、竹中平蔵が紙幣の肖像になるんだそうですね。
よく似た肖像画のお札の見本を「官房機密費を懐に入れたマスコミ人たち」に見せられました。
それはいいのですが、先日、新元号が発表されてから、有頂天になった人がやたらと目につくようになりました。
それを見聞するのが辛くて仕方なく、お伺いしました。
いつもながら落ちない話なので、ご勘弁ください。
早雲さんのTwitterにお引きでした方の
「うわー、 「令和に変わる、新しい日本の新しい軽」 なんてCMが聞こえて来た、やめろー、 企業イメージダダ下がり@わたし 実質、元号二文字が変わるだけでしょー」
おっしゃる広告、自分も見ました。
最初、耳で聞いただけだと、何を言っているのか判らず、「某に変わる」の「某」の部分には旧の車種名が入っているのかと聞き流しており、文字で拝見して、やっと意味が判りました。
元号発表の当日、中古パソコン販売業者さんが、「令和セール」という、新元号と特売と何の関係があるのかという広告を流しており、げんなりしました。
自分が最も辟易しているのは、以前からお話ししている例のセミナー屋さんのラジオなんですが、とりあえず、一回通して聞いてからは、同じものを聞くのをやめようと思うぐらい、はしゃいでいるんです。
そのはしゃぎっぷりが、暑いところに持ってきて、もう気持ち悪くなるくらい、反吐が出そうなくらい、堪えがたいものがあるんです。
へらへら笑いながら話すため口調が軽いので、受ける軽薄さが尋常じゃなくて、軽薄すぎて聞いていてとても辛いんです。
悪口を言おうというのではないんです。
もう辛くて辛くて。
ただ、もう、本当にひたすら辛いんです。
何か面白い話もあるかもしれないので、一度だけ全編聞き通すために、ちょっとおつきあいをお願いします。
辛さを文章にすれば、少しは堪えられるようになるかもしれないので。
冒頭、延々と元号の話をするんですが、こんな話です。
「令和」の「令」の字は、会意文字で、人が跪いて神の言葉を戴く形を表しているんだよ。
凄いよね、いきなり神が出てくるんだよ。
これは凄い時代になるよ。
神が今までの誤った時代を一気に正すんだよ。
これは平成みたいな甘っちょろい時代じゃないよ。
それで、漢字なんてのはどこにでもあるわけで、漢文なんて星の数ほどあるんだからさ、何処から取られたのかが重要な訳なんだけど、何かと言えば、『万葉集』さ。
『万葉集』って言えば、冒頭は雄略天皇だよ。
雄略天皇って言えば、朝廷を粛正し、民を愛し、後の和服の原形となる呉服の織女を招聘した人だよね。
これは凄いよ。
政官財といったところに巣くう悪人どもを粛正し、しかし民には慈愛を以て向かい、そしてイノベーションもするんだっていうんだから。
その後、中大兄皇子とか、巻を下っていくと、山上憶良とか出てくるじゃない。
凄いよね、「悪党は許さない」って奴らのオンパレードだよ。
長州だの東大だの何だの、腐った奴らを粛正するって意味でしょ、これは。
また、今回は大宰府で梅の花って言うじゃない。
大宰府の梅の花と言えば、菅原道真だよね。
安倍首相とNHK:鈴木 耕氏
2019/4/29 0:12
歴史上の人物や事績に評価が分かれるのは、いいんです。
同一人物の中で割れていても、いいんです。
でも、並列で、脈絡無くまくしたてられると、気持ちが悪くなります。
「大化」は「中大兄皇子」の元号ですよね。
中大兄皇子が「大きな化け物」を呼んだんじゃないですか。
「令」の字は孝明天皇が使おうとしたのなら、明治維新・南朝革命はそれを「殺した」側ですよね。
菅原道真の願いとやらは、どちらで「叶った」ことになるんでしょうか。
「令」の字が孝明天皇の遺志を継いでついに元号に採られるに至ったことか、それとも、「令」の字を使おうとした孝明天皇を屠った明治維新なのか。
西郷さんの明治維新か薩長の明治維新かとか、そういう言い分けは、議論が精密な場合はいいと思うんですけど、ただ垂れ流すのなら意味が判らなくなるからやめた方がいいと思うんです。
端的には嫌いなんです。
西郷さんの明治維新は正しかったとか、長州閥の明治維新が間違っていたとかいうのは、もう聞いていてついて行かれなくて、嫌なんですよ。
明治が嘘っぱち、嘘八百なんだったら、明治維新が大化以来の化け物を正したって話は、嘘っぱちではないんでしょうか。
支える理屈が他にあるにしても、表に見える話がこうぐずぐずだと、喋っている人から狂気を感じます。
そして、ノートルダム大聖堂が焼け落ちたのも神意、梅の花から始まる三千世界の立て直しが云々と、神意だ神宝だと話が続いていくんです。
