イエスの言葉とされる「カエサルのものはカエサルに返せ」というのがありますよね。
これは利子取得はおろか、貨幣経済そのものを否定した言葉だと受けとめられます。
また、旧約聖書もキリスト教の一部ですから、出エジプト記や申命記にある言葉はキリスト教をも縛る言葉でもあることは明白です。
私が不思議に感じるのは、なぜ利子取得というか金融行為をそこまで特別視しなければならないのか、という点です。
金融とは何か、と考えて見ると、それは金のあるところからないところへ融通し、そのことに対する対価(利子)を得ることに他なりません。
カネとモノを入れ替えてみると、モノのあるところからないところへ融通し、そのことに対する対価(利益)を受ける、即ち商業そのものです。
つまり、金融の本質は商業と全く同質であると考えられるわけです。
もう少し突っ込んで考えて見ると、工業(産業)も営利を獲得するという意味で本質的には商業や金融業と変わらない事が分かります。
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