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というわけで
John Coltraneと
Sun Raの関係について強引に考えてみます。
ホントに強引なんですが、意外にJohn ColtraneはSun Raみたいなことをやりたかったんじゃないか?と思うことがあります。特に"Africa/Brass"や"Kulu Se Mama"のようなアフリカ物を聴くにつけそう思います。
しかし、Coltraneはとにかく生真面目な人です。原始の血が沸騰し精神が宇宙まで飛んでいくような開放的な音楽を目指しながら、結局は自分の内側へ内側へとベクトルが向いてしまう。その厳しさが結果として彼の音楽に一種の荘厳さと格調を与えたのではないでしょうか。
Sun Raには駄作が無い代わりに、マイルスやトレーン、ミンガス、ロリンズのような誰から見ても傑作!という作品もありません(Sun Ra全部聴いたわけではないですが、あれば有名になっているハズ)。それでもSun Raは彼ら巨人達となんら劣ることがない真の巨人なのです。
ただ、ベクトルが違う。Sun Raは音楽の完成度には拘らなかった。GilmoreやPatrickのような一流といっていい演奏者と限りなく素人に近いチンピラミュージシャンを平気で共演させました。そう言った組織論を含めた、ひたすらプリミティブであろうとする姿勢が結局彼を「裏」の巨人としてジャズのメインストリームから遠ざけてしまったのだと思います。
しかし、Coltraneに限らず多くのジャズメンは本当はSun Raみたいになりたかったのではないでしょうか?黒人音楽の原初的エネルギーを赤裸々に解き放ち、宇宙レベルまでそれを拡大しようとしたSun Raみたいに。
ただ、そこまでやるにはある種の狂気が必要というか、相当変な人にならないいとダメだったのだと思います。とてもじゃないが、Coltraneにはできなかったでしょうし、やる必要もなかった。だからこそ数々の傑作が生まれた訳で、我々はそのことに感謝しなければなりません。
ああ、なんか締まりのない文章だなあ。またただのSun Ra礼賛になっってしまった。変にヨイショするつもりはないんですよ。別に、Sun Raは真っ当なジャズファンからゲテモノとして扱われ続けてもわたくしは一向に構わないと思うのです。実際、同じようなモノサシでは計れないと思うし。ただ、海外ではもっとちゃんと評価されているようではありますが。って、全然Coltraneの話じゃないですな。止め止め!
ColtraneとGilmoreの関係については、もっと研究しないと書けません。すいません。
"Transition"聴いて寝ますわ。

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