『太平記』は漢文で書かれているとか、そんなようなことも言っています。
『太平記』は漢文で書かれているそうです。
日本で展開した安直な神々の話を、延々とするんです。
話題がないのなら、一度休めばいいのにと思うくらいです。
三十分くらいこの手の神異の話が続くので、聞いていると何かもう、あんたの話自体が嘘百万陀羅じゃねえかと、適当な口ばっかりべらべらべらべら叩きやがってと、思うのも辛くなってきます。
筋道の立たない話を、字で読むのではなく、耳で聞き続けるのが、こんなに辛いものだとは思いもよらず、びっくりしました。
国会議員にしても、国会の速記者にしても、国会中継を文字起こししている人たちにしても、凄いなと感服しました。
聞いている間、ずっと防御態勢を取っていなければならないのは、とてもしんどいです。
あまりにも凄まじい軽薄さで、笑うことも出来ず、不快で、反吐を催します。
元号が変わるっていうだけ、ただそれだけで、人はこんなに浮かれるんだ、浮かれられるんだと、気味悪く思っています。
人間は軽薄だと思っていましたが、程度の問題で、ここまで軽薄だとは思いませんでした。
書くだけ書いてみれば、少しは続きを聞こうという勇気が出るかと思ったのですが、ますます気持ち悪く、あのラジオはこのままお蔵入りにします。
まだ同じ音楽を繰り返し聞いていた方がずっとましです。
こんな人に会いに行かなくてよかったなと思っています。
人間というものがどこまでも軽佻浮薄になれるものなのだと、この間の元号騒ぎで感じています。
「抜け出す第一歩は「隷属の認識」」におっしゃる
「“その時”はそう遠くないうちに(もうまもなく)やってくる。
しかし、“その時”に、神が審判を下したり、救世主と悪の大魔王が壮絶な戦いを繰り広げた結果として、隷属のくびきから逃れられるわけではない」
ようなところに絡め取ろうとする人が、この元号騒動においても多くて、非常にきつい精神状態に置かれています。
以前からそうなのですが、今月に入ってから、他人と交際しよう、交際を発展させようという意欲がまた急激に減退しています。
そんなことをしても仕方ないじゃないかというよりも、やり遂げられる気がしないと言いましょうか。
人間との交際に限りませんが、あまりにもコミュニケーション能力が乏しいので、自分が根気よく努力を続けられるように思えないのです。
また、それほどの価値を見出せなくなってしまいました。
他人を巻き込んで嫌な思いをさせるのも嫌ですし、他人の興味を惹くようなものもありませんし。
社会から受ける淘汰圧が凄いので、このまま他人と満足なコミュニケーションが取れないまま、消えていくことになるのでしょう。
「結婚」というやつについて、最近、「『結婚』は『幸せになる』ためにするものではなく、リスクヘッジするために必要なものになってきている」という見出しの話を最近読んだんですが、その話だと、結婚をすることで子供を持ち、家計と家事の担い手を増やすことで、孤独死を防ぐみたいな内容でした。
それが出来なければ、孤独死は避けられないと。
死ぬ時は独りだと思うんですが、そういう話をしているのではないとしても、近頃、文章の中に、そのことが念頭にもない書き手の姿を感じることが時々あって、不思議に思うことがあります。
人間生死無一物、天地万古無尽蔵なんだと思うんですが、今やそんな「貧乏人の子だくさん」時代の農家の話として語られているような話が経済誌に載るようになったみたいで、日本人の皆さんがお望みのとおり、「日本を取り戻」しているようですね。
それを読んでいて、ふと、自分の人生において、全くの他人と暮らすという構えというか習慣というか、予見というか、そういうものが全く持ち合わせていないことに気づきまして、喫煙、飲酒、売買春、旅行、自動車運転、園芸、観劇、演劇、大工仕事、スポーツといったものと同様、自分の人生にはそもそも関わりの無いものなのだと何となく判りました。
人間社会で生きていて、交際が非常にしがたく、他人が簡単にやってのけているような関係の構築が全くうまくいかないので、自分のように出来上がってしまった人間は不要であるとする淘汰の圧力を、物凄く感じます。
それが類としての人類の意思なのだと考えています。
プルトニウムは空を飛びます(当たり前ですが)
2019/4/29 0:13
一昨年、植木鉢に播いた二十日大根が全く芽を出さなかったので、園芸はもう諦めました。
園芸でうまくいったのは、生ゴミを段ボール箱を使って堆肥にすることだけです。
骨や貝殻は簡単には堆肥にならないことを学びました。
