引用
(マックス・ウェーバー−大塚久雄学徒を自称されている小室氏の論述ということで想像できるように、「プロテスタンティズムの倫理」が醸成される余地がないイスラムから資本主義の精神が生まれ出ることはないという説明になっています。)
(宿命論を掲げるイスラム教からは、行動的禁欲(aktive Askese)は生まれっこない。 イスラム教の禁欲とは断食の類であるから、この点で日本の禁欲と同じである。 行動的禁欲がなければ、天職(ベルーフ)とそれが結びつき、「労働が救済である」という思想を生じることもありえない。 よって、資本主義の精神などが生まれるべくもないのである。 また、イスラムでは利子・利潤の正当化もありえない。」(小室)
ご推薦の本は未読です(ここ数年文系の本をあまり読めていません)。
大塚史学の学徒である以上、当然、行動的禁欲というエートスをもたない宗教の土壌からは、ファナティックかつ計画的に生産活動を行う産業資本は育成されないという説明になるのでしょう。
私は良く理解はできていません。
この説明は正しいのでしょうか?
古代バビロニアでは、起業と配当、投資ファンド、保険制度、フラクショナルリザーブ銀行システムなど、今日の資本主義を構成する主要要素はすべて見られるようです。
大塚史学ではこういうのも「投機的資本」に分類するんでしょうね。
妥当な考え方なんでしょうか?
産業資本と投機的資本を峻別することは歴史的妥当性があるのでしょうか?
ゾンバルトは、むしろ投機的資本がある地域に結集したときに市場取引が活発化し、産業が勃興すると述べていたそうです(本人の本は読んでいませんが)。
この説明の方が普通みたいな気がします。
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