そんなことを申し上げて、そろそろお送りしようと思っていたところで早雲さんのTwitterで伺ったんですが、またエリートの筆耕さんが何か言っているんですね。
「「勉強する学生が欲しい」 経団連、通年採用の本音:日本経済新聞」
「「経団連大学」作って既存の大学と「人材養成」の競争すればいいのです。まあトヨタやダイエーはそれやったがパッとしない。日本電産はこの4月からやっている。経団連も自分でやんなはれ」
「何度もゆうてますけどなぜ経団連が大学教育に口を出すのが当然視されているのか。国大協や私大協は中等教育に口を挟んだことはないと思いますが(調べてませんあればご指摘乞う)。大学界も経団連とかに向けて「終身雇用維持しろや」とか言うべきやと思う。それが変やと感じる貴方の感覚をこそ疑え」
ふうん、と。
別に自分、この人に恨みがあるわけでもないのですが、どうも不可解なところのあることを言うもので、気に障るんですよ、時々。
何か自分みたいなおつむの緩い人や学生や社会や貧乏人や弱者や個人に理解のあるようなことを言いますけど、そういうスタイルも含めて、標本みたいなエリートだから、こんな感じなんだろうなと思っています。
ようおすな、大学はんは、どこにでもえろう大きな棚吊ってはりましてな。
うちら間口が小さいですさかいに、ようおへんわ。
ぶぶ漬けでよろしおすか。
いえね、別に「変やと感じ」てるわけでもないんですよ。
言ってもいいと思うんですよ、誰が何を経団連に言うとしても。
ただ、「大学界」には、「他山の石」とか、「One man's fault is another's lesson」とか、「人の振り見て我が振り直せ」とかいう言葉は無いんだなと「感じ」たんです。
上二つは特に異論はありませんし、国大協や私大協が中等教育に口を挟んだことがあるかどうか、自分は知りません。
そんなものあることも知りません。
ただ、日本経団連に皮肉を言うにも、よりにもよって、「終身雇用維持しろや」ですか。
何故、「終身雇用」を選んだのか。
本当に、よりにもよって。
「まず、総理から前線へ」って言葉もありましたよね。
「安倍首相とNHK:鈴木 耕氏」におっしゃる
「私はむしろ、集団的自衛権行使をいう首相や閣僚、その息子らに前線に立ってもらいたい。米国と一緒に戦争をしたいなら、そうすべきでしょう。「まず、総理から前線へ!」ですよ」
ところを思い出しましてね。
やっぱりお学者様お研究者は違いますなあと。
「STAP問題:科学研究の再生に必要なのは研究者の自立と研究者社会の近代化だ:小野 昌弘氏」におっしゃる
「今やほとんど全ての若者の職は有期雇用だ。しかも大学院重点化の弊害で、次々山のように新しい博士が生まれるのだから、競争は激しい。これを勝ち抜いて次の職を得るうえで有利になるためには、第一著者の論文をなるべくたくさん、しかも有名雑誌に出版するしかない。これは並大抵の努力ではできない。有能な学生・ポスドクが生活を全て研究に捧げたとしても、運がよくなければ生き残れない世界だ」
「世界」が変わったって聞いていないんですよ。
変わってへんでしょ。
ちゃいますの。
全員「終身雇用維持しろや」。
なあ、おい。
それがでけへんなら、出来る人数だけで、「研究」とやらをせえや。
人が終身雇用で雇われへんなら、人海戦術の必要な「研究」なんぞやめえや、アホンダラ、このボケカス。
それも嫌なら潰れて去にさらせ、クソがと。
んで、こういうこと言うと、必ず出てくるのが、
「誰が記者にブリーフしたのか知らないけど、この記事の書き方だと、若手研究者の任期が3年くらいしかないのは大学側の都合のような印象だが、研究プロジェクト資金が3年で終了だったり、4年目以降は大幅減額だったり、財源の都合の方が圧倒的に大きいというのが事実」
こういうこと言う輩なんですよね。
夫子曰く。
財源が。
国際競争力が。
人件費削減の圧力が。
コストカットが。
税制が。
物価が。
内外環境の変化が。
少子化が。
高齢化が。
競争的資金が。
紐付き補助金が。
運営費交付金が。
補助金が。
言ってること並べてみると、お大学様と経団連と、何か違いがあるんですかね。
「犯罪で犯罪を中和する思考の持ち主は、「犯罪を犯罪と認識しない人間」でしかない:山崎 雅弘氏」
という話でしかないと思うんですけど。
んなこと言うたかて、経団連かてやっとる、そういうことでおまっしゃろと。
経団連に「終身雇用維持しろや」と「大学界」が言うなんてこと、てんからおへんと信じてはる、判うとって言うてはるんとちゃいますのん。
嫌らしいおすな。
ほんに、気障で臭うて、嫌な野郎どすな。
「それが変やと感じ『へん』貴方の感覚をこそ疑え」
そう思うんですけど。
気の利いたこと言うたったみてえな面してんじゃねえよ、クズがと。
曽子曰。吾日三省吾身。 為人謀而不忠乎。 与朋友交而不信乎。伝不習乎。
「エリートは自己のエリート性を投げ捨てたときに初めて有用で「有能」な存在となる」におっしゃる
「指導者(エリート)は、自分たちの地位が脅かされず自分たちの生活が劣化しない限り現状を維持しようとし、そうでなくなれば、地位や生活ぶりを維持するためにあれこれ対応策をひねり出すのである。
これが指導者(エリート)の本性である」
「今日本で進んでいるのは、私欲と地位にしがみつく恥知らずで無能な指導者(エリート)が積み上げたこの20年のツケを庶民に回す政策なのである」
とおりですなと感じます。
本当に標本みたいです。
福島県の横暴、福島県立医大の悲劇 医療ガバナンス学会メルマ
2019/4/29 0:13
早雲さんが挙げられたものですが、
「とりあえず、吉本興業の教育事業に100億円あげるのは止めたらどうですかね。年収500万円で5年任期の若手研究者を雇うとして、100億円あれば400人も雇えるのですよ」
「「若手研究者400人」と聞いてもピンと来ないと思いますが、学振特別研究員のPDとSPDとRPDの合計採用数がそのくらいです」
自分、これについては、どっちでもいいと思っています。
だって、100億円上げる先が、吉本興業か、大阪市立大学かって話でしょ。
言ってしまえば、松本人志か、増田聡かって話でしょ。
小籔千豊か、山中伸弥かって言ってんでしょ。
坂田利夫か、内田樹か。
山田花子か、上野千鶴子か。
千原せいじか、菊池誠か。
池乃めだかか、野依良治か。
ほんこんか、石川迪夫か。
千原ジュニアか、山下俊一か。
そんで、どっちに転がっても、古市憲寿や落合陽一や三浦瑠璃や竹中平蔵がへらへらにやにやするわけだ。
そういうことでしょ。
そんなもん、どっちにしてもくだらねえ。
100億円で「年収500万円で5年任期の若手研究者を雇」ったら、勘違いしたクソ馬鹿が、400人増えるんでしょ。
理系を中心にして、自分みたいなルンプロ、ルンペンを、努力してないからとか、無能だからとか、二次関数も判らねえとか、帰化も微積分も知らねえとか、馬鹿にして馬鹿にして見下して、糞溜で這いずり回る蛆虫を見るような目でかかってくる糞虫が、400匹増えるんでしょ。
「大学界も経団連とかに向けて「終身雇用維持しろや」とか言うべきやと思う。それが変やと感じる貴方の感覚をこそ疑え」とかって利いた風な口叩く寄生虫が400匹増えるんでしょ。
んなもん、どっちでもいいです。
お笑い芸人も、論文芸人や出版芸人、講義講演芸人も、どっちもエリート様であって、自分のようなルンプロとは違うと思っているのには変わりがないんですから。
それに、上の話では、どっちに転がっても、100億円は自分のところには来ない、それを当然の前提として語っているのが、また気に食いませんで。
芸人だろうが研究者だろうが、そんな下らねえゴミ虫どもにくれてやるなら、その100億円、自分によこせと。
そうすれば、今のこの糞みたいな仕事も辞められるし、家ももう少しきれいに掃除が出来る時間が取れるし、朝起きて夜寝る時間が過ごせますし、自分と家族がもう少し幸せになれます。
『文選』を読む時間も出来ます。
それを、ふざけやがって。
頭から自分のことを視界から外していやがる。
お前のような取り柄のない蛆虫などどうでもいい。
あいつらにくれてやるなら、俺たちによこせとほざいている。
本当に、あのゴミ虫どもが
「指導者(エリート)にとって庶民とは、指導者(エリート)であり続けるための必須条件であり、指導者(エリート)が指導者(エリート)として生きていくための手段である」
そう思っていやがるのが、まざまざと見える文章です。
良識ぶりやがって。
良心ぶりやがって。
エリート様の軽薄ぶりには、いつもながら本当に反吐が出ます。
もう少し思うところがあるのですが、元号がそろそろ変わるそうなので、旧元号のうちに、お送りすることにしました。
ちょっと家族と出かけたら、それだけで疲れ果ててしまいました。
このところ、遠出をすることになると、きちんと目的地に着けるかどうか、体がもつかどうか、心配になります。
いつもくだらないことをお聞かせいたしまして、どうもすみません。

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